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異端の建築再読

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異端の建築再読
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既成概念にとらわれないで自由に発想した建築空間イメージを紹介しています.
他から与えられた枠内に閉じこもる安堵感と引き換えに大切な何かを手放していることの多い時勢へのささやかな抵抗のつもりです.

ホームページにもお立ち寄りください.
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も不定期に掲載しています.
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雑観/故郷-19 空家の実家-07 (空家管理の会社)

2018/05/09 10:45
私の実家が空家になる経緯と状況を記録しています.
遠く離れた故郷に空家を抱える方の何かの参考になれば幸いです.
□□□□□
唐津の実家は、7年間の賃貸後、また空家に戻りました。
T叔父の命令に近いアドバイスに従って、恥を忍んで「K電」に提案
した賃貸の勧誘も、運よく空振りに終わりました。

この後の実家は、私か妹または親戚が移り住むか、再び賃貸するか、
または思い切って売却する、ことになります。

私は、予てから単身で住むことを考えておりました。
不仲の女房が、微年金暮らしの私を「落ちぶれた男」だと言い、別居
したい素振りを見せていたので、ちょうど良い機会だと思ったのです。

しかし、その頃、女房のモノ忘れが酷くなってきました。
電気の消し忘れ、冷蔵庫のドアの閉め忘れ、トイレドアの閉め忘れ、
などは良しとしても、台所のガスの火の出しっ放しには驚きました。

これでは女房を独りにするのは危険だと思い、彼女の無意識の悪態に
耐えながら、しばらく埼玉で様子を見ることにしました。
妹や親戚も、それなりの事情があって、すぐには移れませんでした。

画像


(註1) 唐津市の「空き家
バンク」パンフの一部です.

新たに賃貸先を探すにしても、街から離れた山村の中の家ですから、
以前のようにネット広告がすぐにヒットする幸運は、期待できそうも
ないし、不動産業者に仲介を依頼しても期待薄だと思いました。
売却は、まだ考えていませんでした。

どうすればいいのか...独りで考えました。
そこで思い出したのが、唐津市の税務課から送付される「固定資産税
納税通知書」に同封されていたパンフ紙「空き家の活用」です。
「空き家バンクに登録しませんか」という空家対策関連の勧誘です。

唐津市のホームページを調べると、「空き家バンク」とは、市の企画
政策課が宅建協会の協力のもとで運営する仲介業でした。
登録期間は最大1年間で、リフォーム補助制度が利用できます。

ここに登録すれば、実家の解決策を考える間の時間稼ぎに利用できる
と思いました。
早速、登録カードをダウンロードして、必要事項を記入し始めました。
しかし、最寄りのコンビニまで2.5Km、病院まで6.5Kmなど記入して
いると、山村という「負」の立地条件が改めて際立ってきました。

唐津市は、人口が減少傾向にあって、住宅が余って空家が増えている
いる状況にあるそうです。
また、市のホームページの住宅情報を閲覧する人数は、不動産会社の
情報閲覧者数よりずっと少ないように思います。
結局、登録期間中に、賃貸・売却の可能性は僅少だと判断しました。

固定資産税や維持修理の費用がかさんで、私の経済が逼迫するだけで
なく、市から空家の対処を迫られるだけだと心配しました。
そうして「空き家バンク」への登録は断念しました。
この判断が正しかったのかどうかは、わかりません。

画像
(註2) 空家を抱える者の
やるせない心情を汲み
取れる「空家管理」の
業者を探すのは非常に
難しいと思います.

その頃、空家の税率が見直されるという噂を聞きました。
近所迷惑な空家は、建替えや売却を促すために、固定資産税を6倍に
するというのです。

たしかに、空家の放置は地域社会への危険要因になります。
しかし、好んで空家を抱える人はいません。
行政には、一律に強いペナルティを課さず、事情を考慮して対処して
いただきたいと願っていたのですが...。

苦しい事情があって、止むなく空家にした苦渋の選択に、追い討ちを
掛けるように、懲罰をチラつかせて脅すように対処するとは、何とも
寂しい行政だと思います。
課税を6倍にすることは、空家を持つ者の悲しさを理解できない人の
所業であるように思いました。

画像

(註3) 私は、不審者が侵入し、
薬物を使用したり、火を使う
ことを、特に心配しました.

「空家は税率6倍」を恐れた私は、不良空家と認定されないように、
「空家管理」を依頼することにしました。
「空家管理」とは、遠地の所有者に代わる業者が、月に一度、家屋を
巡回するサービスです。

その内容は様々ですが、基本的には、外部の補修の必要性チェック、 
台風や地震時の臨時チェック、1時間の通風換気、ポスト内の点検、 
庭木の簡単な清掃、などを代行してくれます。

「空家管理」の業者は、ほとんどは不動産会社の併設で、稀に、建築
関連の会社も片手間に請け負っているようです。

費用は様々で、唐津の場合、月額で3千円(FJ不動産)、5千円(EstO)、
7千円(M建築)、1万円(DtKtk社)など、幅があります。

画像

(註4) 空家管理の業者は
不動産会社ですが、数が
多くて選ぶのに迷います.
疑心暗鬼にもなります.

4月下旬、私は、月額5千円の不動産会社「EstO」に「空家管理」を
メールで打診しました。
「親切でアットホームな不動産屋」をアピールしているからです。

しかし数日後「EstO」から電話があり、「物件が市内から遠いので、
ガソリン代が高くついて儲けがない」と、何とも素っ気なく断られて
しまいました。

次に、月額7千円の「M建築」に「空家管理」依頼を打診しました。
「M建築」は、呼子町にある小さな工務店です。
より安価な不動産会社ではなく、若干高めの工務店を選んだ理由は、
家屋には修理が必要な箇所が多いと思ったからです。

工務店であれば、傷んだ部分を専門的に発見できるし、修理を下請け
業者に回さず、直接工事できると思ったのです。

そして5月、「M建築」と1年間の「空家管理」を契約しました。
家の鍵を「M建築」にスマートメールで郵送しました。

180509
□□□□□
下記のサイトの画像を加工しています.
(註1)「唐津市/空き家バンク」
 https://www.city.karatsu.lg.jp/kikaku/akiya.html
(註2)「ユニサス」
 http://www.unisas.co.jp/vacanthouse/index.html
(註3)「東北ミサワホーム」
 https://sonwosinai-akiyafurukatsuyou.com/archives/7291
(註4)「エステート大石」
 http://www.o-estate.com/news/detail/55296
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雑観/故郷-18 空家の実家-06 (K電力に賃貸提案)

2018/04/20 11:02
私の実家が空家になる経緯と状況を記録しています.
遠く離れた故郷に空家を抱える方の何かの参考になれば幸いです.
□□□□□
Tさんご夫婦が退去されて間もなく、タイミングよく、唐津市在住の
T叔父から電話がありました。
実家にある陶芸の道具や釜の有無を気にしている様子でした。

実家が空家に戻った事情を説明すると、私の優柔不断など、いくつか
意味不明なお叱りを受けました。
私が単身で実家に帰るか、賃貸か売却か、思案していることを話すと、
彼は「実は提案がある」と話し始めました。

彼は「K電力会社」への賃貸を提案しました。
たしかに、その当時の前年に、実家の北方150mの所に「K電力」の
太陽光発電施設が建設してあります。

すぐ近くだから、休憩所や簡易作業場として利用するのに便利だから
「K電力」は喜んで実家を賃貸するはずだ、というのです。
彼が「K電力」への賃貸を勧める理由は、他にもありました。

画像画像
 太陽光発電施設が建設されました(左/註1)が、以前の森林(右/註1)
 には白鷺などの野鳥が棲んでいて、見て楽しむ人もいました.


実家から北西に直線距離で8Kmほどの所に「玄海原発」があります。
貧しい漁村だった玄海村は、原発の誘致に非常に(異常に)積極的だし
従順でしたから、現在は裕福な町勢に変貌しています。

T叔父の兄、Ich叔父(母の弟)は、玄海町で医院を開業していますが、
「玄海原発」の産業医も兼務しています。
またT叔父の妻は、「玄海原発」の医務室の看護師でした。
そしてT叔父自身も、一時期は「玄海原発」に勤務していました。

つまり、T叔父自身も周辺も「玄海原発」に深い関わりがあり、彼は
それを誇りに思い、「K電力」に強い信頼感を持っているのです。

またT叔父の話によれば、急に裕福になった漁村の人たちの中には、
厳しい漁業に出るよりも、原発の所員を半ば脅して、お金をせしめる
ことに味を占めた人もいるそうです。

しかし原発の所員は、タカリに抵抗するよりも、原発の平穏な存続を
優先するために、事を荒立てず、できるだけ漁民の要求を受け入れる
方向で対処しているそうです。

ですからT叔父は、実家の賃貸の提案は「K電力」はスムースに受け
容れると考えているようでした。

画像
(註1) 唐津市の縁辺は、豊かな自然環境でしたが、今は空家・廃屋が
 目立って増えてきたようです.


私は、実家を「K電力」に賃貸したいとは思いませんでした。
「玄海原発」や「K電力」には、何となく不信感があるからです。

しかし、T叔父と関係良好であれば、私には都合が良いのです。
私が実家に帰るにしろ、新たに賃貸するにしろ、彼は唐津市在住です
から、何かとお世話になるかも知れないと打算しました。

それに8年前には、Tさんご夫婦に賃貸する際には、Tさんご夫婦は
詐欺師だというT叔父のしつこい電話に苦労したことがありました。
T叔父の提案を受け容れなければ、またあの恐ろしい電話攻勢に悩ま
されると思いました。
あの恐ろしい電話攻勢を避けるためにも、T叔父の命令に近い提案に
従う方が得策だと思いました。

そして私は、「K電力」への提案書を作成しました。
家が太陽光発電施設から徒歩5分以内ですから、休憩所、資材置場や
簡単な加工場として利用できることを説明しました。
この提案がユスリ・タカリの類でないことも説明しました。

書類は「K電力」唐津営業所に郵送しました。
1週間後「K電力」佐賀支店から電話があり、提案を拒否されました。
「飲料水が出にくいような家は使えないんだよ〜」と、胡散臭そうな
声色の話しぶりでした。
大企業の田舎の支店長にありそうな、横柄な印象を受けました。

大企業ですから、建物や土地の買収には難渋していないのでしょう。
「玄海原発」にタカリにくる人もいるので、「K電力」の人たちは、
唐津市や玄海町の住民を心底では信用していないのかも知れません。
ともかく、私は、申し出を断られて、内心で安堵しました。

画像
(註1)
実家は、唐津市中心部と
玄海原発の、ほぼ中間に
あります.

賃貸していたTさんご夫妻は、太陽光発電施設の建設の様子を、毎日
見ていました。
そして「自然保護をアピールする 'K電力'が、どうしてあんなに酷く
自然を破壊するのだろうか...」と、呆れた面持ちで書いた手紙を私に
よこしたことがありました。

Tさんも私も、見えない所で自然を破壊していながら、「クリーンな
エネルギー」を産すると称する企業を、快く思っていませんでした。
私は、そうした企業に実家を利用されるのが嫌だったのです。

しかしT叔父は落胆して、電話口でまた難解な説教が始まりました。
「お前は長男として、甘やかされて育った。だから、真剣さがなくて
折角の申し出を断られたのだ。」

そして「長男だから、弟を実家から追い出すような非情な人間になり、
実家を維持できなくなったのだ。」など、ウンザリする程の私を糾弾
する文言が次々に飛び出してきました。

次男のT叔父は、長男のIch叔父から借りていた家から、突然に退去を
迫られた苦い経験があって、「長男」を快く思っていないのです。
電話は、内心深くにある「長男憎し」の思いが爆発したようでした。

T叔父が、エホバ信者の上弟(次男)の言う「私(長男)に家を追い出さ
れた」という嘘を簡単に信じてしまったのも、「長男憎し」の思いが
いつも心底に燻っているからです。

画像
(註2)
漁業組合の懐柔のために
要求されるままに多額の
資金を援助するそうです.
その費用は、電気料金に
含んでいるのだそうです.

T叔父の私を罵る言葉は次第にエスカレートしました。
「Ch叔母(母の妹)の説教を電話で聞いて、自分の生き方を反省しろ。
心を入れ替えろ。そうしなければ絶交だ」と、言い出しました。

Ch叔母は宗教「Tk教」の幹部であり、性根の曲がった者に説教する
ことを生き甲斐にしているそうです。

私は信仰心は持っていても、宗教心は全くありませんから、神を想う
心よりも、組織への隷属心を煽る宗教には関心はありません。
エホバの嘘も、「Tk教」の脅しに近い説教も、興味はないのです。
これをT叔父に説明し、Ch叔母の説教を聞く気はないと伝えました。

そして、母は私たち兄弟に平等にあたり、私だけに贅沢させたことは
なく、むしろ、私には弟妹を庇うように厳しかったと伝えました。
また、エホバの上弟は「こんな家には住みたくない」と公言していた
のであって、私が家から彼を追い出したことはないことも、T叔父に
説明しました。

しかしT叔父は、「K電力」に提案を断られたことに、自尊心が酷く
傷付いたようで、怒りは収まりませんでした。
ついには、この件とは無関係の話ですが、8年前の墓石撤去の約束を
果たさなかったことに自分には責任はない、と声高に言って、電話を
切ってしまいました。

その後は連絡しても応答がなく、私は絶縁されたようでした。
となれば、「私が非である話」がT叔父から親戚中に広まって、私は
親戚から孤立することになります。
それは残念なことですが、しかしこれで、高慢な親戚とのシガラミが
なくなると思い、私はむしろ歓迎しました。

180420
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下記のサイトの画像を加工しています.
(註1) Google Earth
(註2)「毎日新聞」
 https://mainichi.jp/articles/20170404/k00/00e/040/208000c


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雑観/故郷-17 空家の実家-05 (賃貸)

2018/04/10 12:00
私の実家が空家になる経緯と状況を記録しています.
遠く離れた故郷に空家を抱える方の何かの参考になれば幸いです.
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唐津の実家は、Tさんご夫妻に賃貸しました。
家賃は月2万円で、私の方からは退去を通告しないことにしました。

1000坪の土地と70坪の住宅で月家賃2万円は、市域の端部の山村の
住まいとは言え、T叔父も呆れるほど、かなり安いと思います。
しかし、陶芸家を目指す若い夫婦を応援したいし、私は固定資産税等を
支払うことができれば、それ以上に金儲けしたいとは思いませんでした。

賃貸の所得は、固定資産税や諸経費や控除などを差し引くと、僅かな額に
しかなりませんが、それでも(20万円以下であっても)、確定申告する方が
無難です。

Tさんご夫妻は、高い教養のある方たちですが、対人関係には脆弱な
一面があるようにみえました。
東京の街の喧騒に疲れて、これまで沖縄の石垣島や耶馬渓(大分県)で
田舎暮らしをしてきたそうです。

特に奥様は、少々不便でも、唐津の自然の中の暮らしを楽しんでいる
ようでした。
花壇を作って花を愛で、畑を作って野菜を育て、連れてきた大型犬や
鳥たちと伸び伸び暮らしている様子でした。

奥様はからは、月に一度、家の様子などをメールで教えていただいて
いたので、私は実家を安心して任せることができました。
擬人的な表現ですが、実家も、住むに相応しいご夫婦を迎え入れて、
穏やかな日々を送っているように思いました。

画像

玄関アプローチです.
風水の先生が設計した
ためか、玄関は東南に
向いています.

また奥様は、何かの特殊な感覚をお持ちのようでした。
家の環境を妙に神聖に感じることがあるとか、庭に綺麗な虹ができて
長い間見つめていたとか、空を龍が飛んでいたとか、面白い出来事を
書いたメールをよくいただきました。

しかし、ご主人は、基本的には都会人のようでした。
次第に、山村独特の閉鎖的な雰囲気に馴染めなくなったようでした。
そして、陶芸の世界にも閉鎖的な封建性が残る部分もありますから、
陶芸で生活するのは厳しいようでした。

ついに陶芸は断念されましたが、そうなると唐津ではTさんの知識や
経験を活かせる仕事がなくなるわけです。
そこで、九州大学の大学院を中退されたほどの学力がありますから、
家庭教師を始めたそうです。

しかし、それだけでは、生活を安定できなかったようでした。
そして、ますます、山村の閉鎖性に嫌気がさしてきたようでした。

画像

リビングのテラスと庭です.
私の母はここを花畑にし、
Tさん奥様は野菜と果物の
畑にしていました.

実家に残した家猫は、ご夫婦に大変に可愛がっていただきました。
特にご主人の可愛がり様は、奥様が嫉妬するほどだったようです。
家猫チーは、心底から甘えられる人に、やっと出会えたのです。

しかし、四、五年経って、家猫チーは急に元気がなくなり、ある日、
ロウソクの火が消えるように、スーッと息を引き取ったそうです。
我が子のように可愛がっていたご主人は、ペットロスになったような
様子でした。

その連絡を受けた時、私は涙が止まりませんでした。
私は、家猫チーの臨終を優しく看取っていただいたTさんご夫妻に、
心から感謝しました。

その頃から、急に家屋の傷みが酷くなって、一部に雨漏りもしている
ようでした。
賃貸して6年目頃には、井戸から引く飲料水の配管内部が錆びてきた
ようで、水の出が悪くなってきたようです。
生活水が供給されないことは、生活者にとって致命的です。

実家が築40年であることを考えると、家屋や設備が傷むのは当然で、
それに気付かなかった私が迂闊でした。

画像


左からK、D、L.
Tさんご夫婦が退去
された後の様子です.

生活は不便だったと思いますが、水の出が悪くなったことや、家屋が
傷んできたことなどは、私には、連絡していただけませんでした。
Tさんご夫妻は、私の経済力が微弱であることを、配慮されていたの
かも知れません。
唐津の山村の空気に馴染めなくて、引越しを決めたのかも知れません。

7年後の三月中旬、突然、引越しする旨の連絡をいただきました。
私は驚き、慌て、家の痛みに配慮できなかったことを悔やみました。
私は、引越し費用に充てていただきたいと、5万円を送金しました。
結局は、それは返金されてしまいました。

奥様は家と環境に愛着があって、退去を決めた数ヶ月前から、何度も
何度も泣いたそうです。
早くに事情を説明していただけたら、私なりに対処できたでしょうが、
ご主人は、既に山村の生活に限界を感じていたのだと思います。

退去されて数週間後、ご夫妻から贈り物が届いて、大分県の国東市に
移住されたことを知りました。
奥様は、裏切ったような気がして申し訳ないという気持ちを、手紙に
書いていました。
申し訳ないのは私の方ですが、贈り物は有り難く戴きました。

Tさんご夫婦が賃貸されて7年後、こうして私の実家は、また空家に
戻りました。

180410
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雑観/故郷-16 空家の実家-04 (お墓の移転)

2018/03/30 09:52
私の実家が空家になる経緯と状況を記録しています.
遠く離れた故郷に空家を抱える方の何かの参考になれば幸いです.
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Tさんご夫妻とメールを交わしながら、実家の賃貸を熟考すると共に、
お墓の移転という難題も対処しなければなりませんでした。
実家が空家になると、思わぬ所から様々な問題が続発します。

実家のお墓は、霊園ではなく、実家の敷地内にあったのです。
お墓が個人宅の敷地内にあると、墓地としての知事認可を得ることが
できず、墓地埋葬法に抵触します。
(遺骨を埋葬せずに、墓碑を建てるだけなら、OKですが...)

生前の父は、先祖と一緒に暮らしたいという想いが強くて、敷地内に
お墓を建てたのだそうです。
石材業者は、それが法的に問題があることを伝えなかったそうです。

ともかく、実家のお墓は埼玉に移さなければ(改葬)ならず、それには
唐津市の改葬許可書が必要です。
その発行手続きには、移転元の墓地管理者の埋葬証明書が必要です。
しかし実家の場合、移転元は墓地ではありませんから、埋葬証明書は
入手できません。

私は唐津市に帰って、市役所の窓口の職員に事情を説明しましたが、
ソフトな嫌味を散々聞かされるだけで埒が明きません。
そこで、菩提寺のご住職に一筆したためてもらい、これを役所に提出
して、やっとお墓を移転する法的手続きを済ますことができました。

画像

実家の敷地の西端にある
お墓です.
家から直接には見えない
位置にあります.

急いで埼玉に戻り、すぐにある霊園に新しいお墓を設けました。
経済力が乏しいですから、安価な墓石を探しました。
それでも、石工事が75万円、永代使用料が33万円、その他を合わせ
120万円ほどの費用が必要でした。

すぐに唐津に戻って、菩提寺のご住職に、実家のお墓の「魂抜き」の
法事を依頼しました。

法事が済むとすぐに、骨壺を手荷物として飛行機に乗り込み、遺骨を
埼玉の霊園の新しいお墓に移しました。
骨壺を手荷物扱いにできるかどうかを考える余裕はなく、無我夢中で
運びました。(重かったです)

そして、霊園を運営するお寺のご住職に「魂入れ」の法事をお願いし、
そうして、お墓は埼玉に移転できました。

しかし、空になった墓の石は実家の敷地に残ったままです。
墓石を撤去する石材業者を調べて、また唐津に戻りました。

すると、唐津在住のT叔父が「墓石の撤去は、自分の友人に頼むから、
お前は別の案件を片付けろ」と言ってくれました。
私が一人で七転八倒しているのを見て気の毒に思ったのでしょう。

しかし、これは私の仕事だと思っていたので、有難いながらもお断り
しました。
そこで少し揉めましたが、結局は、T叔父に数万円を渡して、墓石の
撤去を一任し、ひと時の安堵感を味わいました。

画像 画像 画像
(註) お墓仕舞いの例です. 費用の相場は、1uあたり10万円前後の
   ようですが、業者によって、かなりのハバがあります.


ところが、私が埼玉に戻って数日後、T叔父から電話があり「暮石の
撤去はヤッパリ辞めた」と軽く言い放たれました。
あれほど「自分に任せろ」と言っていたのに、理由もなく拒絶され、
私はかなり動揺しました。

慌てて唐津の石材業者に電話しましたが、何故か繋がりませんでした。
賃貸するTさんご夫妻が間もなく越してくるというのに、この状況を
打開できませんでした。

Tさんご夫妻に申し訳なくて、メールでその時の事情を説明すると、
夫妻は気にしないそうなので、本当に安堵しました。
墓石は、既に単なる石だし、見えない位置にあるからでしょう。

もうお金がなくなり、私は疲れて、ついに寝込んでしまいました。
そして迂闊にも、墓石を撤去する意識が遠のいていきました。
数日後、思い出して唐津の石材業者に連絡しましたが、またその時も
電話は繋がりませんでした。
私が番号を間違えたのか、安価な業者が倒産したのか、分かりません。

さらに、恥ずかしいことに、Tさんご夫妻から苦情が来ないのを良い
ことに、いつしか私は墓石撤去の意思が薄れていきました。
怠慢である上に、もうお金がなかったので、私は目前の案件から逃げ
てしまったのです。

実家は、Tさんご夫妻に7年間預かっていただきました。
その間、ただの石になったとはいえ、旧墓石を残したままの状態に、
私はいつも引け目を感じていました。

180330
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下記のサイトの画像を加工しています.
(註)「村山石工」
 http://murayamasekko.com/detail/598/


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雑観/故郷-15 空家の実家-03 (賃貸契約)

2018/03/20 10:00
私の実家が空家になる経緯と状況を記録しています.
遠く離れた故郷に空家を抱える方の何かの参考になれば幸いです.
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私は、Tさんご夫妻を信頼し、実家を預けたいと思いました。
そうすれば、「エホバの証人」の弟たちが、適当な嘘を口実にして、
実家を占拠する心配がなくなります。

そしてその後、いつかは私が単身で実家に住む予定でした。
仕事は住宅の設計ですから、ネットを利用すれば何とかなります。
ただ、私は料理が全くできないので、食事が少々心配でした。

何より、仲が良いとはいえないけど、物忘れが酷くなってきた女房を
埼玉の家に一人残すのが気掛かりでした。

内心では、Tさんご夫妻に実家を預けるに、まだ迷いがありました。
誰かに相談したくても、弟妹も女房も親戚にも...話が通りません。
そこで私は、埼玉の霊園の両親のお墓に何度もお詣りしました。
実家の敷地内にあったお墓を、その霊園に移転して間も無くです。
(お墓の移転に関するブログは、次回に掲載する予定です。)

お墓に花を供えて、実家の経緯を心中で報告し、Tさんご夫妻に賃貸
して良いものか、繰り返し尋ねました。
当然ながら、両親の気持ちを感じることはできません。

しかし、フッと気持ちの良い微風が、頬を触れていく時があります。
それは単なる気候現象ですが、私は好意の徴のように感じました。
その後も何度かお墓詣りしましたが、同じような感覚がありました。

心地よい微風に背中を押されるような気がして、私はTさんご夫妻に
実家を預けようと、はっきり決めました。
他人に説明できる根拠ではありませんが、それで良いと思いました。

画像

埼玉の新しいお墓には
頻繁にお詣りしました.
実家をTさんご夫妻に
賃貸して良いものか、
何度も語りかけました.

私はTさんご夫妻にメールして、2009年10月、唐津の実家でTさん
ご夫妻と面会して、私製の賃貸契約書を交わすことを約束しました。

その旨をT叔父に電話すると、彼は何故か激怒して、賃貸を中止する
よう迫りました。
私が詐欺集団に騙されているという、根拠のない思い込みです。

しかし私は、これまた根拠のない思い込みかも知れませんが、Tさん
ご夫妻は唐津での田舎暮らしを楽しんでくれると確信していました。
結局、T叔父は容認して、面会に立ち会うことになりました。

実家で、T叔父と一緒に、家財や陶器を整理しながら待っていると、
Tさんご夫妻のワゴン車が到着しました。

今回のドライブはスムースでしたが、数週間前に実家を検分した時は、
近くまで来て道に迷ったんだそうです。
少し引き返すか前に進むか...考えていると、白い鳥が車の前方に降り
て来て「コッチだ」と案内しているような気がしたそうです。

そこで車を少し進めると、白い鳥も少し先に行き、これを2,3回繰り
返して、鳥は道路脇の上り道に入って行ったそうです。
その小道を上った先が、実家の玄関でした。

この話を聞いた時は、興味:98%、疑念:2%の印象でしたが、Tさん
ご夫妻は特別な感覚を持つ人たちのような気がしました。

画像

戴いたお土産の一つに、
Tさんが作陶された碗が
ありました.
欲の深さを戒める仕掛け
のある器です.

T叔父は、最初は疑わしそうな目でご夫婦を見ていましたが、奥様が
聡明な美人であるせいか、急にご夫妻に親密になりました。

彼は、ご夫妻に家の内外を率先して案内して廻りました。
彼の変わり様に唖然としましたが、揉め事にならずホッとしました。
契約には、私がネットで調べて勝手に作成した書類を使いました。

井戸水の出が悪かったのですが、蛇口付近の配管をドライバーで掻き
回すと、錆が取れて、以前のように水が出るようになりました。
整理できなかった家財は、ご夫妻に利用していただくか、適当に処分
していただくことにしました。

こうして実家は、2017年3月までの7年間、Tさんご夫妻に預かって
いただくことになりました。

Tさんご夫妻が一旦大分に戻った後、T叔父が帰り支度を始めた時、
私は家の外に出て周囲を歩きながら、家に何度も話しかけました。
「いつか必ず私は戻ってきます。それまで無事でいてください。私が
帰ってきた時は、怒らないで私を迎えてください。」

しかし、家から受ける印象は堅くて、重苦しく悲しい感情でした。
実際、私はもうこの家を訪れることはありませんでした。
実家の姿を見て触れるのは、それが最後になりました。

180320
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雑観/故郷-14 空家の実家-02 (空家そして賃貸募集)

2018/03/10 11:02
私の実家が空家になる経緯と状況を記録しています.
遠く離れた故郷に空家を抱える方の何かの参考になれば幸いです.
□□□□□
実家は、「エホバの証人」の弟夫婦が引越して、空家になりました。
私は、家財整理のため、何度か数日間の帰省を繰り返しました。

市内に、母の末弟のT叔父がいるので、彼の家に宿泊しました。
T叔父は、いわゆる独居老人ですが、私より体力があります。
彼は、実家に残された陶芸の道具などを心配していました。

T叔父は、私を実家まで車で送り、家財整理を手伝い、欲しい物品を
見つけては、私の承諾を得て持ち帰っていました。
私の女房や大阪の妹が手伝ってくれれば、もっと片付いたのですが、
彼女たちは自分の日常生活を優先しました。

「エホバの証人」の弟たちは、「こんな家は住みたくない」と言って
いたせいか、両親の遺品整理にはまったく無関心でした。

画像

(註) 実家の近辺は、のど
かな過疎農村です.
近年はイノシシの出没が
噂されているようです.

実家の整理中に、弟夫婦と鉢合わせになることがありました。
彼らは引越した後も、ほぼ毎日実家に戻っているようでした。
家に残した猫に食事を与えるためです。

上弟の妻も「エホバの証人」の頑固な信者ですが、子猫を絞め殺して
いた弟と違って、動物には優しい一面がありました。

彼女は、私たちにきちんと挨拶しました。
しかし、弟は私の姿を見るなり、サッと身を隠してしまいました。
「自分は兄に家を追い出された悲劇の人だ」と嘘を流布しているので、
私を避けているのです。

画像

両親が趣味の唐津焼の
絵柄のデザインを検討
しています.
家に活気が残っていた
頃の写真です.

両親の生活用具は、埃を被ったまま放置してありました。
弟夫婦は、自分の家財は片付けても、親の部屋には近寄らず、掃除も
しなかったようです。

家の中を片付けながら、T叔父と実家の今後を相談しました。
そして、新たな賃貸先を探すことにしました。
私は単身で実家に移り住むつもりでしたが、女房が同意しないので、
単身帰省は延期する方が良い、という結論です。

私は、賃貸広告の資料にするため、携帯で家の内外を撮影しました。
その間は、両親と家に「空家にしてごめんなさい」と謝り続け、涙が
止まりませんでした。

画像

母を妹とその娘が介護
している写真です.
この後、母は緊急入院
しました.

T叔父は、賃貸広告を不動産業者に依頼するよう勧めましたが、私は、
自分のホームページに1年間だけ広告を掲載することにしました。
閲覧数が少ない上に、サイト内容とは無関係の広告ですから、叔父の
言う通り「素人の無謀」でした。

1年間、ネット広告には、当然、何の反応もありませんでした。
その間は、T叔父が時々家の様子を見て、私も時々帰省しては残った
家財を整理しました。
墓は、墓地法に抵触しますが、敷地内にありますから、これを埼玉の
公園墓地に移しました。

それから1年が過ぎて、ネット広告を削除する直前、大分に住む女性、
Tさんから、実家を賃貸したい旨のメールが届きました。

Tさんご夫妻は、中年の知的なご夫婦ですが、町中の生活には疲れる
性質のようです。
子供はいなくて、犬やオームのペットと暮らしていました。
ご夫妻は、大分で陶芸とパート労働で生活されていました。

奥様が唐津焼に関するネットを閲覧していると、たまたま私のホーム
ページの広告にヒットしたのでした。
私は、この幸運に感謝しました。

画像キッチンテーブルの上で
寝ている家猫です.
元は捨て猫ですが、賢く
甘え上手でした.
淋しい思いをした時期が
ありましたが、後半生は
Tさんご夫妻に可愛がら
れました.

メールを何度もやり取りして、お互いに素性と来歴を確認しました。
私は、家相・風水師が実家の敷地を選定してプランを決定したこと、
「エホバの証人」の弟がいることなどを打ち明けました。

そして、実家に住むならば、家の中の猫と、外の野良猫たちに食事を
与え、見殺しにしないことをお願いしました。
Tさんご夫妻は、これを快諾して、賃貸の意向を示されました。

家賃は私が月2万円を提案しました。
相場よりも低額を提示したのは、私なりの理由がありました。
・陶芸家を目指す若い夫婦を応援したかったから。
・市街地から離れた不便な地域だし、古い家だから。
・家財の整理が不十分なので適当に片付けていただきいから。
・家猫や捨て猫の、できるだけの世話をしていただきいから。
・両親が遺した家の家賃で金儲けしたくなかったから。
・家賃収入が少ないので、確定申告が不要だから。

当時の固定資産税が2万円を少し超える額でしたが、やがては減額に
なるので、大きな損失になるとは思っていませんでした。

画像

祖母が92才の時に書いた
書です.
母も私も、これが好きで
よく眺めていました.

しかしT叔父は、Tさんご夫妻を信用しませんでした。
彼は、奥さんを亡くして一人暮らしを始めた頃、優しい女性の勧誘に
乗って、多額の預貯金を失った苦い経験があったのです。
以来、知的で優しい女性に、警戒するようになったのです。

「奴らは詐欺集団の一味で、お前は世間知らずだから騙されておる、
大分警察に問い合わせて、奴らの素性を調べろ」と、毎朝、ウンザリ
するほどの電話を唐津からよこしました。
詐欺だと言う根拠は「自分の経験」だそうです。
心配してくれるのは有り難いのですが、過剰気味です。

T叔父の援助が今後なくなることを覚悟の上で、私はTさんご夫妻に
実家を預けることに決めました。
面談したわけではありませんが、信頼できる方たちだと思いました。

Tさんご夫妻は、実際に家を検分し、賃貸を最終決定したようです。
その後もメールのやり取りを繰り返して、意思を確認し合って、10月
下旬にTさんご夫妻と実家で会うことにしました。

170310
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註) Google Earth Pro

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雑観/故郷-13 空家の実家-01 (相続)

2018/03/02 10:45
私の実家が空家になる経緯と状況を記録しています.
遠く離れた故郷に空家を抱える方の何かの参考になれば幸いです.
□□□□□
私の実家は佐賀県の唐津市にあります。
市内といっても、市街地からはかなり離れています。
市街地と、あの原発のある玄海町の中間の、山中にあるのです。

山の中ですから、敷地は1000坪ほどあります。
家屋は、鉄骨造の一部二階建で、70坪ほど、築40年の古い家です。

40年前から両親が住んでいましたが、04年と07年に相次いで他界し、
後は、半年間ほど私の弟夫婦が住み、その後は、Tご夫妻が17年3月
まで7年間ほど賃貸で住んでいました。

その後は、実家は空家になりました。
私は独りで移り住む予定でしたが、女房を埼玉の自宅や子供の家にも
残せない事情があって、すぐには帰郷できないのです。

画像
(註1)
実家は唐津市の西端部の
寂れた山村にあります.
最寄りのコンビニまでは
2.5Kmも離れています.

この山中に家を建てる前は、私たちは市街地に住んでいました。
1973年、上弟は、大学を中退し、カルト「エホバの証人」の組織に
入って家を出ました。
「家を捨てて、親と兄弟を捨てて、入信した」と、悲壮感と恍惚感の
混じった表情で私たちに宣言しました。

両親も私も「エホバの証人」が大嫌いで、上弟を避けました。
上弟は「世界はもうすぐ破滅して、我々だけが生還する。お前たちの
死体は片付けてやらないからな...」と、私たちを蔑んでいました。

私が結婚する時は「結婚は淫行だから、お前は死ぬ」と脅しました。
しかし、そう言って脅した上弟は、自分も結婚して、嬉野市でカルト
活動を続けていました。

両親は、山中に建てた実家に移り、陶芸しながら暮らしていました。
しかし突然、弟夫婦が実家の静かな暮らしの中に転がり込んできて、
「住む家が見つかるまで、部屋を借りる」と言ったそうです。
両親は、渋々その約束を信じて、弟夫婦を二階に住まわせました。

しかし、上弟は家を探す様子もなく、就労もせず、両親の年金をあて
にして生活し、カルトの集会と宣伝に熱中していました。
両親は、自分の子供ですから、退去を強要できず、「そのうちに出て
いくだろう...もう少しの辛抱だ」と我慢していました。

以前は、枚方の妹とその娘も、実家にはよく遊びに行っていました。
しかし、妹は「実家に行く度に、上弟夫婦が居着いてから、何故か、
家の空気が重く悲しく変わったような気がする」と、募る不安を私に
訴えるようになりました。

私も、妹と同様に霊感はありませんが、全く同じ不吉な印象を感じて
いました。
しかし、老いた両親には、それは言いませんでした。

画像
少し山の中に入りますから、
道路からは屋根の一部しか
見えません.
慣れないと見過ごして通り
過ぎてしまいます.

やがて両親は老いていき、父は入院し、まもなく他界しました。
埼玉にいる私は、母の介護のために実家に戻るべき時だと悟り、独り
帰郷する準備を始めました。

しかし母は、私と女房の仕事を気遣って「上弟の妻が面倒みてくれる
から...」と、私の帰郷を止めました。
本心では長男の私に帰ってきて欲しかったのでしょうけど、私は母の
気持に甘えて仕事を優先し、帰郷を延期することにしました。
これが、後年、辛い悔恨を残すことになりました。

また母は、私が実家に帰れば、上弟夫婦が家に住み続ける理由である
「両親の介護」という建前がなくなることを心配していたのです。
「エホバの証人」を嫌っていても、内心では上弟夫婦に哀憐を感じて
いたようです。

画像
 左は実家の南側の玄関部、右は東側の外観です.
 写真は空家状態の時ですから庭は荒れています.


母が亡くなる前、私が介護のために一時帰省した時、上弟は「こんな
家には住みたくない」と私と妹に言っていました。
「家賃はいらないから住んでください...と頼まれた家が数件あって、
断るのに苦労している、だから、こんな家は早く出たいよ」と。

たしかに、上弟夫婦にとっては、「エホバ嫌い」の思いが染み付いた
家は住みにくいのかも知れません。
そして、両親の他界後は「介護」の理由がなくなるので、今のうちに
引越しを考えているのだと思いました。

それに、実家は飲料用に水道を引かず、井戸水を使用していますが、
その頃、井戸水の出が悪くなってきたのです。
井戸は枯渇していないので、モーターの老朽化か、管内の錆び付きが
原因だと思います。
ともあれ、水の出が悪いことも、引越したい理由のようでした。

私は上弟の意向を知って、大急ぎで帰郷の準備を始めました。
しかし間に合わず、母の容体が急変し、他界してしまいました。

私は母の看護師から聞いて、上弟の介護の嘘を知りました。
また、介護費として上弟に預けた母の年金を流用していたことも判明
しました。
今でも、上弟を信じて母の介護を任せた自分の迂闊さを悔い、怒りに
苛まされて不眠が続くことがあります。

画像
介護のために私は度々
帰省していました.
父が元気な時は、私が
唐津焼の絵付けをする
際は、いつもこうして
指導していました.

母は生前、「家は絶対に"エホバの証人"に使わせてはいけない」と、
上弟夫婦が不在の時に、私に強く言っていました。

また、相続会議の場で、上弟は相続の放棄を明言しました。
下弟も妹も、実家は維持できないので、相続しないと言いました。
そこで全員が納得して、実家は私が相続することになりました。

実家を出て行きたかった上弟には、引越しの準備があるでしょうから、
それまでの間は、賃貸の形式で家を使って良いことにしました。
その頃の固定資産税が2万円を超えていたので、上弟には賃料として
半分以下の1万円を要求しました。

画像

母が自宅で療養している
頃のリビングです.
左端はダイニング・キッ
チンのテーブルです.

しかし自ら家を出たいと言っていた上弟は、何故か「自分たちは兄に
家を追い出された」と吹聴して、下弟と連署して意味不明な質問状を
送りつけてきました。

上弟は「エホバ嫌い」の私に家賃を払うのが屈辱なのかも知れません。
あるいは、弟たちは、母が心配した通り、実家を「エホバの証人」の
集会所にしようと計画していたのかも知れません。
下弟は「相続会議を破棄して、実の兄弟だから弟に家を譲渡しろ」と
電話で私を叱りつけて来ました。

下弟も「エホバの証人」の熱心な信者です。
彼らは、兄弟というより、上司と部下の関係にあります。
上弟が近くに捨てられた子猫の首を絞めて殺していた所業についても、
下弟は「正しいことだ」と褒めて是認するほどの上下関係です。

彼らは「訴訟を起こすぞ」と脅しているようでしたが、私はこの件を
世間に公開するチャンスだと思い、喜んで提訴を承諾しました。
しかし、その後は何故か、私が催促しても、彼らは訴訟について一切
無言になりました。

画像


訪ねて来た友人の奥様と
母が、庭で草花を手入れ
していました.

その後は、上弟は「入金ス」の文言を走り書きした、クシャクシャの
紙の切れ端を私に郵送して、賃料を振り込むようになりました。

そして半年後の2008年7月、「入金ス 退去ス」と走り書きのメモを
送りつけて、上弟夫婦は何処かに越して行きました。
後で分かったことですが、夫婦は隣の地区の借家に移り、時々実家の
様子を伺っていたそうです。

その後、実家は空家になりました。
そして1年3カ月後、Tさんご夫妻に賃貸することになりました。

180302
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1) Google Earth Pro
(註2) グーグル・ストリートビュー


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暮らし/日常-36 遠慮せずに雪カキすれば...?

2018/02/20 15:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
1月22日は、私の住む地域でも、昼から降雪が続きました。
翌23日の朝は、20cmほどの積雪がありました。

その日は火曜日、ゴミの日です。
朝7時の時点では、ゴミの集積所には、普段より少ない2,3の袋しか
出してありませんでした。
道路に雪が積もっていて歩きにくいので、ゴミ出しが少ないのです。
実際、誰かが転んだ後が数箇所もありました。

ゴミ出しは多くは女性だし、高齢者もいるので危険です。
「これは何とかしなくては...」思いました。
道路には誰もいなかったので、私は急いでハンテンを着て、物置から
長靴とスコップを取り出し、一人で雪カキを始めました。

誰かに見られると、それが「オレガ」夫婦に伝わり、「アイツ、ええ
カッコしやがってぇ」と、イジイジと陰湿なイヤガラセを始めるので、
気持ち悪いし面倒だからです。

画像

23日の朝9時前の道路の
写真です.
雪カキを終え、「オレガ」
が騒いで、隣人がいなく
なった後の状況です.

私は腰痛持ちですから、自分にできる範囲で、ワダチの跡を歩けるよ
うに雪カキして、すぐに終わるつもりでした。
しかし、拙宅付近を雪カキすれば、他のゴミ出し動線も気になって、
とうとう、かなり長い距離を雪カキしてしまいました。

終わる頃、「オレガ」夫婦の子分的な人に見られてしまいました。
ちょうど足腰が痛くなってきた時なので、そこで止めて帰りました。

その時に、数名の隣人が出てきて、通勤通学のために自宅の玄関前を
雪カキを始めて、少々賑やかになってきました。
すると、何かと騒ぎが好きな「オレガ」も慌てて出てきました。

私が自室で半裸になって汗を拭いていた時、「オレガ」は私が雪カキ
したことを知ると、急に興奮して大声で隣人に叫び出しました。
私と彼は、外壁一枚を隔てた距離にいるので、よく聞こえます。

画像

23日12時頃の写真です.
かなり溶けてきましたが、
朝と夜は路面が凍結して
滑りやすくなりました.
日陰の雪は一週間ほどは
溶けませんでした.

「道路側の人は雪カキするのは当然だがね、オレは奥だから雪カキは
ヤンねーよ」と叫んでいました。
「親分のオレガ雪カキしないのだから、お前たちも止めろよ」という
意味です。
普段は私のことを「アイツ」と呼んでいますが、今回は「道路側の人」
と言っていました。

彼は、近所の人がゴミ出しに行く道を歩けるように、私が雪カキした
ことが気にくわないようです。

何らかの奉仕らしい作業をすれば、誰彼なく「オレガ...オレガ...」と
言って「ありがとうございます」の言葉をおねだりし、その後「俺は
ミンナから感謝されとる...」と、私に自慢する人です。
今回はそれができなくなって、面目を保てないと思ったのでしょう。

「オレガ」親分の意向を察した隣人たちは、静かに姿を消しました。
何とも...奇妙な雰囲気の漂う地域です。

画像


泥雪がついたスコップと
長靴を天日干しした写真
です.
数日前に購入しておいて
良かったです.

なかなか雪が溶けず、同様な朝の光景が、一週間近く続きました。
近隣には、「オレガ」の子分にならず、しかしイヤガラセの対象から
外れた男性もいます。
ある朝は、その男性と二人で、溶けない日陰の雪を片付けました。

雪カキが一段落して二人が帰宅した後、すぐに「オレガ」が現れて、
「放っとけば雪は溶けるんだよ...まったく余計なことしやがって」と
大声で独り言を呟いていました。

しかし、「オレガ」は日陰の自分の家の積雪がやはり邪魔になるので
しょう...片付け始めました。
しかし少量ですから、すぐに終わりました。

その日、午後の日差しを受けて、積雪は少なくなりました。
「オレガ」は表道路に出て、腰をトントン叩きながら、近隣人たちに
「足腰が痛えや...」と笑顔で話しかけていました。
「自分が雪カキした」と発言しないところは、サスガです。

隣人たちは「お陰様で...」と礼を言い、中には贈り物を差し出す人も
いました。
後日、「オレガ」は勝ち誇ったような笑顔を私に向けて、嬉しそうな
満悦した様子でした。
呆れつつ、これで当分は平穏な日が続きそうだと思いました。

180220
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雑観/世相-20 空港と飛行機での雑観-5

2018/02/10 10:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
■■ 飛行機の走る足音 ■■

滑走路は、アスファルトコンクリートで舗装されています。
滑走路には、大型機がタッチダウンする時は、時速200kmで250tの
荷重が掛かります。
ですから、舗装は非常に硬く、厚さは2〜3mもあるそうです。

滑走路の中央には「滑走路中心標識」がマークされています。
自動車の道路のセンターラインを大きくしたようなもので、幅90cm、
長さ30mの白線が、30m間隔でペイントされています。
基本は白色ですが、積雪寒冷地の空港では、雪とコントラストさせて
見やすくするために、黄色の線が塗布されています。

そして、視界不良時や夜間に、パイロットが滑走路のセンターを認識
できるように、「滑走路中心標識」(白線)の外側に「滑走路中心線灯」
(直径30m程度のライト)が、30mか15mの間隔で埋設されています。

画像画像
(左/註1) 関西国際空港の新滑走路. 「滑走路中心標識」です.
(右/註2) 富士山静岡空港の滑走路. 「滑走路中心線灯」です.


この埋込型灯器は、滑走路面から1.5〜2cmほど突出しています。
これを滑走路に埋め込むと、飛行機は着陸体勢時は地面に3°の角度で
侵入するので、パイロットがこれを視認しづらくなるからです。

この「滑走路中心線灯」は、飛行機が踏んだ程度で壊れるようなこと
はありませんが、走行する時に前輪で踏むと「ゴトンゴトン」という
音と振動が機内の客席まで伝わってきます。(註3)

ですからパイロットは、離着陸の際、乗客の快適性のために、前脚の
2本のタイヤで「滑走路中心線灯」を挟むか、タイヤから少し外して、
音や振動が出ないように操作しているのだそうです。

画像
(註4)
山口宇部空港の滑走路.
中央部が「滑走路中心
標識」と、その外側に
15m間隔で埋設された
「滑走路中心線灯」です.

しかし私は、せっかくのパイロットの配慮なれど「ゴトンゴトン」の
音と振動は好きです。
「滑走路中心線灯」を前輪で踏みながら走行するパイロットは、操縦
技術が習熟していないのだ、というコメントは多いようですが、私に
とっては、これが搭乗の際の楽しみの一つなのです。

誘導路のタキシング時は「トン...トン...」と、ゆっくり聞こえます。
離陸する時、次第に早くなって「トッ..トッ..」ー「トットットッ」ー
「トトトトト..」、そして音と振動がなくなると浮上しています。

画像画像
(左/註5) 前輪でライトを踏む音は、棒高跳び選手の助走の足音に似て
 いるように思います. 徐々に早足になり加速していきます.
(右/註6) 早足で十分に加速して急上昇します.


つまり私は、飛行機のこの足音を、棒高跳びのアスリートが助走する
時の足音にイメージしているのです。

飛行機が加速すると、前輪がライトを踏んでいく音と振動の間隔は、
当然、次第に狭くなっていきます。
それが、棒高跳びの選手が、加速して助走する様子をイメージさせる
のです。

飛行機の離陸は競技ではありませんから、失敗は許されません。
確実に飛び上がるために、必死の形相で走る様子が思い浮かびます。
そしてフワリと浮かんで上昇していく時、懸命に走った飛行機が妙に
いじらしくなって「頑張ったね、ありがとう」を言いたくなります。

ほんの40秒ほどの時間ですが、心地よい緊張感のある素敵なドラマを
観劇したような気がするのです。

画像
パリC.D.G空港で見た
「Airbus A320」です.
主翼の両端部に小さな翼
(ウィングチップ/翼端の
空気抵抗を減らす)の形に
特徴があります.

着陸時も、運良く習熟度の低い(?)パイロットが操縦する場合であれば、
「滑走路中心線灯」を踏んで走行する音が聞こえます。

「ドスン」とタッチダウンして「トトトトト...」の速い足音、次第に
音の間隔が広くなって、飛行機は歩くように「トン..トン..」の調子で
目標のスポットに向かいます。

降機してボーディング・ブリッジを歩く時、飛行機を振り返り見て、
綺麗な助走と踏み切り、スムースなジャンプ、見事な着地に感謝して
心中で「快適でした、ありがとう」を念じます。

こうした非科学的な妄想は、恥ずかしくて、なかなか人に言えるもの
ではありません。
独り密かに楽しむのが順当ですが、心身ともに耐用年限が切れそうな
気配を感じる昨今、機会あれば小出しにしていこうと思っています。

180210
□□□□□
下記のサイトの画像を加工しています.
(註1)「関空新滑走路を歩く」
 https://4travel.jp/travelogue/10134448
(註2)「白いツバサ@cocolog」
 http://wing.cocolog-nifty.com/wing/2009/02/28-8213.html
(註3)「youtube」に、離着陸時に滑走路中心線灯を前輪で踏んで走行
 する音を聞き取れる動画があります.
https://youtu.be/T-hr234ph60ー離陸/0:29頃
https://youtu.be/0jkRhIMZAZoー離陸/4:00頃
https://youtu.be/59ymnKUi49Aー着陸/1:50頃
https://youtu.be/G6hPaYblCccー着陸/0:47頃
https://youtu.be/uDemtEfKoCwー離陸/7:30頃, 着陸/32:33頃
(註4)「流浪オヤジの探検日記」
 http://blog.goo.ne.jp/esper-hk/e/1795b364c41104f9680c03cd5066a1a6
(註5)「gooニュース」
 https://news.goo.ne.jp/picture/fieldandtrack/pg-20130429-08.html
(註6)「東京大学基金」
 http://utf.u-tokyo.ac.jp/sports-result/23.html




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雑観/世相-19 空港と飛行機での雑観-4

2018/01/30 12:50
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
■■ ドスンと着陸するのは... ■■

私の娘婿はタイへの出張が多くて、よく飛行機を利用しています。
彼が言うには「最近の飛行機はドッスンと着陸するのが多いんです。
タイ便には未熟なパイロットが多いんでしょうかね...」

そこで私は、知ったかぶりして「ドスン着陸」を説明しました。
・・・・・
「フワリ着陸」だと、横風を受けて機体がフラつくことがあるし、
滑走路面が濡れていると車輪が浮いて(ハイドロプレーニング現象)、
ブレーキが利かなくなる危険性がある。

しっかり接地する方が機体が安定するし安全だから、腕のいい機長は
わざと「ドスン着陸」しているのだ。
逆に「フワリ着陸」するのは、経験の少ない機長なんだ。
・・・・・
得意げに説明しましたが、娘婿は素直に納得して、「さすがに...よく
知ってますね」、と私を持ち上げます。
私はいい気分になって、不覚にも深酒してしまいました。

画像画像

(註1) 私は、離陸よりも、着陸の時の方が緊張感が高まります.
 乗客と燃料等を含めて約390tの重量を地上に降ろすわけです.
 着陸後はいつも、航空工学や操縦技術に感銘を受けています.


翌日、二日酔いで軋む頭を抱えていると、酒席での「ドスン着陸」の
説明はあれでよかったのか...次第に心配になってきました。
それで、ネットを使って調べました。

パイロットは、快適性と安全性の両方を満足すべく努力しています。
ですから、滑走路が長くて天候が良い場合は、快適に「フワリ着陸」
するそうです。
良い条件でなければ、安全性を優先して「ドスン着陸」するそうです。

ですから、「フワリ着陸」と「ドスン着陸」は、パイロットの技術の
巧拙に関係しないのだそうです。
つまり、私が娘婿に説明したのは、内容が不十分だったのです。
ただし、好条件が揃っているのに、「ドスン着陸」しかできないので
あれば、習熟したパイロットとはいえないようです。

画像

(註2)
滑走路が、快適性よりも
安全性を優先すべき状況
の時に、敢えて「ドスン
着陸」しているそうです.

「フワリ着陸」は、乗客に快適でも、飛行にはデメリットがあります。
・早いスピードが必要ために、長い距離を走ることになり、滑走路を
 オーバーランする危険が高くなります。
・主輪が跳ね返って機体が浮き上がって、再び飛行状態になる(バルー
 ニング)可能性があります。
・滑走路面と機体に挟まれた空気がクッションになって、失速に近い
 速度で滑走路上を不安定に漂う状態になり、危険度が増します。
・オートブレーキの作動が遅れる可能性があります。

安全性確保のために、そのようなデメリットを回避するため、敢えて
「ドスン着陸」しているのです。
・着陸スピードが遅いし、接地抵抗が高くなるので、滑走距離が少し
 短かくて済みます。
・着陸の衝撃で車輪のサスペンションが縮んだ瞬間に、機体が「地上
 モード」に自動的に切り替わり、オートブレーキが作動します。

画像画像

(左/註3) B747-400には、5本の脚に直径120cm、幅50cm、重量
 120kgのタイヤが18個使用され、約390tの機体を支えています.
(右/註2) タイヤは、擦り減った部分を除去し、再度ゴムを貼り付けて
 再利用されます.


タイヤは、着陸するまでは上空の-50℃ほどの低温の中にあります。
それが、着陸時は、時速約250kmですから、接地した瞬間は、路面と
の摩擦熱が200℃以上になり、タイヤのゴムが蒸発してパッと白煙が
上がります。

そして、静止状態から急激に時速250kmで回り出し、その直後に時速
10kmまで一気にブレーキをかけられます。

タイヤは、着陸の衝撃でパンクすることはないそうですが、想像以上
に過酷な使用環境です。
さすがに、1日に6,7回の着陸を繰り返すタイヤは、一か月半ほどで
交換されるそうです。

娘婿に説明した「ドスン着陸」を修正するために少し調べただけで、
さらに詳しい雑学知識を得ることができました。
また機会があれば、共通話題の僅少な娘婿と、飛行機の話をツナギに
して酒を飲み交し、もう少し近しい関係になりたいと思っています。

170130
□□□□□
下記のサイトの画像を加工しています.
(註1)「JA8094's 航空機 Diary」
 http://ja8094.jp/blog-entry-508.html
(註2)「おくたま経済新聞」
 http://otakei.otakuma.net/archives/2013082202.html
(註3)「雑学ネタ帳」
 http://zatsuneta.com/archives/003316.html



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雑観/世相-18 空港と飛行機での雑観-3

2018/01/20 10:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
■■ スチュワーデス ■■

「スチュワーデス」は、かつては若い女性の憧れの職業でした。
別の意味で、多くの男性にとっても憧れの対象でした。

個人的には、金髪に似合いそうな真赤なスーツのオーストリア航空、
異国情緒を感じるスーツのエミレーツ航空、華奢なデザインの制服の
シンガポール航空の「スチュワーデス」が好きです。
...それは、どうでもいいことですが...。

「スチュワーデス/Stewardess」の呼称は、本来は「ブタ小屋の女性
管理人」という意味である、という解説が多数あります。
「Stig=豚小屋」と「Weard=番人」の合成語だそうです。

たしかに、意味不明な言語で喋り、時々奇声をあげる様子は、ブタが
「ブヒ、ブヒ...」と言っているように聞こえるかも知れません。
「スチュワーデス」たちが機内食を配膳する様子は、「エサやり」に
見えるかも知れません。

画像(註1) 一見すると華やかな
職種に見えますが、大変な
労力を伴う仕事です.
この仕事は「ブタ小屋の女
番人」の「エサやり」には
見えません.

そう見れば、乗客は「ブタ小屋のブタ」であるわけです。
しかし、それは、かなり侮蔑的であり自嘲的な見方です。

ですから、アメリカでは1980年頃から「スチュワーデス」に代わり
「フライトアテンダント/Flight Attendant」や「キャビンクルー/
Cabin Crew」を使うようになったそうです。

日本航空では、1998年に「スチュワーデス」に代わって「キャビン
アテンダント/Cabin Attendant(和製英語)」と言うようになりました。

ところで、「スチュワーデス」は「ブタ小屋の女性管理人」を語源と
していないという説もあります。

「Weard=管理人」は同じですが、「Stig」は「豚小屋」ではなくて
「家」の意味だという説です。(註2)
つまり「スチュワーデス」は、「(特に食卓に関する)女性の執事」と
いう立派な職業の呼称なのです。

しかし「Stig」が「Sty=豚小屋」に近いので、「スチュワーデス」は
「ブタ小屋の女性管理人」...これが通説になったというのです。

画像
オーストリア航空のCAの
サービスの様子です.
高齢の金髪CAは、片言の
ドイツ語にも親切に対応
してくれました.

どちらが真説なのかは判りません。
心情としては、CAの名誉のために、後者の説を採りたいと思います。
しかし、ヨーロッパの航空機内で金髪の美人CAが、乗客が眠っている
側の通路をドスドス...とガニ股で急ぎ歩く姿を見た時は、私は「ブタ
小屋の女性管理人」を思い起こしました。

CAは、最近は、女性の憧れの職業ではなくなってきたようです。
ステータスが低下した理由は、だいたい以下のようです。
・かなり体力を使うし精神的にもシンドイ.
・職場が女の厳しい縦社会の密室(機内).
・クルーは宇宙線(放射線)を多く浴びる.

特に宇宙線については「クルーの被曝量は放射線職業人の3〜4倍」
であり、皮膚ガン、乳ガン、白血病の発症率が高いという調査結果が
報告されています。

アメリカの運輸省は「Aircrewの放射線被爆の知識」に関する情報を
公開しています。
日本では、その被曝量の影響に関する具体的な調査結果がないので、
航空会社は何も対策していないようです。

画像

オーストリア航空には
フライング・シェフが
同乗していて、配膳は
非常に丁寧でした.

それでも、CAを理想の女性とする男性は多いようです。
美形だし、気配りができるし、英語ができるし、頭もいいし...。

でも、そういう理由でCAを理想化することは、「自分に都合の良い
女性」とみているような気がします。(私もそうでしたが...)

やはり、心が折れることもある辛さがあっても、ただ飛行機が好きな
ために、笑顔で職務に就く、そういうCAの心意気を讃えたいです。

見栄や損得に固執しない仕事っぷりは、見てて気持ちがいいです。
自然に「ありがとうございます」が出てきます。
その時は「ブタ小屋の女性管理人」のイメージは微塵もありません。

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下記のサイトの画像を加工しています.
(註1)「youtube/大韓航空の機内食」
 https://www.youtube.com/watch?v=J8bwHLzGAbs
(註2)「Bosworth-Toller Anglo-Saxon Dictionary」
 http://bosworth.ff.cuni.cz/028981



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雑観/世相-17 空港と飛行機での雑観-2

2018/01/09 11:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
■■ 壊れやすいものは...? ■■

私は、酒は何でも好きです。
量を必要とせず、酒癖も悪くありません。(...と思います)

ただし、気持ちよく酔うと、たま〜に人を揶揄いたくなります。
不快な悪戯や意地悪ではなく、真面目な人に軽いジョークを言って、
ほんの少し困惑した笑顔を見たくなるのです。

画像

(註1) 画像は2011年に
オープンした店ですが、
友人と飲んだ時もこの
ような感じの飛行機の
見える店でした.

10数年前、唐津での用を済ませて埼玉に帰る際、福岡空港で再会した
友人と、ターミナルビルのレストラン(2F)で酒を飲みました。
搭乗手続きのリミット直近まで、たくさん話をして気持ちよく酔って、
ビルの入口(1F)まで一緒に戻り、そこで別れました。
(その後ろ姿が、私が生前の友人を見た最後になりました)

友人は地下鉄の駅(BF)に向かい、私はチェックインカウンター(1F)に
急ぎました。
美形の女性職員は、私は酔っているので、余計に美形に見えました。
手荷物を預ける時、彼女は「壊れやすいモノは、ありませんか?」と
訊いてきます。

すると急に、例の妙な酒癖がムズムズと湧いてきました。
「壊れやすいのは..."私の心"です」
酔っていたせいか、柄にもなくキザな言葉を吐いてしまいました。

画像
(註2) 女性職員の笑顔の
親切な対応には感謝して
います.
たまに、軽いジョークを
言ってみたくなるのは、
強い女性への憧れと甘え
でしょうか...

美形職員が困った笑顔を見せる瞬間を、楽しみに待っていました。
しかし、彼女は少しも動揺せず、アッサリと「ハイ...次の方」。
私の酔ったニヤケ顔を無視して、肩越しに、後ろの客を呼びました。

彼女の反応は、私の幼稚な揶揄い心を、あっけなく粉砕しました。
久々に、女性に振られた感情に近い感覚を味わいました。

空港職員は、私のような酔客には慣れているのかも知れません。
神経を使う仕事を日々忙しく処理していると、次第に気丈夫になり、
鼻の頭の赤い酔っぱらい爺さんの意味不明なジョークには、イチイチ
構っていられないのでしょう。

私は意気消沈して、保安検査場(2F)に急ぎながら、恥ずかしさで胸が
いっぱいになりました。
妙な酒癖の誘惑に負け、美形職員の動じない姿勢に負けて、いじけて
しまいました。
「壊れやすいのは..."私の心"です」は、そこで現実化したのです。

180109
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下記のサイトの画像を加工しています.
(註1)「no second life」
 https://www.ttcbn.net/no_second_life/archives/57920
(註2) 「ピアノと飛行機」
 https://pianotohikouki.com/fukuoka-airport/firstclass/jgc/check-in



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雑観/世相-16 空港と飛行機での雑観-1

2017/12/21 09:55
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
■■ グッバイ・ウェーブ ■■

飛行機を好きな人は、老若男女問わず、多いようです。
私も、好きだった亡K叔父の影響で、飛行機が好きです。
K叔父は、戦中は零戦に乗っていて、戦後はパイロットの教官でした。
私は幼い頃は、飛行機の話を聴くのが楽しみでした。

私はK叔父に憧れて、パイロットになるのが子供の頃の夢でしたが、
夢は叶わず、別の分野に進んでしまいました。

しかし、気分が妙に落ち着かない時は、ジャズや映画音楽を聴くほか、
You-Yubeで飛行機のエンジン音を聞いています。
変かも知れませんが、それで気持ちが和んでくるのは、心の何処かに
飛行機を操縦する夢の欠片が残っているのかもしれません。

画像
(註1)
「しっかり整備したので
安全な空の旅を楽しんで
ください」と手を振って
いるように見えます.

私が飛行機に搭乗する時の楽しみの一つにしているのが、「グッバイ
・ウェーブ/Good-Bye Wave」を見ることです。
飛行機がブッシュバックを終えて、タキシングを始める時、作業服を
着た整備士たちが、ずっと手を振って見送ってくれるのです。

「グッバイ・ウェーブ」を、営業用のパフォーマンスとみる人もいる
かも知れません。
しかし多くの方は、彼らの「あなたの空の旅が、素敵なひと時であり
ますように...」という想いを、しっかり感じ取っていると思います。

私も後者の方で、窓外にこれを見た時は、勝手に胸を熱くしています。
旅行の時は気分が高揚し、悲しい思いを抱えている時は慰められます。

画像

(註2)
安全確保のために作業は
続行しますが、少しでも
手の空いた人は整列して
手を振っています.

「グッバイ・ウェーブ」の起源については、いくつかの説があります。
・整備士がパイロットに手を振って「異常なし」を合図した.
・飛行機の窓から手を振る乗客を見た整備士が手を振って応えた.

中でも有力な説は、1973年頃の沖縄空港で、ANAの整備士が始めた
見送りの手振り(グッバイ・ウェーブ)です。
単行本「 空の上で本当にあった心温まる物語」の他、多くのサイトで
紹介されています。

以来、「グッバイ・ウェーブ」の話は広がって、規定やマニュアルは
なくても、ANAやJALの就航する空港では実行しているそうです。
海外では、仁川、金浦、ロスの空港で行われているようです。

画像画像画像
(註3) -20℃の中で、空港職員と雪だるまが手を振っています.


私は「グッバイ・ウェーブ」を見るために、座席は窓際を選びます。
窓際の席がない時は、諦めて中央の島の通路側を選び、タキシングが
始まったら「グッバイ・ウェーブ」を想像しています。

運よく窓際の座席を確保できて「グッバイ・ウェーブ」が見えた時は、
「ありがとう...行ってきます」の気持ちで、周囲の視線を気にして、
控えめに手を振り返します。

画像


(註4)
単に手を振るだけでなく、
笑顔で見送っています.

控えめに手を振る理由は、しっかり手を振り返して恥ずかしい思いを
した過去があるからです。
少し離れた座席の二人連れのオバ様たちに見られたのです。
「見えやしないのに...それに爺さんが手を振っても絵にならないね、
ククク...若い娘ならいいけどね...」と笑っていたのを憶えています。

その通りです...オバ様たち、言い得て妙です。
そして私の気持ちは、羽田から福岡までの2時間、曇っていました。

それでも「ありがとう...行ってきます」の想いを伝えたいので、今も
人に気づかれないように、ちょっとだけ手を振り返しています。
嬉しい気持ちになれるのです。

171221
□□□□□
下記のサイトの画像を加工しています.
(註1)「Nikon」
 http://www.nikon-image.com/enjoy/life/familyphoto/technique23.html
(註2)「imgrum」
 http://www.imgrum.org/tag/グッバイウェーブ
(註3)「青い滑走路」
 http://www.waypoints.blue/entry/jal566_mmbhnd
(註4)「Let's begin!」
 https://ameblo.jp/mmato2001/theme4-10079304004.html


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暮らし/日常-35 お線香の香りは好き?...嫌い?

2017/12/10 10:55
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
私は、お線香の静かな印象のある香りが好きです。
しかし女房は、どんなお線香も大嫌いです。
ですから、毎朝夕に仏壇に焼香する私と、女房はよく衝突します。

仏壇は私の部屋に置いていて、女房が留守の時にお線香をあげます。
しかし彼女は、機嫌が悪いと、お線香の残り香に敏感に反応します。

最近、たまには香りを変えようと、いつもと違うお線香を焚いたら、
それが微香性でなかったために、女房は爆発しました。

物凄い形相で私を睨み、自室に閉じこもってしまいました。
おそらく、この数週間は、私を避けるようになり、極端に少ない必要
最小限の言葉でもインギンな調子になります。

女房は、生家の父親や親戚の仏様には、普通にお線香をあげます。
しかし、その時だけ、息を詰めて我慢している風には見えません。
それに、年に2回は墓参して、焼香する私の近くにいますから、私の
仏様や親を嫌っている風でもなさそうです。

訊けば「大嫌いなものは大嫌い」と答えるだけです。
なぜ、拙宅のお線香を極端に嫌うのか、今でもよく解りません。

画像
(左) いつも使っていた
微香性のお線香.
(右) 香りを変えようと
思って購入したお線香
ですが、これが香りの
強いお線香でした.

お線香は、古代インド(漠然とBC.6c[古代国家形成]〜AD.6c[グプタ
朝])で発祥し、16c後半、その製法が中国に伝わったそうです。
日本には、14c頃(室町時代)に伝播し、17c後半頃に国内生産され、
一般に広まっていったようです。

お線香には、白檀や伽羅などの香料を練りこんで、アロマテラピーと
医療を目的として製造されました。
安価なお線香には、杉の葉の粉末が使われています。

私が使うお線香は、高価ではありませんが、女房に気を使って、煙が
少なく、微香性のものを選んでいます。

たまに間違えて、普通の線香をあげた時に、女房は爆発するのです。
私は鈍感ですから、少し時間が過ぎてから気が付き、慌てて消します
が、もう遅いのです。
残り香が私の部屋に染み付いて、それが家中に漏れ出るのです。

画像
(註1)
上野の国立科学博物館に
展示してある「線香時計」
です.
新吉原(浅草寺の裏辺り)で
使用されていたそうです.

なぜ、女房が拙宅のお線香を嫌うのか、理由は解りません。
ですから最近は、前世に理由を求めるようになりました。

お線香は、長さが数種あり、燃焼時間も様々です。
一般家庭で使われるお線香は、長さが14cm、約25分で燃焼します。
その燃焼時間は、庶民が時計を持てない昔は、時計代りに利用されて
いたそうです。

江戸時代では、芸者や遊女の料金を、お線香を焚いて時間を計って、
その本数で勘定していたようです。
一本で料金が幾ら...ですから、若旦那は「今日は三本でお願いします」
などと言っていたそうです。

ちなみに、「一本立ち」という言葉は、芸者がお線香一本分の時間は
客を飽きさせない、つまり「一人前になった」という意味です。

画像
(註2)
遊郭の主人が終了時刻を
知らせに来た場面なので
しょうか...
「もう若旦那っ...時間で
すよっ」と言っているの
かも知れません.

また、遊女が嫌いな客を迎えた時は、こっそりとお線香を折り、少し
短くして、時間短縮を図っていたそうです。

もしかすると、女房と私は、前世で、遊女と若旦那として、どこかで
会っていたのかも知れません。
そして、私がイヤーな客だから、遊女(女房)は「お線香は、いっその
こと、無ければいいのに...」と思ったのかも知れません。

そう思えば、女房が、私の炊くお線香が大嫌いなことが、納得できる
ような気がします。
私の前世がイヤーな若旦那でもいいですから、そう思うようにして、
少々気を楽にしています。

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□□□□□
以下のサイトの画像を加工しています.
(註1)「rino-diary」
 http://rokada.exblog.jp/17783488/
(註2)「ユカリノ」
 https://yukarino.jp/articles/1333925

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雑観/TV番組-11 外国の街を走る車のCM

2017/12/01 09:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
街の中を走る日本車のCMは、海外のロケ地が多いように思います。
最近は国内ロケも増えているようですが、新車のCMは、まだ海外の
ロケ地の映像が多いように思います。

画像画像
(註01) リスボンの坂道を走る日本車です. 坂道の走行性の良さを
 アピールしているようです.
(註02) 伝統的景観、狭い道路、舞妓さんに優しい車のようです.


私は、日本車を日本人向けに宣伝するのであれば、日本の街や自然の
中を走る姿を見せる方が、印象が良いような気がします。
ただし、京都、舞妓さん、富士山などの常套的な場面を使う場合は、
陳腐にならないようなセンスが特に必要だと思います。

画像画像
(註03) 外国の車よりも、デザインや機動性が優れているから、外国の
 男性が乗っているのだ、と言っているようです.
(註04) 外国人コンプレックスではないとは思いますが...


それはともかく、日本車のCMでは、何故、外国の街を走り、髭面の
外国人男性がニタニタ笑いながら運転する場面が多いのでしょうか。
私は以前から密かに疑問を持っていました。

頭髪だけを外国人風に色を塗る、老人には気色の悪いお洒落が今だに
流行っています。
その風潮があるということは、外国の街や人にむやみに憧れる日本人
特有の劣等感意識が潜在しているのかも知れません。

外国人に憧れる意識を刺激すると、一般視聴者は、車の性能の高さを
想像し、購買意欲を掻き立てられると、CM製作者は考えているので
しょうか。
私は、そうした自虐風なイメージは、寂しい気がします。

画像
(註05)
さりげなく外国の街を
見せて、ずっと以前に
1人旅行した時の高揚
した気分を思い出させ
るCMもあります.

しかし最近は、「外国人コンプレックス」の印象の強いCMよりも、
紙一重の差ですが、「トキメキ感」を演出した品の良いCMも増えて
きたような気がします。

そんなCMには、外国の知らない街を歩く時の、少し不安の混じった
高揚した情感が感じられるのです。

画像

(註06)
夢の中のような非日常的な
空間を走るCMを見ると、
気分は高揚します.

もし、逆に、日頃見慣れた日本の身近な風景や人々を登場させると、
車の購買予定者は、高揚感よりも、日常生活の感覚を意識して、車を
冷静に観察するかも知れません。
そうなると倹約意識が強くなって、購買意欲は減退すると思います。

そうであれば、国内ロケ地でCMを収録する場合は、視聴者の意識を
日常の空間から分離しなければならないでしょう。
ですから、山や海などの、街から離れた場所での、非日常的な体験を
イメージさせる場面の撮影が多いように思います。

画像
(註07)
自動ブレーキは便利ですが、
誤作動して追突される事故も
発生しているようです.

また最近は、「憧れ感」や「トキメキ感」を演出するよりも、「アイ
サイト」や「ツーリングアシスト」などの、技術の紹介に重点を置く
CMが多区なったような気がします。

それなら、CMのロケ地を海外に求める必要はなく、むしろ、渋滞が
頻発しやすく、歩行者の多い日本の街の方が、技術の紹介には都合が
良いと思います。

画像画像
(左右/註08) ロケ地は、コペル市(スロベニア)のティト広場です.
 青い服のダンサーたちが凝集して車に変貌していきます.


TVで日本車のCMを見る場合、私は、CMの表現イメージを3種類に
分けて楽しんでいます。

・海外のロケ地...陳腐な「憧れ感」を持たせている.
・海外のロケ地...「トキメキ感」をイメージさせている.
・日本のロケ地...「セーフティドライブ」の技術を紹介している.

画像画像
(註09) 声高に叫ばないCMは、気持ちが和み、好感が持てます.
(註10) 思春期の娘の成長を見守る親父の優しい愛情と車のCMです.


私は車は買えませんから、車のCMにはほぼ無関心です。
しかし、幻想的なイメージを喚起させたり、物語り性のあるCMや、
自分の昔の一場面を想起させるCMは、思わず見入ってしまいます。

味のある洗練されたCMは、単なるCMを超えた、深い余韻の残る短編
映画と同じだと思います。
しかし、見応えの強いCMばかりだと、疲れてしまいます。
玉石混淆の方が、強弱のリズムがあって、いいのかも知れません。

171201
□□□□□
以下の画像を加工しています.
(註01)「YouTube」
 https://www.youtube.com/watch?v=_CL-njR2Lis
(註02)「youtube」
 https://www.youtube.com/watch?v=1-4GmHAyHSY
(註03)「Pinterest」
 https://in.pinterest.com/pin/336221928406319494/
(註04)「NVVERまとめ」
 https://matome.naver.jp/odai/2140713391766314501
(註05)「CM WOW!」
 http://cmwow.blog104.fc2.com/blog-date-200712.html
(註06)「道の風景」
 http://www.threetroy.com/michi/misakiline.html
(註07)「GAZOO」
 http://gazoo.com/article/future/161206.html
(註08)「MOTOR CARS」
 http://motorcars.jp/lexus-releases-the-new-ct-debut-cm-lexus-ct-pantomime-20170828
(註09)「pinky」
 https://pinky-media.jp/I0022207
(註10)「pouch」
 http://youpouch.com/2015/07/10/282317/



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暮らし/日常-34 オレはミンナから感謝されとる

2017/11/22 14:04
オレガ夫婦のイヤガラセに関する、ある助言による記録ブログです.
不快に感じられた方にはお詫びします.
□□□□□
拙宅の南東側二軒隣のお宅は、しばらく空家でしたが、半年ほど前、
ある母子と老犬が越してきました。
2人とも働いていて、日中は大きな白い老犬が留守番していました。

彼らは近所付き合いは積極的ではありませんでしたが、いつも笑顔で
きちんと挨拶されていました。

「オレガ」は、近所に越してきたお宅があると必ず、奥様に「自分は
この地域の顔役だから、何でも相談しなさい」と言いに行きます。
理由は知りませんが、三、四年前から「地域の顔役」を自認し始め、
数人の隣人を子分のように扱うようになったのです。

画像

(註1)
引越しするお宅があると、
オレガは気になって仕方が
ないようです.
よく様子を見に行きます.

今回も「オレガ」は、越してきたお宅の奥様に「顔役」を売り込みに
行きましたが、軽くあしらわれたようでした。
奥様は、子分にならず、自分の生き方を大切にしているようでした。

私は、この近隣にやっと現れた「大人」を歓迎しました。
会釈を交わす程度のお付き合いでしたが、それも束の間、夏の終りに
ひっそりと越して行きました。
また空家になった家は、静かに寂しく佇んでいました。

画像
(註2)
道端の草ムシリのついでに
空家の前庭の雑草も整理し
ているような風体で、家の
様子を伺っていました.

その翌日、拙宅の前庭でミニトマトの葉を剪定していた時です。
フッと空家の方に目をやると、不審者が前庭の草木に隠れて、何やら
ゴソゴソと空家を物色するように動く姿が見えました。

回覧板で「空家泥棒に注意!」の記事を見たばかりです。
この時は通行者がいなくて、辺りは私だけしかいませんでした。
私は空家泥棒だと思い、駅前の交番に通報するためにケイタイを握り
ましたが、番号入力を中断しました。

私は近眼だし、その頃も後発性白内障を患っていましたから、何かの
見間違いかも知れないと思ったのです。
もしかしたら、越した方が忘れ物を取りに戻ったのかも知れません。
そこで、様子を確認しに行ったのです。

画像
(註3)
近所の人に見られた時は、
「雑草を整理してあげて
いる」という口実を用意
していて、感謝の言葉を
要求します.

近づいて見ると、庭木に隠れていた不審者は「オレガ」でした。
「オレガ」は、私を見るとバツの悪そうな顔してしゃがみ、「空家の
庭の雑草を取っているのだ」と言いました。

彼は以前にも、「許可をもらった」と言って、空家の中の生活道具や
植木を持ち去っていたことがありました。
かなり持ち去った後、近隣の奧さんたちに「持ち帰っていいらしい」
と言って、いくつかの物品を取って行かせました。
本当に持ち帰りの許可を得たかどうかは、確認できませんでした。

空家の物品を持ち去りは、前居住者や親族、弁護士や司法書士の立ち
会いの元で行う方が良いと思います。
不審に思われないためにも、他家の遺産等の所有権を移動するには、
それほどの慎重さが必要だと思います。

その行為は近所の多くの人を巻き込んでいたので、私は異議を出さず
黙って見ていました。
いつものように、「オレガ」夫婦は、「ミンナでやった、地域住民で
やったんだ」という形を作って、正当化していたのです。

「オレガ」夫婦とその子分のような奧さんたちが、飴に群がるアリの
ように、家の中を物色して廻る様子は、気味悪く見えました。
中には、手押し車に山のように積んで持ち帰る子分もいました。

画像


(註4)
オレガの仕草は、空家
泥棒と変わりないよう
に見えました.

今回も、「オレガ」は空家を物色していたのかも知れません。
しかし、「敷地内に入る許可を貰ったのか」と訊くと、引越し間際に
前居住者から「草ムシリをお願いします」と言われたと答えました。

3度同じ質問をしましたが、全く同じ返事でした。
どうしても「許可を得た」という言葉を使いたくないようでした。

そして「オレはミンナから感謝されとる...」と言いだしました。
だから、自分は他人の敷地に入って草ムシリするのは許されるのだと
主張しているのでした。

画像

 (註5)
 背を向けて「オレが...
 オレが...」と自慢話を
 長時間喋り続けられる
 と、先を急ぎたい人は
 「ご苦労様でした」と
 言わざるを得なくなり
 ます.

誰もが行う日常の小さな善行を声高に自慢する人はいないのですが、
「オレガ」は「オレがやった...オレが、オレが...」と、急ぐ人の足を
止めて大声で自慢し、感謝の言葉を聞くまで言い続けます。
「陰徳を積む」の真逆の行いです。

最近は、人に背を向けて、しゃがんで草をむしったり小石を拾ったり
しながら、背中越しに言う演技を身につけたようです。
先を急ぐ人は「ありがとうございました」と言わなければ、その場を
離れることが出来なくなるようです。

おねだりして感謝の言葉をもらった「オレガ」は、それを子分たちに
吹聴し、そして子分たちはチヤホヤと褒め称えます。
これが「オレガ」の言う「ミンナから感謝されとる」の内情です。

私は、拙宅前の道路で演じる、こうした喜劇は、よく見てきたので、
「感謝されとる」と聞いた時は、思わず吹き出してしまいました。

画像
(註6)
「オレは感謝されとる」と
自慢したいために、感謝の
言葉を要求する、自慢話の
小芝居は、子分以外の人は
迷惑しています.

滑稽な言葉を聞いて私は気力をなくし、「ミンナから感謝されても、
無断で他家の敷地に入るのはよくないよ」と諭し、幕を引きました。

「オレガ」は周りを見渡して、おとなしくなって自宅に戻りました。
誰もいなかったので、私の苦情を受ける場面を目撃されず、「地域の
顔役」のプライドに傷が付かないと思ったのでしょう。

後日、越して行った奥様と会った時、「オレガ」に敷地に入る許可を
与えたのかを訊きました。
思った通り、「許可」も「草むしりのお願い」もありませんでした。
いつものように「オレガ」は嘘を言っていたのでした。

画像
(註7)
「またアイツにやられた」と
オレガは女房に言いつけます.
そしてオレガ女房は「仕返し
しなくっちゃ...」とデマ流し
に近所を廻ります.

自宅に戻った「オレガ」は、当然、事態を歪曲して「オレガ」女房に
伝えたはずです。
ですから、またいつものように「オレガ」女房は「とりあえず仕返し
しなくっちゃ...」と行動するはずです。

早速、「オレガ」女房は近所を廻って「ウチの亭主は草むしりが好き
でね...」と「ありがとう」の言葉をオネダリしていました。
「とりあえず仕返ししなくっちゃ...」の下地作りです。

今度は、どんなデマを流布して私を孤立させるのか、どの子分が協働
するのか...などは、どうでもよい瑣末なことです。
しかし、観察していると、人生の参考になることが多々あります。

「オレガ」は、50歳前に会社を解雇され、以降は職に就かなかったの
で、エネルギーが有り余っているのかも知れません。
「オレガ」女房は、「私ゃ中卒だから...」と不要なコンプレックスを
癒すために、共通の敵を作って口撃する機会を探しています。

「オレガ」夫婦は、今は、私をイヤガラセの対象にしているのです。
近隣には彼らの子分が多くて、私以外に邪魔者がいないからです。
子分になって気楽で安全に生きるよりも、自分の生き方を毅然として貫こうと努める人が、この空家に越してくることを願っています。

171122
□□□□□
以下のサイトの画像を加工しています.
(註1)「Google Earth」
(註2)「Google ストリートビュー」
(註3)「生活110番」
 https://www.seikatsu110.jp/window/wd_prevention/8504/
(註4)「セコム/家庭の防犯対策」
 https://www.secom.co.jp/homesecurity/bouhan/c/bouhan021.html
(註5)「ベル&ムー」
 http://blog.goo.ne.jp/bellemou
  「リクナビNEXTジャーナル」
 https://next.rikunabi.com/journal/entry/20150324
(註6)「カナダ☆シロップ」
 https://ameblo.jp/milestonecanada-toronto/entry-12305672343.html
(註7)「Google ストリートビュー」




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雑観/世相-15 てるてる坊主

2017/11/10 12:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
長雨の時期になると、TVの気象情報や報道番組で「てるてる坊主」の
画像を見かけるようになります。
かなり昔は、軒先に「てるてる坊主」を吊るした家はありましたが、
現在は、もう見なくなりました。

実は、私は、軒先に吊るされた「てるてる坊主」を見なくなったこと
には、多少の安堵感を覚えているのです。
晴天を願う気持ちは理解できるのですが、布の人形であり、顔を描い
ていないにしても、その首を吊った状態が不気味に見えるからです。
晴れたご褒美に目鼻立ちを上手に描けば、さらに不気味です。

「てるてる坊主」は、棚上などの高所に置けば良いのに、なぜ吊るす
のでしょうか、しかも首を紐でくくって、です。

画像
(註1) 首を吊っているのは、
命を捧げる意味の形だから
「首吊り」を連想するのは
よくない、という説もあり
ますが、見たままに想像す
れば、やはり不気味です.

その上、「雨止め」に失敗すれば「首をチョンと切る」という童謡も
あり、斬首刑が連想されるこの風習に、残酷な印象は倍増します。
悲しい旋律で「チョンと切るぞ」と歌われると、ゾッとします。

この歌は、1921年(大正10)に発表された、ポピュラーな童謡です。
「子供の美しい空想力を育む」ために、小学校の教科書に掲載された
こともありました。

しかし、私には、この童謡の斬首のイメージは、発表の2年後に発生
した関東大震災の惨状にも繋がり、不吉な印象が払拭できません。

画像


(註2) 掃晴娘の切り絵です.
少女の明るい表情は、彼女を
生贄に出した者たちの憐憫の
意識の表れでしょうか.

私と同様に、「てるてる坊主」を異様に感じる人は多いようです。
ネットで探せば、この「首吊り」を連想する風習を訝しく思う意見が
かなり多く投稿されています。

そうした意見と対極的に、これは「日本らしい風流な風物詩」である
と紹介し、由来や伝説を詳細に説明しているサイトもあります。

14世紀(元朝)の中国に、箒を持った娘「掃晴娘(さおちんにゃん)」が
「雨止め」の犠牲になって、天に差し出されると、雲を掃いたように
空が晴れた、という伝説があったそうです。
有り体に申せば、彼女は犠牲というより「生贄」です。

画像

(註3) 実際に首を切る人は、
自分の思い通りにならない
日常の物事に、どのように
対処されているのか、気に
なってしまいます.

その話が9〜12世紀(平安時代)に日本に伝わり、「掃晴娘」が天候を
祈祷する坊主に代わったのだそうです。

さらに、「雨止め」祈祷に失敗した坊主、あるいは酒を飲んで祈祷を
サボっていた坊主は、罰を受けて斬首された、という話になります。
そして、その首を白布で包んで高所に吊るしておくと翌日は晴れた、
と説話が続きます。

私は、その「失敗やサボリ」という理由は、「生贄」にしたことへの
都合の良い言い訳のような気がします。
ともあれ、これが「てるてる坊主」の起源のようです。

江戸時代中頃の「てるてる坊主」は、現在のような頭を丸めた形では
なく、折り紙で形代(人形)を作っていたようです。
より人に近い形になりますが、これを半分に切断したり、逆さにして
吊っていたそうです。
こうなると、「てるてる坊主」は「生贄」としか思えなくなります。

頭を丸めた形の「てるてる坊主」は、いつ頃から作るようになったの
かは、分かりませんでした。

画像
(註4) 復元された渡海船です.
途中で僧が逃げないように、
親指を切断することもあった
そうです.
どこかの島に漂着した場合は
彼を海に投げ込んだそうです.

ネットには、「てるてる坊主」の作り方、吊り方を解説したサイトも
多数あります。
その中で私が気になったのは、「供養」の仕方です。

翌日が晴れた場合は、神酒を供え、その後は川に流すのだそうです。
その「供養」には、私は古代・中世の「補陀落渡海(ふだらくとかい)」
という、特に那智勝浦で行われていた「捨身行」を連想します。

小舟の上に非常に粗末な小屋を作り、その中に僧や業者を閉じ込めて
太平洋の荒波に流し出します。
海の彼方の観音に身を捧げて、世の平穏を祈願する「行」です。
しかし、中には「捨身行」とは違った意味合いで、「補陀落渡海」を
強いられた人もいたようです。

画像
(註5) 形代流しです.
流れていく形代を見ている
と、紙片よりも、修行した
人を実際に流す方が、より
ご利益があるような錯覚が
一瞬よぎります.

「補陀落渡海」は、「形代流し」という厄払いの原型のようです。
「形代流し(かたしろながし)」は、人の形に切った紙に穢れを移し、
これを身代りとして川や海に流す風習です。
「古事記」や「源氏物語」にも記載があるそうです。

しかし「てるてる坊主」を川に流す「供養」は、「形代流し」よりも
生々しく「補陀落渡海」に酷似しているような気がします。

これ以上は、気が滅入る方がいるでしょうから、書くのを止めます。
ともあれ、TVの番組で「てるてる坊主」の画像を見ただけでも、私は
こうした不吉なイメージがジワーと思い浮かんでくるのです。

私も「てるてる坊主」に代わる、可愛げのある習慣が流行することを
待ち望んでいる者の一人です。

171110
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1)「tenki.jp」
 http://www.tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.html
(註2)「上海で働く内科医のブログ」
 https://ameblo.jp/shanghaidoc/entry-12167906858.html
(註3)「mulpix」
 https://mulpix.com/instagram/坊主_てるてる坊主_雨.html
(註4)「毎日新聞 写真特集」
 http://mainichi.jp/graph/2015/10/16/20151016ddf012040036000c/002.html
(註5)「倭しうるはし」
 http://isuzugawa.ti-da.net/e5872332.html


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暮らし/日常-3 盗み見? 盗み聞き? -2

2017/10/30 10:45
オレガ夫婦のイヤガラセに関する、ある助言による記録ブログです.
不快に感じられた方にはお詫びします.
□□□□□
拙宅は袋小路の入口の角にあり、私に嫌がらせをする「オレガ」宅は
袋小路の奥にあります。
(オレガとは、私が付けた渾名です。誰もが普通に行う小さな善行を、
「オレガ、オレガ...」と自慢して感謝をおねだりするからです。)

秋の終りのある日、私が外出から帰り玄関前に来た時、作業服の男が
「オレガ」宅の隣家の庭で何やらゴソゴソしている姿が見えました。
彼は私の姿を見ると、ギョッとした様子で後ろ向きになりました。

空巣か...と思いましたが、よく見ると、男は「オレガ」でした。
彼はすぐに隣の自宅に戻り、庭木バサミを持ち出し、また隣家の庭に
入りました。
そして、隣地にハミ出た自分の庭木を剪定して、忙しく動きました。

私は、危うく「誰だっ ! 何やってんだっ !!」と怒鳴るところでした。
この近辺にも、風呂覗きや空巣が横行しているのです。

その時間帯は、隣家の奥様はパートに出ていて留守なのです。
しかし、隣家が留守であっても、無断で門扉を開けて庭に入るのは、
顔見知りの間柄でも無礼な行為だと思います。

画像
(註1)
顔見知りでも、留守中に
庭に入られるのは、内心
穏やかではありません.

そうした「オレガ」の行為は、過去にも数回ありました。
彼が隣家の庭に侵入するのは、いつも留守の時です。
私が注意すると「奥さんの承諾を得ている」と嘘を言い、「私ゃね、
良かれと思って、隣の庭を掃除しておる」と怒鳴り返しました。

後で奥様に承諾の有無を確認すると、その少し前に、「オレガ」から
承諾済みにするよう要求されていました。
小柄な彼女は、「以後は勝手に庭に入らないで下さい」と申し入れる
こともできなかった、寂しそうに言っていました。
「オレガ」女房の陰湿な仕返しを恐れているからです。

画像(註2)「盗み見」と目撃は
異なります.
しかし隠れて背徳の行為
をする者には、どちらの
場合も「盗み見」られた
と思うようです.

今回の「オレガ」の無断侵入では、私は声を出さずに見つめ、無言で
抗議しました。
私が見ていることに気づいた「オレガ」は自宅に戻って、「アイツに
見られた」と、難聴の人特有の大きな声で、女房に訴えていました。

これで「オレガ」女房は「アイツは他人のプライバシーを盗み見して
いる」と、デマを流し歩く事になりました。
1週間前の「アイツは盗み聞き...」の続編、「アイツは盗み見て...」の
「デマ流し」です。

「オレガ」女房は、亭主が誰かに苦言を受けると、カーッと頭に血が
のぼって、すぐに「仕返ししなくては...」と行動します。
「デマ流し」や小さなイヤガラセを執拗に繰り返します。

「オレガ」夫婦は、デマの信憑性と効果を有効にするため、日頃から
近隣に野菜を配って仲間を作り、周到に下地を整えています。
仲間や子分にとっては、地域の優しい世話役、親分なのです。

私は、その存在は認めても、子分にはなれないし、フリすらできない
性分ですから、「オレガ」夫婦の類から嫌われるのでしょう。

画像

(註3)
デマを流す人は、自分が
醜くて恥ずかしい行為を
しているとは、自覚して
いないようです.

しかし今回は、隣庭侵入の終了間際にハプニングがありました。
拙宅の隣の奥さんにも、一瞬ですが目撃されてしまったのです。
しかし彼女は、「オレガ」女房の第一側近です。

隣の奥さんは、後で「オレガ」に駆け寄り、「オレガ」の隣庭侵入と
庭木の剪定を褒めていました。
そして、隣庭への無断侵入はなかったことに、話がまとまりました。

目撃奥さんは小声で話しているのに、「オレガ」は気分が良くなって
大きな声で歓談するので、茶番劇は筒抜けに聞こえました。

画像
(註4)
近所付き合いの瑣末な
トラブルは、まともに
付き合うと、滑稽です
が、陰湿な嫌がらせが
続くと、気分が滅入り
そうになります.

「オレガ」夫婦が「デマ流し」する場合、「オレガ」の野菜を貰った
近隣人は、もしデマを聞かなければ、自分もイヤガラセの対象になる
ことを承知しています。
近隣人はこれを恐れて、デマを受け入れます。

中には積極的に参加して、私を遠巻きに見て避ける人もいます。
そういう子分たちは、正常な感覚のない人なのか、「オレガ」夫婦と
同じような生き方をしてきた人、であろうと思っています。

そう思って、私は、デマ好きな彼女たちの遊興を無視しています。
デマを否定すれば逆効果だし、関わる時間がもったいないし、私にも
至らぬ点があるのかも知れないからです。

私の女房は、気づかないフリができるので、連中の悪意は届きません。
誹謗中傷に対して鷹揚に構えることのできる彼女が羨ましいです。

画像(註5)
陰口を聞くのが好きな人、
聞かされて疲れる人、
その割合は地域によって
大きく異なると思います.

地域には多様な人が住んでいますから、意見の違いは当然あります。
その軋轢は、コミュニティを阻害するとは限らないと思います。
多様な存在を互いに認め合う環境を育む機会になり得ると思います。

しかし「デマ流しとイヤガラセ」は、多様性の容認ではなく、少数派
への暴力ですから、健全なコミュニティ形成を阻害します。

陰湿な誹謗は、その人の品格を自ら低くしていくことだし、魂さえも
歪めていくことに繋がりかねないと思います。
しかし悲しいことに、気が付かないうちにやらかすものです。
人を悪く言いたい衝動は、自分の内に上手に収めたいものです。

多くの人がこうした願望を持てば、この地域も、いつかは穏やかさを
取り戻せるかも知れない、と思っています。

以上は、どの地域にもある話だそうですが、気分が滅入りそうです。
似た経験をお持ちの方への参考と、自分の記録のために書きました。
失礼しました。

171030
□□□□□
以下のサイトの画像を加工しています.
(註1)「ストリートビュー」
(註2)「zazzle」
 https://www.zazzle.co.jp/1909年の盗み聞き_iphone_6_plus_ベアリーゼアケース-179898622679867143
(註3)「知る蔵」 http://www.siruzou.jp/tantei/3137/
   「ひと目でわかる話題本」 http://bookpre.hatenablog.jp/entry/2014/10/18/053500
(註4)「Google Earth」
(註5)「しらべぇ」の画像を加工しています.
 https://sirabee.com/2016/09/16/162029/


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暮らし/日常-32 盗み見? 盗み聞き? -1

2017/10/20 10:47
オレガ夫婦のイヤガラセに関する、ある助言による記録ブログです.
不快に感じられた方にはお詫びします.
□□□□□
秋の深まる頃、拙宅の道路前の庭で、アサガオとミニトマトの枯れた
葉を整理していました。
その時、10mほど離れた所の家庭ゴミ集積所で、「オレガ」と近所の
奥さんの立ち話が聞こえてきました。

私は気に留めずに枯れた葉を集めていたら、急に「オレガ」が大きな
声で「このパネルはね...私が取り付けさせたんだよ」と言いました。

彼は、ネットフェンスに取り付けた30cmx45cmほどのプラ板を手に
持って、奥さん1人を相手に演説調で叫ぶように喋っていたのです。
強い「抗うつ剤」を飲んだ人のような、妙なハシャギようです。

そのプラ板は、分別ゴミの持ち去りを禁止する、市の廃棄物対策課が
取り付けた掲示板です。
分別ゴミは市の資金源の一部になりますから、これを持ち去ると罰金
20万円以下の窃盗罪に抵触するのです。

画像

庭の整理をしていると、
集積所の様子はよく見え
るし、少し大きな声なら
よく聞こえます.

これを「オレガ」が市に取り付けさせたというのは、全くの嘘です。
本当は、数年前に、私が市に相談して取り付けてもらったものです。

実は「オレガ」は、分別ゴミの持ち去りを2年間続けていたのです。
近隣は黙認していましたが、子供が持ち去りに興味を持ち出したので、
私は、誰も見ていなさそうな時に、止めるように注意しました。

彼は逆ギレして「お前に20万払えばいいのか」と捲し立てました。
しかし強く説得して、持ち去りを止める約束を取り付けました。
しかし、その後、彼は約束を守らず、へへ...と笑っていました。

そこで、市の廃棄物対策課の課長さんに事情を説明し、掲示板を設置
してもらうことにしたのです。
課長さんは正義感の強い人で、わざわざ拙宅の玄関先に挨拶に来て、
「オレガ」は必ず仕返しするから...と注意を促してくれました。

以後、彼の予想通り、「オレガ」夫婦の「デマ流し」とイヤガラセが
本格化してきました。
以前から「オレガ」は、毅然として子分にならない私を嫌っていて、
孤立化させるために陰湿な「デマ流し」をしていたのですが、それが
エスカレートし出したのです。

画像

この集積所だけに「ゴミ
持ち去り禁止」の掲示が
取り付けられたを理由を
知る人は、この地域には
いません.

ともあれ、以降は「オレガ」は分別ゴミを持ち去らなくなったので、
反省していると思い、掲示板設置の経緯は誰にも言いませんでした。
しかし、反省するどころではありませんでした。
自分が誰かの持ち去りを止めさせたのだと、ウソを言っているのです。

勘ぐれば、仕返しするために、私を持ち去り犯人にするための「デマ
流し」をしていたのかもしれません。
この区域だけに持ち去り禁止の掲示板があることを、誰も不審に思わ
なくなったので、自分が疑われることはなく、ホトボリが冷めた今が
「デマ流し」のチャンスだと思ったのかもしれません。

しかし、その後の「オレガ」と奥さんの立ち話は、明瞭には聞こえな
かったので、私はそのまま枯れ葉を片付けていました。
そして「オレガ」は、演説を終えて帰る時、拙宅の前庭の私の存在に
気づくと、後ずさりして驚きました。

「オレガ」は急いで家に帰り、女房に「あいつに聞かれた...盗み聞き
していやがった」と大声で騒いでいました。
すると、事情がどうであれ「取り敢えず、仕返ししなくっちゃ...」と
熱り立つのは「オレガ」女房の性分です。

すぐに子分的存在の隣宅に向かいましたが、奥さんは留守でした。
怒りの収まらない「オレガ」女房は、拙宅の周りを、腰を屈めながら
覗き込むようにして、拙宅の周りを見て回りました。

「オレガ」女房は、子分の奥さんの多くも同様、少々脚が不自由で、
片足を引きずりながら歩いています。
それはそれで気の毒なんですが、「オレガ」女房の舐めるように見て
周る格好は、私には爬虫類か大蜘蛛が徘徊しているように見えました。
背筋がゾゾっとする、非常に気持ちの悪い光景でした。

画像

袋小路の住宅では、必ず
仲良しグループができ、
ボスに媚びないお宅を
孤立化させるように動く
空気が形成されます.

それは見っともない格好なので、止めてもらおうと思いました。
翌日「オレガ」に会った時、拙宅周りの腰屈め徘徊を止めるよう伝え、
「ウソを言うのはよくない。盗み聞きもしていない。私に聞かれたく
ない話は小声で言いなさい。」とも伝えました。

さらに、余計な事かも知れないと思いつつ、「オレガ」夫婦が流した
数々のデマを列挙し「全部聞こえているよ、私の悪口はもっと小さい
声で言った方が良い」とも言いました。

しかし「オレガ」は悪びれることなく、「オレは...耳が悪いから声が
大きいんだ」と逆ギレしてきました。
その後、「オレガ」女房の仕返しの「デマ流し」が再開され、それを
手伝う子分の奥さんが私を避けるようになったのも、想定通りです。

その翌日は、「オレガ」女房の「デマ流し」を見てしまいました。
拙宅の向かいに住む子分の奥さんは、忠誠心を強調して「アイツには
ガツンと一発言ってやんなよ」と大きな声で煽り立てていました。
「オレガ」女房は、慌てて声を制し、キョロキョロしていました。

玄関の5m先の「デマ流し」はよく見え、台詞もよく聞こえました。
私は、呆れながら、滑稽な様子を興味深く見入ってしまいました。
それこそは、私は「盗み見/盗み聞き」していたのです。

画像(註1)
「陰口・悪口は諸刃の刃」
という話も聞きます.
他にも傷つけるし、同時に
自分の魂も傷つけていると
いう意味です.

その少し後、私がいる前庭を「オレガ」女房が通りかけました。
私は、止せばいいのにと思いつつ、「聞いてたよ、いつでもガツンと
一発言いに来ていいよ」と、つい笑って声をかけてしまいました。

「オレガ」女房はギョッとした顔で、小さな目を丸くして立ちすくみ
「私ゃアンタの話はしたことがないのに...」と怒り出しました。
そして、「病院の予約があるから...」と言い、「オレガ」の運転する
車で出かけて行きました。

私が「盗み見/盗み聞き」するというデマは、近隣に流布されました。
その後は例によって、拙宅に唾を吐きかけて行く人、「此奴かぁ」や
「やぁね...」と言って行く人など、様々現れてきます。
拙宅の前の道端で立ち小便して見せる人もいます...犬と同じです。

彼らは「オレガ」夫婦と同じような生き方をしてきたので、生き方の
波長が合うのでしょう。
しかし、近隣の中には、普通の生活感覚を持って、正常に対処できる
人もいるのではないだろうかと、淡く期待しています。

「オレガ」夫婦と子分たちの嫌がらせの記録として、その一部を書き
残すブログでした。気分が滅入りそうな長い話で、失礼しました。

171020
□□□□□
以下のサイトの画像を加工しています.
(註1)「せちがら☆速報」
 http://www.sechigara.net/archives/66593375.html
   「Hiragana,Katakana,Kanji」
 http://japanese.reader.bz/kageguchi



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雑観/世相-14 相手を見ないで握手する人

2017/10/10 10:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
選挙のシーズンになると、マスコミの報道が賑やかになります。
候補者が多くの市民と握手して廻る様子も、頻繁に報道されます。

握手の様子を見るたびに、私は候補者の視線が気になります。
きちんと相手を見て握手をしているのか、つまり、失礼のない挨拶が
できているのか、これが気になるのです。

残念ながら、多くの候補者は、相手から視線を外して握手しています。
次の相手を探しながら、仕事として消化するような握手なのです。
できるだけ多くの手に触れて廻ることを、目的としています。

画像

(註1)
握手の数と得票数が比例
する選挙で社会が形成さ
れるのは淋しいです.

握手とは、武器を手にしていないことを示し、相手の目を見て戦意の
ないことを確かめあう、親和行為の1つです。
ですから、視線を外して相手を無視する握手は、信頼関係のない間柄
であることを意味することになります。

そうした握手は、選挙活動としては、致命的なミスだと思います。
しかし何故か、視線を外して握手する候補者が、多くの票を獲得して
当選するのが、現在の世情なのです。
「一体どうなってんだ、世の中は...?」と、変人は憤慨します。

画像
(註2)
「市民ファースト」を
標榜するのであれば、
政治家は市民との信頼
構築は大切なはずです.

選挙に限らず、政治家は、視線を外して握手することが多いです。
彼らにとって、「信頼」よりも「多数」が大切なのかもしれません。

中には、時には、しっかり相手を見て握手する政治家もいます。
市民の方を向いて政治に携わる、誠実な人柄を思わせます。
やはり、市民との信頼を構築したいのであれば、市民と握手する時は
しっかり視線を合わせて、意思表示して欲しいです。

画像画像
(左/註3) アイドルはファンを大切にしています.
(右/註4) ネコは手を握られると相手を見ます.


意外...と言っては失礼ですが、アイドルの女の子は、きちんと相手の
目を見て握手しています。
ファンを大切にしている姿勢が伺われます。

妙な話ですが、イヌやネコでも、手を握ると、大抵は困惑した表情で
すが、相手を見ます。
手を握り合うことは、人間を含む動物にとって、お互いの存在を確認
し会うという深い意味があって、相手を見るのだと思います。

画像

(註5)
失礼のない握手のできる
人は信頼でしても良いと
思います.

視線を外して挨拶されたり握手されると、普通は、自分の存在を無視
されたような気がします。
その相手が偉い人であっても、少々不快な印象を持ってしまいます。

今回の選挙で、相手を見て握手する議員が増えれば、もっと市民寄り
の政治が期待できるような気がします。
多くの市民がそのような政治家に投票すれば...ですが。

171010
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1)「Yomiuri Online」
 http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/photonews/article.html?id=20141215-OYT1I50011
(註2)「健康になるためのブログ」
 http://健康法.jp/archives/16080
(註3)「Tokyo Girls Update」
 https://tokyogirlsupdate.com/akb48-handshake-event-resumed-after-41-days-from-the-slashing-incident-20140723437.html
(註4)「街を歩けば そこに猫」
 http://nekophoto.kumax.net/sakaba/141021/
(註5)「熱海ネット新聞」
 http://atamii.jp/today/post-22758/



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