アクセスカウンタ

異端の建築再読

プロフィール

ブログ名
異端の建築再読
ブログ紹介
既成概念にとらわれないで自由に発想した建築空間イメージを紹介しています.
他から与えられた枠内に閉じこもる安堵感と引き換えに大切な何かを手放していることの多い時勢へのささやかな抵抗のつもりです.

ホームページにもお立ち寄りください.
http://sese.moon.bindcloud.jp/
■住まい造りのワンポイント・アドバイス
■二級建築士受験のワンポイント・アドバイス
■変人の回想ブログ
も不定期に掲載しています.
zoom RSS

暮らし/日常-30 天国からのメール

2017/08/20 11:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
2007年(平成19)、佐賀県唐津市の病院で、母が他界しました。
父の死後、母はウツ気味になって3年間、ほぼ寝たきり状態でした。
埼玉に住む私は、驚天動地のまま急いで帰郷し、妹夫婦の協力を得て、
形ばかりの葬儀を済ませました。

上弟Tsと下弟Tkは、カルト「エホバの証人」の信者ですから、葬儀に
関わることを忌み嫌います。
しかし、物欲は異常に強いですから、自分の相続分がどれほどなのか、
楽しみにしている様子でした。

ところが、母の預貯金は、治療費と葬儀費用に充てたので、ほとんど
残っていませんでした。
後で判ったことですが、上弟Tsは、エホバの活動に没頭するために、
働かずに母のお金を自分の生活費に使っていました。
残った遺産は、ほぼ、実家の傷んだ家屋と土地だけでした。

画像
両親の生前(17年前)に、
ASさんは唐津の実家に
来たことがあります.
この6人のうち、4人が
亡くなりました.

私は、葬儀を済ませて、仕事の都合で一旦埼玉に戻りました。
そして、私の数少ない友人の1人、新潟のASさんに、相続等について
電話とメールで何度も相談しました。
エホバ(の組織)を盲信する弟2人と、いがみ合わずに家屋土地を相続
するにはどうすればいいのか...しかし、いつも悲観的な結論でした。

弟2人は、平気でウソを言う、物欲の強いカルト信者です。
ウソは、信者ではない格下の人間への指導の一環だと思っているので、
彼らが私たちにウソを言うことに罪悪感はないのです。

信仰心はあっても宗教心のない私、両親といえど信者でない者の死を
悼む気のない、物欲の「エホバ」の弟2人、自分が損さえしなければ
良い妹...この兄弟4人の相続会議は、全員が納得できるように収まる
とは思えませんでした。

画像
(註)
羽田空港の第二ターミナル
のロビーです.
混雑した中でボンヤリして
いると、ケイタイにASさん
からメールが届きました.

一週間後、私は解決方向の見えない相続会議を持つために、重い重い
心を抱えて唐津に向かいました。
羽田空港に早めに着いて、ロビーの待合コーナーで、椅子に腰掛けて
様々に思案していると、ケイタイにASさんからメールが届きました。

「 誠一郎(私の名前)、思い切りやりなさい! 母より 」

気がついたら、私は泣いていました。
でも、恥ずかしいとは思いませんでした。

弟に母の介護を任せた後悔(母の預貯金を生活費に使うのが彼の目的で
した)、母を1人で逝かせた後悔、相続会議の不安...様々な思いが渾然
となってドッと流れ込んできたせいもあるかも知れません。

しかし、何より、ASさんの「天国からのメール」の優しさに胸が震え
ました。
母に成り済ました冗談メールではなく、真心こもった応援メールです。
きっと、天国にいる母も、そう言っていると思いました。

落ち着いて、「よし...」と一声出して立ち上がり、セキュリティゲート
に向かいました。

画像


新しいケイタイに転送した
ASさんのメールです.
私の大切な宝物です.

当時、私はケイタイのメールは、軽視していました。
パソコンのメールに比べて、情報量が非常に少なかったからです。

しかし、ASさんの「天国からのメール」は、自宅のパソコンよりも、
空港で見ることの方が、より深い印象がありました。
たった一言ですが、長文以上に、優しい思いが表現されていました。

大切な思いは、豊富な語彙力、巧みな文章力、これがあれば効果的に
伝えることができる...とは限らないことを、改めて教えられました。

あれから一年の後、ASさんは、うつ病が重くなって、ある切っ掛けで
亡くなりました。

彼の「天国からのメール」は、ケイタイの機種が変わっても、ずっと
残しています。
カルト信者の弟たちと対峙しなければならない時は、必ず「天国から
のメール」を見て、場に臨んでいます。

170820
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註)「テーマ「飛行機」のブログ記事」
 http://a-take-off.at.webry.info/theme/a0f403178e.html

 


記事へガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


雑観/スポーツ-08 シンクロナイズド・スイミング

2017/08/10 10:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
私は「カナヅチ」です...海の町で育ったのに、まったく泳げません。
ですから、海やプールで、綺麗なフォームで泳いでいる人を見ると、
本当に羨ましくて仕方がありません。

私は、競泳よりも、悠然としたスマートな泳ぎ方が好きです。
たとえば、本当は時速300kmを軽く出せる車が、80kmで走っている
ような、余裕のあるユッタリした泳ぎ方が好きなのです。

シンクロナイズド・スイミングは人気のある泳ぎ方です。
派手な水着の美女たちが、音楽に合わせて、水に潜ったり、水中から
飛び出たりして、正確に舞う編隊遊泳は美しいと、誰もが言います。
しかし私は、その泳ぎ方を見るのは好きではありません。

画像
(註1)
シンクロナイズド・
スイミングは、ライフ
セービングの泳法から
発展した、水中の創作
ダンス競技です.

シンクロナイズド・スイミングは、1891年(明治24)に、イギリスで
紹介された、ライフセービングに関する泳法に起源があるそうです。
「ornamental swimming (曲芸水泳)」の「tricks and stunts (美技と
離れ技)」という泳ぎ方が、シンクロナイズド・スイミングに発展して
いったのだそうです。

翌年、ヨークシャーで競技会が開催されましたが、音楽を使用せず、
男性のみで競技されたそうです。

当時は、女性が素肌を人に見せるのをタブーとする時代でした。
ですから、勇気ある女性が、ビキニ姿でシンクロナイズドのショーを
敢行したところ、彼女は「公然猥褻罪」で逮捕されました。
しかしやがて、女性の代表的な水泳スポーツに発展しました。

日本で最初のシンクロナイズド・スイミングは、1954年(昭和29)、
アメリカのチームによる神宮プールでの公開競技だそうです。

画像

(註2)
失神直前の極限状態で
演技しているのでこの
ような顔になるのかも
知れません.


シンクロナイズド・スイミングを見ていると、私は、そのコキコキと
した、ぎこちない泳ぎ方が妙に気になってしまいます。

非常に高度な遊泳技術をもって訓練してきた人たちですから、全員が
揃って滑らかに優雅に泳ぐことは可能なはずです。
なのに、何故ぎこちなく泳ぐのか...理解できていないのです。

水と一体になって、時に戯れながら、ユッタリ泳ぐ水着の美女たちを
見たいと、私はいつも思います。

選手たちのアクロバティックな泳ぎは、私には、「カナヅチ」が溺れ
ながら泳いでいるように見えます。
私には、昔、溺れかけた経験があるので、背筋がゾゾっとします。
選手が水面からバーッと飛び出した時の迫力ある表情は、溺れる者の
断末魔の顔に見えるのです。

シンクロナイズド・スイミングを見ていて、一瞬「溺れる」様を思う
のは、「救命行為」が起源であることを思い出すからでしょう。

画像


(註3)
カナヅチの老人が溺れて
いると、このようにして
救命してくれるだろうか、
と夢想してみます.
また楽しからずや...

シンクロナイズド・スイミングを、「救命行為」から切り離して観る
ためには、私のような「カナヅチ」老人がプールで溺れている時に、
あのような大勢の美女たちが、私を囲んで優しく救助してくれる...と
妄想すればいいのかも知れません。

ともあれ、どこかの勇気あるチームが、審査員の評価を度外視して、
コキコキしない悠然とした泳ぎ方のシンクロナイズド・スイミングを
披露してくれないでしょうか...。
その方が「溺れる」や「救命行為」を連想しなくて済みそうです。

170810
□□□□□
以下のサイトの画像を加工しています.
(註1)「wikipedia/シンクロナイズドスイミング」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/シンクロナイズドスイミング
(註2)「gori.me」
 http://gori.me/humor/19380
(註3)「e-nikka.ca」
 http://www.e-nikka.ca/Contents/120802/othernews_01.php




記事へ面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


暮らし/雑草-15 路肩のガーデニング

2017/07/30 11:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
毎年7月になると、市が放水路と路肩を清掃・除草します。
酷暑の中、委託された業者の清掃員たちが、黙々と草刈りします。
休憩時、草刈機のうなり声が止むと、清掃員の「アーくそ熱いー」の
溜息が聞こえてきます。

昨年までは、市の清掃の前月に、自治会の道路清掃がありました。
各家庭から人が出て、放水路の路肩を草ムシリするのです。

この機に乗じて、例の「オレガ夫婦」は私にイヤガラセをします。
子分のように臣服しない私への報復のつもりのようです。

私が観賞している雑草の小さな花を「根こそぎ、根こそぎ」と言い、
近隣の人たちに命じてムシリ取らせます。
数ミリの小さな花をやっと咲かせた雑草たちは、「根こそぎ」ムシリ
取られて、草の命を育む土は炎天下に晒されてしまいます。

しかし、今年(2017年)から、自治会の清掃活動は廃止になりました。
市が一月後に同じ作業をするので、無駄だからです。
イヤガラセを「皆んなでやった」ことにできた「カムフラージュ」を
失った「オレガ夫婦」は、非常に憤慨していました。

画像

拙宅前の水路清掃・除草の
様子です.
休憩する時の彼らの笑顔は
なかなか素敵です.

今年の清掃員も、手抜きせずに清掃・除草していました。
しかし、終わってみると、所々に花を咲かせた雑草が密やかに残って
いました。
花は故意に残したのか、偶然に残ったのか、分かりません。

以前、「オレガ夫」が清掃員に「ここに雑草を可愛がるバカがいる」
と、私のことを嘲笑して話しかけていたことがありました。
しかし、清掃員は「雑草にも命があるし、それを大切に思う人もいる
んですよ」と、「オレガ夫」を諌めるように返答していました。

その時の清掃員は、汚い仕事をしているのですが、内面は品性の高い
人だと思いました。
もしかしたら、彼と同じ思いを持つ清掃員が、こっそりと目立たない
所に雑草の花を残したのかも知れない、と想像しました。

画像画像
 市が清掃する前(左)と、清掃した後(右)の景観です.
 清掃後は、私には美観には見えず、殺風景に見えます.


自然も雑草も、「天」が造ったガーデニングの一部です。
汚い雑草であろうと、生命には敬意を払うべきだと思います。
ただし、自然と人間は共生していますから、衛生上、美観上、問題が
あれば、最小限度に整理しなければならない時はあると思います。

「雑草は汚い、生きている価値はない、抹殺しないと人間に有害だ」
という主張は、2016年7月の相模原の障害者施設で19人を刺殺した
加害者の犯行動機と同質だと思います。

「好きなものだけを生かして、気に入らないものは抹殺する」という
考え方は、人が自然と共生する意識とは乖離しています。

目立たない草花を雑草だと蔑視して、無意味な敵意を向けて、存在を
抹消する行為は、人として大切な何かを無駄に失っているような気が
してなりません。

画像画像
 私は、清掃後(右)よりも、清掃前(左)の路肩景観が好きです.


市の水路清掃担当部署にも、「雑草は全てを除去する」という方針を
考え直して、「自然との共生」の視点で清掃方針を検討されることを
期待しています。

雑草は、完全に除去しても、またすぐに生えてきます。
酷い仕打ちを恨むように、以前よりも醜悪な形で再現してきます。

雑草の存在に敬意を持ち、人と共生する意識を持ち、以前より素敵な
環境になるように整理すれば、雑草は人にとっても良好な形で生まれ
変わってくると思います。

そして、雑草が除去された後に残った土は、紫外線に晒されます。
すると、土中の微生物が死滅し、土は生命を育む力を失って、死んで
しまいます。

死んだ土の一部は粉になり、空中に舞い上がり、人が吸い込みます。
残った土も、土の上で生きる人間に良く影響するとは思えません。

土は、草花にカバーされていれば、土中の微生物は生命力を維持し、
活力のある「気」を周囲に放散し、人に良好な環境を造ります。

画像

完全に除草した後は、
雑草はすぐに生えて
きますが、無秩序な
形で現れます.

市の担当部署が「天が造ったガーデニング」を活かすように、水路を
清掃すれば、路肩に細長い庭園が続く景観ができると思います。
近所のお宅が置いた植木鉢の花と、「天」が植えた雑草とが共存して
花と緑が道端に続く住環境が形成されると思うのです。

草たちの一部が伸び過ぎれば、その時々に整理すれば「路肩庭園」は
季節に応じた景観になります。

画像
多くの人は路肩の雑草の
花は見向きもしませんが、
可憐だと思う人もいます.
こんな花を見て、ムシリ
取りたいと思う気持ちは
理解できません.

しかし、この種の意見は、まだ「変人の戯言」の域を出ません。
この意見に賛同する人は、特にこの地域では、ごく稀だと思います。

市の担当部署も、路肩に草花を残す清掃マニュアルを作成するのは、
大変に面倒だろうと思います。

予算や人手の不足などの理由をもって、「路肩ガーデニング」の企画
も予算も作成しないと思います。
「雑草は全て除去」が楽だし、「従来通り」が問題ないからです。

画像

乾燥した日が続く時は、
ソッと水をあげます.
その行為は、近隣では
蔑視の対象です.

草花に興味のないお宅の多い区域では、路肩は荒れたまま放置されて
います。
しかし、花好きなお宅は、放水路の路肩に、交通に支障のないように
植木鉢を並べて、思い思いにガーデニングしています。

市が「路肩庭園」を作る清掃・除草に、予算や人手不足の理由で企画
できないのであれば、花好きの住民から「路肩庭園」ボランティアを
募集することも一考の価値があると思います。

画像

こうして撮影していると、
背後のどこからか「また
アイツが...」と嘲笑する
ような笑い声がかすかに
聞こえてきます.

私の住む区域では、私だけが拙宅前の路肩に少し手を加えて、小さな
雑草の花が並ぶように、控えめに整理しています。

しかし「オレガ夫婦」は、雑草は全て除去し、土は曝け出すべきだと
思っていますから、私のような「雑草好き」も排除したいようです。
それで、私が道路を占有しているとデマを流し、自治会役員に拙宅の
前で嫌味を叫ばせたり、陰湿なイヤガラセを繰り返します。

もし、市が「路肩庭園」方針で清掃するようになれば、彼らの幼稚な
イヤガラセは、隠れ蓑を失って、少なくなると思います。
そうなれば、雑草も土も、私も、有り難いのです。

画像

雑草がやっとの思いで
咲かせた小さな花にも
宇宙が感じられます.

「人は、自然と共生し、自然に生かされている」という文句は、既に
奇異に受け取られる時代ではありません。
さらに、「自然との共生」方針で、住いの近辺を清掃しても、奇異に
思われないレベルに、社会が成熟することを期待しています。

そうなれば、「天」が植えた雑草を活かす「路肩をガーデニング」は
当たり前の住環境造りの行為になると思います。

170730
□□□□□
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-12-5/5 箱根小旅行5/5-芦ノ湖

2017/07/20 09:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
5月下旬の私の古稀の祝いに女房が企画した、JR東日本のパッケージ
ツアーで、箱根小旅行を楽しみました。
女房の目的の一つは、「芦ノ湖」で「海賊船」に乗船することでした。

画像
湖畔の北方向の景観です.
気持ちのよい風が吹いて
いました.
画面中央の、湖上の鳥居は
箱根神社の鳥居です.

「箱根神社」から湖畔を少し歩き、「元箱根港」から乗船しました。
私は、「芦ノ湖」巡りは嬉しいのですが、「海賊船」には、ほとんど
興味がありませんでした。

乗り場で乗船待ちの列に並んでいると、私の後ろの青年が「海賊船」
のウンチクを彼女に大声で喋っていたので、聞き入りました。

「海賊船」の運航は、箱根観光船(株)の社長が、ディズニーランド(米)
を視察した際に、思いついたのだそうです。
就航する「海賊船」は3種類あって、それぞれイギリス・フランス・
スウェーデンの昔の軍艦をモデルにして造船したのだそうです。

画像画像
(左) 派手な船体装飾を見ると、遊園地にいるような気がしてきます.
(右) 海賊船の船室です. 宝箱は、救命胴衣の収納庫です.


「海賊船」やら「軍艦」やら、物騒な名称ですが、要するに、大人も
楽しめる(?)、子供向けに装飾した観光船なのです。
大変に人気があるようで、乗り場は長蛇の列で混雑していました。

しかし私は、また世間の常識に逆行しますが、「海賊船」を何となく
好きになれないのです。
理由は、「芦ノ湖」の雰囲気に不相応な気がするからです。
もちろん、それは顔には出さず、誰にも言いません。

画像

湖上の空や風の印象が、
いつも見ている日常の
空とは違うような気が
しました.

私は、「芦ノ湖」を最初に見た瞬間、特別な感覚があったのです。
それは何だか分かりませんが、気持ちの良い綺麗な空気が流れてくる
ような、しかし、少しの悲しさが混じった感覚です。
幻想か、ただの思い過ごしなのかも知れませんが...。

しかし、その日の「芦ノ湖」には、私と似たような印象を持つような
人が数人いました。
女房も、ほんの一瞬ですが、「ァ...空の雰囲気が何となく違うね」と
神妙な顔つきで雲の流れを見ていました。

「海賊船」の後部デッキで、ある老夫婦は「今日の芦ノ湖は、どこか
以前と違う気がするね」と、ひっそり話していました。
デッキではしゃぐ幼い女児は、面白い形の雲を見つけたのか、突然に
空を指差して「何? あれ...」と呟いて、またすぐに元の海賊ゴッコに
戻りました。

画像

海賊船から「元箱根」
方面を見た画像です.
右の鳥居は箱根神社の
「第二鳥居」です.

偶然に似たような感覚を持つ人がいたのには、少々驚きました。
しかし、それは「芦ノ湖」に神秘性を感じたということではなくて、
「湖」独特の非日常的な雰囲気に、一瞬、触れたのだと思います。

たしかに「芦ノ湖」の湖畔には「箱根神社」や「九頭龍神社」があり
ますから、龍神が湖の上空を悠然と飛翔していれば素敵でしょう。
しかし、普通の人がそれを目にすることは、あり得ないことです。

ともかく、その時の「芦ノ湖」には気持ちの良い軽い刺激があって、
私には、それが「海賊船」と共存するのが奇異に感じられたのです。

しかし、もし「芦ノ湖」に神様がいるとしたら、神様は「海賊船」を
私のように嫌がらず、大らかな気持ちで眺めて、湖の景観を喜ぶ人を
見て楽しんでいるのかも知れません。
「芦ノ湖」の景色は、そういうイメージも抱かせます。

画像
(註)
高さ131m. 竣工1964年.
「和蝋燭」に見えますが、
設計者の山田守は灯台を
モチーフにして設計した
のだそうです.

「海賊船」だというのに、潮の香りがないことに多少の違和感を持ち、
遊園地風の装飾過多も楽しめず、乗船には消極的でした。
しかし乗ってしまえば、「海賊船」は見えませんから、「芦ノ湖」の
景観だけを楽しむことができます。

そんな時に思い出される名言があります。
「ある建物を見たくなければ、その建物の中に入るしかない」

これは私が九州のある大学で建築を学んでいた時、T.I.先生の建築論の
特別講義で聞いた言葉です。
T.I.先生は、「京都タワー」について、京都の街空間にはそぐわないと
思っていたらしく、感想をその一言で片付けられました。

異論はともかく、私はT.I.先生の言葉を思い出して、「海賊船を見たく
なければ、その船の中に入るしかない」のだと、妙に納得しました。

画像
海賊船「ロワイヤルU号」
です.
こちらに向かって手を振る
人がいましたが、私は手を
振り返す気にはなれません
でした.

「芦ノ湖」は、3100年前(縄文時代晩期)に神山の爆発によってできた
「カルデラ湖」で、水源は湖底からの湧き水です。
奈良時代は「万字が池」、鎌倉時代には「箱根の海」、江戸時代には
「芦の海」と呼ばれ、江戸時代後期に「芦ノ湖」と表記されるように
なったそうです。

奈良時代以前、箱根の村では、若い娘を「芦ノ湖」に棲む九頭龍に、
毎年、人身御供として差し出す習慣があったそうです。
しかし、九頭龍は「箱根神社」を開いた万巻上人に調伏され、地域の
守護神となって「九頭龍神社」に祀られたのだそうです。

村人を苦しめていた怪物とは、大方は、その地域の支配者でしょう。
それを他処から来た侵略者が滅ぼして、誰もが嫌悪する怪物に仕立て
上げたのだと思います。

以前の王を九頭龍だと捏造し、生贄の若い娘を湖底に沈めさせていた
という作話は、何とも酷い所業に思えます。
以前の支配者に酷い仕打ちをしたのであれば、新しい支配者は自分に
祟らないように、祠を建てて祀らなければならないのは当然です。

画像
九頭龍神社の小さな湖上の
鳥居が見えます.
昔は、若い娘を生贄にして
湖底に沈めていたと思うと、
絶景だと賞賛される景色が
不気味にも感じられます.

その「九頭龍神社」には、恋愛運アップのご利益があり、多くの若い
女性が訪れているそうです。
彼女たちは、若い娘を生贄にしていた風習と関連ある神社であること
を理解して、恋愛成就を祈願しているのか、疑問に思いました。

人身御供の風習と恋愛運との関係は、私は解説文を探し当てることが
できなかったので、一般には知られていないような気がします。

もしかしたら、湖底に沈められた娘たちが、自分たちの叶わなかった
恋愛を、現代の女性に託して、助力していると、考えられてるのかも
知れません。
あるいは、九頭龍明神に祀られた古の王は、経緯はどうであれ、噂で
あれ、自分を慕ってくる女性たちに応えているのかも知れません。

現在も、人身御供の娘の代わりに赤飯を湖底に沈める風習が、湖水祭
として残っているそうです。
つまり、以前の王を貶めるための、新しい支配者のひどい作話と所業
による風習が、今に残っているわけです。
もちろん、このイメージも、誰にも言えない、私の妄想です。

「芦ノ湖」に感じた特別な感覚は、気持ちの良い微風のようでしたが、
生贄になった娘たちの悲しい風も混じっているような気がしました。

画像ザ・プリンス箱根本館
 /村野藤吾
 /1978年(昭和53)
「湖畔の景観を護り、
一木一石たりとも変更
しない」を設計方針に
して設計されました.

九頭龍明神は、たまには悪戯心を起こして、「芦ノ湖」の上空を飛び
回って、美しい娘を物色しているのかな...と、「海賊船」のデッキで
湖風を受けながら、不謹慎なイメージを妄想しました。
そうしていると「桃源台港」に近づいたので、船室に戻りました。

船室を見渡すと、若い娘は見当たらず、オバサマの団体が賑やかに、
傍若無人に、談笑していました。
これでは、せっかく悪戯心を起こした九頭龍明神が気の毒です。

画像
「早川」は「芦ノ湖」を
水源とする河川です.
右端の「あじさい橋」の
突き当たりは、箱根登山
鉄道「箱根湯本駅」です.

「桃源台港」に到着しましたが、ロープウェイは休業中です。
満員の振替バスに乗るよりも、「箱根町港」に戻り、「箱根関所」を
見学することにしました。
見学後は、「箱根湯本」行きの登山バスに乗って帰りました。

やはりバスは満員で、この時ばかりは女房も立ちっぱなしでした。
左右に振り回されて25分、「箱根湯本」に下って来ました。

「箱根湯本」商店街と「早川」の縁をそぞろ歩きしましたが、疲れも
あったし、昼間の温泉街は情緒がなくて、早々に引き上げました。

小田急からJRの古い「踊り子」に乗り継ぎ、古稀記念の箱根小旅行を
閉じました。
見どころ、考えどころの多い、女房に感謝の小旅行でした。

170720
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註)「RADIANT」
 http://www.ritsumei.ac.jp/research/radiant/eng/disaster/story6.html/



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-12-4 箱根小旅行4-箱根関所

2017/07/10 12:03
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
女房が用意してくれた箱根小旅行の話の続々々編です。
「箱根神社」に参拝後、遠回りして「箱根関所」に向かいました。

神社から湖畔を歩いて「元箱根港」に行き、海賊船に乗って芦ノ湖を
北上して「桃源台港」、そして南下して「箱根町港」に着きました。
ずいぶん遠回りしましたが、海賊船に乗って湖風に当たるのが女房の
目的の一つでしたから、彼女は満足したようです。

「箱根関所」は、「箱根町港」から徒歩5分です。
沿道には町家風の店舗が並んで、江戸時代の雰囲気を盛り上げます。
しかし多くの場合、そうした演出は逆の効果を招くものですが...。

画像
(註1)
「箱根の関」は、1619年
から1869年(明治2)まで、
250年間設置されました.
2004年(平成16)に復元さ
れて、一般公開されました.

「箱根関所」は、東海道が山と湖に挟まれた狭い部分に、細長い広場
(64mx13m)があって、そこに設営されています。
関所の中央には幅10m・距離35mの通路があって、それを「大番所」
系と「足軽番所」系の、2建物群が挟むように構成されています。

「箱根関所」は、幕府が設置し、譜代の小田原藩が管理する施設です
から、さぞかし風格ある堅固な構えだろうと想像していました。
しかし実際は、仰々しくなくて、意外と簡素な印象がありました。

画像画像
(左) NHK番組「ブラタモリ」で紹介された(2017年5月13日放送)
 ためか、多くの見学者で賑わっていました.
(右/註2) 動線を湾曲させて、見聞を受けるように誘導する計画です.


高さ6mの黒塗りの門は、たしかに威厳を感じます。
京都方面から来た旅人は「京口御門」前の広場で身支度を整えます。
そこからは、6本の槍が立ちはだかるように展示してあるのが見えて、
その奥に役人が詰める「大番所」が見えます。

出口となる「江戸口御門」が見えないので、自然と「大番所」で改め
を受ける心理状態になるような、閉鎖感があります。
そのような心構えを促すために、街道の「く」の字に曲がる狭い部分
を利用して計画されたのだと思います。

画像
江戸から来た旅人が見る
「江戸口御門」の景観は、
「京口御門」にいく前に
「大番所」で改めを受け
るように促しています.

江戸方面から来た旅人を迎えるのは「江戸口御門」です。
そこからは、出口である「京口御門」が少し見えています。
しかし、「定」を掲げた高札、「大番所」、槍の立ち並びが、動線を
囲むように湾曲しているので、閉鎖感は十分にあります。

関所内の建物は両門より低い平屋ですし、その日は快晴だったせいも
あってか、門を入った時は、さほどの威圧感はありませんでした。
とはいえ、両側の番所から役人が監視していると思うと、気になって
平気で通り抜けできる雰囲気ではありませんでした。

画像
左は大番所、右は足軽
番所、奥は江戸口御門
です.
中央通路の両脇の槍の
展示列が、「関所」の
サインに見えます.

関所破りは意外に少なくて、250年間に5人、全員逮捕だそうです。
関所破りが少ない理由は、関所や藩の取り締まりが非常に厳重だった
から、また、旅人が「定」に恭順だったから、なのかも知れません。

私も、以前は、そのように考えていました。
しかし、実際に関所を見ていると、その先入観が逆転するイメージが
湧いてきました。

画像
右は大番所、奥は厩
と外屋番所です.
士分5名、足軽13名、
近在農民から徴用し
た番人と人見女5名、
が常勤していました.

両番所の前には、槍や刺又、鉄砲や弓などの武器が、旅人を威嚇する
ように立ててあります。
しかし、当時も、鉄砲に火薬がなく、弓には矢がなかったそうです。
つまり、よく見れば、コケ脅しだとバレてしまうのです。

番所内の鴨居の上にも槍が掛けてありますが、これも脅しの小道具と
いうより、武士の空間の背景装飾のような印象がありました。

ハッタリの武器の陳列は、芝居の舞台飾りのように見えますが、それ
でも、関所が機能するのに、十分な効果があったのでしょう。

その理由として、身分制度の社会では、民衆は「お上の御威光」には
畏服して、ちょっと脅せばすぐに従順になる...という通念が、一般に
あるようです。
しかし私は、少し違うような気がします、根拠はありませんが...。

画像
石段を上ると芦ノ湖の船の
往来を監視する「遠見番所」
があります.
絶景だそうですが、私には
関所より辛い所です.

私は、当時は、どの身分階層にも、社会のルールを遵守する意識が、
強要されなくても、当たり前のように浸透していたと思うのです。
それが、結局は自分と社会の安全を保障することを、誰もが承知する
ほど、成熟した社会だったと思います。

つまり、武士も民衆も関所のルールを当然のように遵守しますから、
関所が、城廓のように堅固な施設でなくても、いつも戦闘態勢でなく
ても、「関所」として機能できていたと思うのです。

槍や鉄砲は「関所通過のルール」の遵守を促す「サイン」ですから、
すぐに使用できる状態でなくても良いのです。

画像
役人は月交代で勤務して
いました.
1662年、伊勢参詣者の
多い時は、日平均で百人
以上の旅人が通行したと
いう記録があります.

役人も、いつも神経をピリピリ尖らせて、関所破りを警戒し、旅人を
犯罪予定者のように扱っていた..のではないと思います。
業務を忠実に遂行しつつ、怪しい気配のない旅人には、道中の無事を
想いながら、本人確認を行なっていたと思うのです。

旅人も、関所のルールを遵守していれば、ビクビクすることはなく、
役人の治安維持の業務に理解を示し、協力していたと思います。
その方が、通行許可を難儀せず早く得ることができます。

そして堂々と、しかし武士や役人に遠慮する格好で、つまり浮世絵に
描いてあるように少し腰を低くして、出口に向かったと思います。

「箱根関所」は、250年間も旅人を苦しめてきた...という一般の常識
からは逸脱しますが、私なりのイメージで、私なりの「箱根関所」を
楽しむことができました。

画像
人見女は農民ですので、
役人が見ていますから
手加減はしなかったで
しょうが、旅の女性に
意地悪はしなかったと
思います.

「箱根関所」は、当初は「入鉄炮と出女」を取り締まっていました。
家光の時代以降は、他の関所が「鉄砲改め」を厳重にするので、主に
「出女」を取り締まるようになりました。

幕府にとって、参勤交代で江戸に残る妻は「人質」ですから、謀反の
危険を未然に防ぐために、国許に帰すわけにはいかないのです。

男性は「手形」を持っていなくても、関所はパスできました。
しかし、女性は、大名の奥方が庶民に変装している恐れがあるので、
幕府発行の手形を見せて本人確認を受ける必要がありました。

番所の一角で「人見女(改婆/あらためばばあ)」が女性の身体的特徴を
厳しく確認していました。
美男子も、男装かも知れないので、チェックされていたようです。

画像
江戸口御門です.
出口の門が見えますが、
その間の38mの距離は
とても長く感じられた
と思います.

女性が確認を受けている間、他の旅人は門の外で待機していました。
チェックは、それほど厳しかったのかも知れません。
あるいは、役人が、女性のプライバシーに配慮して、男性旅人を外で
待たせていたのかも知れません。

ブースを用意してそこで確認すれば、通行が渋滞しなくて済みますが、
改めの様子を責任者が視認する必要があるのかも知れません。

「出女」の取り締まりは、人権侵害であるように思われがちですが、
当時は、社会秩序を維持する上で必要な業務だったと思います。
業務とはいえ、女性に気を使って、男性を遠ざけるとは、粋な計らい
だと思いました。

しかし、このイメージは、大方の常識に逆らうことになりますので、女房にも言えません。
私だけで楽しんでおりました。

画像芦ノ湖と富士...この箱根の
景観は、お茶を飲みながら
観ると情緒があります.
この絵の中を海賊船モドキ
が動いていく、チグハグな
場合は、アイスクリームが
似合います.

その日も快晴で暑かったので、「江戸口御門」近くの「御番所茶屋」
で、数年振りにアイスクリームを頂きました。
茶屋の軒下のベンチに並んで腰掛けて、芦ノ湖と富士山を眺めながら、
ペロペロと舐めていました。

高齢夫婦のその様子が面白いのでしょうか、外国の老婦人が私たちに
ニッコリ笑って小さく手を振り、写真を撮っていきました。

170710
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1)「ウィキペディア」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/箱根関
(註2)「Google Earth」



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-12-3 箱根小旅行3-箱根神社

2017/06/29 12:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
古稀の記念に女房が用意してくれた、箱根小旅行を楽しみました。
2日目は、芦ノ湖の「箱根神社」と「箱根関所」を巡りました。

その日はロープウェイが運休しているので、「富士屋ホテル」の傍の
バス停「宮ノ下」から登山バスに乗り、芦ノ湖に向かいました。

画像
(註1)
歩くとシンドイ坂道です.
国道1号線(東海道)です
から、交通量も多いです.

予想通りに満員のバスは、三半規管がおかしくなるほど蛇行しながら、
山間の東海道を上がり、降っていきます。
途中で下車する人がいて、女房は、いつも通り、運よく座れました。

左右に振られ続けて20分、山と谷の景色も見飽きて、平衡感覚が少し
おかしくなった頃、「箱根神社入口」に到着しました。
女房の荷物を同梱した重いバッグを持って降りると、膝頭がワナワナ
笑っていて、ヨロケ気味で「第三鳥居」の手前まで来ました。

画像
(註1)
画面の奥に「第三鳥居」が
あります.
参道(一般道路)の脇にある
小さな祠は、見過ごされて
しまいそうな佇まいです.

「第三鳥居」の手前の、小さな祠(来宮神社と日吉神社)の木陰で休憩
しました。
しかし、息を整えるのが精一杯で、二社に参拝するのを忘れてしまい
ました...これは悔やまれます。

私は、参道は湖上の鳥居から直線状に続くものだと思っていました。
しかし「平和の鳥居」は1952年(昭和27)の建立ですから、この部分
の参道は新設なのかもしれません。

やはり参道は、「第一鳥居」から順に「第四鳥居」まで来て、そこで
右に直角に曲がって階段を上がる動線のようです。
私は、屈曲する参道は気に掛かるので、理由を考えながら進みます。

画像

「第四鳥居」です.
画面の右側からアプローチ
して、ここで直角に曲がり、
急な階段を上っていきます.

「第四鳥居」前の広場に、「矢立の杉」が立っています。
狩衣の美男子のような姿に、しばし見とれてしまいました。

坂上田村麻呂の他、多くの武将がここで戦勝を祈願したそうです。
しかし私は、「矢立の杉」に闘争の印象はなくて、心に決めたことに
迷いが生じた時に祈ると、背中を押してくれる雰囲気を感じました。

画像


「矢立の杉」です.
真っ直ぐに凛として立つ
姿には清涼感があります.

「第四鳥居」から真っ直ぐに、急な階段が上がっていきます。
その途中に、いくつかの摂社があるので、休憩を兼ねて参拝します。
階段の終点の「第五鳥居」を過ぎると「神楽殿」の広場に出ます。

「神楽殿」広場のステージでは、「第五鳥居」を出て「唐門」に至る
動線が直角に折れ曲がっています。
この広場は広いですから、参道を曲げる必要はありません。
別の理由があると思います。

画像
垂直に立つ杉木立ちの
階段空間には、神聖な
空気が感じられます.
垂直感の強い空間は、
聖なる山に近づく演出
効果もあります.

動線と屈曲点を整理すると、
・「第一鳥居」から「第四鳥居」の参道は、緩やかに湾曲した道路.
・「第四鳥居」から「第五鳥居」の階段は、直線.
・「唐門」から本殿までの参道は、直線.

そして、屈曲点は2箇所あります。
・「第四鳥居」ステージ.
 ...この地点での動線の折れ曲りは、山腹に建築群を計画する上では
  必要な造形ですから、特段の理由はないと思います。
・「神楽殿」ステージ.
 ...この屈曲点は、特別の目的があっての造形だと考えられます。

画像

終点に「第五鳥居」が
あります.
手前左は「曽我神社」
です.

「箱根神社」本殿の御祭神は三柱です。
・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)ー天照大御神の孫、大和朝廷の祖神.
・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)ー瓊瓊杵尊の奥様.
・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)ー御子。神武天皇の祖父神.

「箱根神社」は強力なパワースポットであり、昔から戦勝祈願・道中
の安全祈願にご利益があったそうです。
現在も、開運厄除・安産祈願・家内安全など、多くのご利益を授けて
いただけるので、多くの参拝者が訪れます。

画像
(註1)
「神楽殿」前の広場です.
参道を直角に折り曲げる
理由は見当たりません.

私は、御祭神の名やご利益は、さほど気にしません。
神社を訪れた時の、個人的な主な関心事は、次の2点です。

●御祭神...どちらの系統の神族なのか.
 ・「出雲族系」(または「国津神系」)
 ・「日向族系」(または「天孫系」「アマテラス系」「天津神系」)
●主参道...入口から本殿まで直線か、途中に屈曲点があるか.

私は、「神社」が成立する古代以前の、神族の二大勢力の抗争に関心
があります。
抗争の結果が「神社」空間の構成に表出しているように思え、これを
私なりに読み解くことに興味があるのです。

画像

唐門の唐破風と、建物の
左右対称の造りは、強い
空間軸を意識させます.
狛犬が立派でした.

そして、「神社」空間を読み解く上での、必須知識が3点あります。
それらは、古代以前の最先端の科学です.

・「歴史は勝者によって造られる」
 ...同様に、「神社の御祭神も勝者によって挿し替えられたり、移動
  されることがある」ことも重要な知識です.
・「酷い仕打ちを受けた霊魂は必ず祟る」
 ...ですから、貶めたライバルの魂は祀る必要があります.
・「神性は直進する」
 ...魂を神殿から出したくない場合は、動線を屈曲させます.

画像
箱根神社の「拝殿」です.
私は、神社に参拝する時は、
心中で、住所と氏名を名乗り、
「お見知り置きいただければ
幸いです」と挨拶するだけの
場合が多いです.

「箱根神社」の本殿に祀られている御祭神は「日向族系」です。
ここで「第三鳥居」の外の、「来宮(きのみや)神社」と「日吉神社」
を思い起こす必要があります。
私が参拝を忘れた社ですが、御祭神が何方なのかが重要なのです。

「来宮神社」には「大国主」が祀られています。
「大国主」は、「日向族系」神族と対峙して、出雲の稲佐の浜で殺害
された「出雲族」の王で、祟りを恐れて出雲大社に祀られています。

この点には諸説ありますが、勝者の歴史書「記紀」を外して、普通に
推測すれば、敗軍の責任者は処刑されるのが当然です。

「日吉神社」の御祭神は「大山咋神(おおやまくいのかみ)」です。
「大きな山」すなわち「箱根山(神山)」を所有する神です。
そして「須佐之男(すさのお)」の孫ですから、「出雲族」の神です。

画像(註1)
昔は第一鳥居から境内が
始まっていたのかも知れ
ません.
今は「来宮/日吉神社」の
近くまで店舗が並びます.

ところで、「第一鳥居」と「第二鳥居」は一般道路にあります。
神社らしい境内は、「第三鳥居」から一般道路と離れて始まります。
つまり「第三鳥居」が、通常の神社境内の入口にある鳥居なのです。
その外側は、境内の外部であるように構成されているのです。

つまり、「大山咋神」と「大国主」の2社は、境内の外のような所に
配置されているのです。

「箱根山」の主ですから、「箱根神社」では本殿に祀られて当然なの
に、何故、境内外で祀るのでしょうか。
「出雲族」の神を、何故、このように処遇するのでしょうか。

画像
社殿の周りには高い杉が
林立するので、境内空間
には垂直感の強い印象が
あります.
非常に清々しい空間です.

私の推論を申せば、「箱根神社」の主祭神は、最初は「大山咋神」と
「大国主」だったと思います。
本殿の空間軸が、方位に関係なく、「神山」を指しているからです。

以下は私の想像する「箱根神社」に関するイメージです。
古代以前の昔、「出雲族系」神族と「日向族系」神族の長い抗争の後、
勝者となった「日向族系」神族の子孫が大和王権を確立しました。
大和朝廷軍は、箱根を支配すべく、この地にも侵攻します。

そして、「神山」の主、「出雲族」の「大山咋神」を何らかの方法で
殺害し、芦ノ湖に沈めてしまいました。
朝廷軍は、箱根征服の後、「大山咋神」の祟りを怖れて、湖の畔りに
社を建立して祀り、荒ぶる魂を鎮めた、と推測します。

その際、怨念が結界の外に出ないように、道を塞ぐ必要があります。
参道を屈曲は、そのための方策だと思います。

画像

「第五鳥居」から下を
見た景観です.
上りの時より、下りの
時の方が恐怖を感じて、
脚が竦みます.

その後、祟りもなく政情が安定してくると、大和朝廷は「出雲族」の
神々をさらに圧迫します。
怨念を徹底して封じ込めなければ、安心できないからです。

そこで「大山咋神」を本殿から出して、聖地の中心からずっと離れた
低い所、「第三鳥居」のさらに外側に移し換えました。
そして、本殿に「日向族系」の強力な三神を迎えて、祟りの危険性が
残っていルカもしれない魂を、完璧に封じ込めたのだと思います。

坂上田村麻呂が東北遠征の際、この神社を訪れたのは、「出雲族」を
調伏した「日向族系」の神力にあやかるためだったと思います。
後の武将がここで戦勝祈願したのは、それに習ったのだと思います。

画像
「平和の鳥居」(1952
年[昭和27])の参道です.
パワースポットという
より、芦ノ湖が綺麗に
見えるスポットです.

しかし、少なくとも現在は、圧伏された「出雲族」の神々は、かつて
対峙した神族や子孫に、怨念を抱いてはいないと思います。
同様に、人間の都合によって主祭神に祀られた「日向族系」三神も、
他系の神を圧抑する意思は持っていないと思います。

「神」になれば、魂は瑣末なことにこだわらない、と思っています。
酷い仕打ちや不遇な扱いを、遥かに超越して、自分を慕って願い事を
持ってくる人間を、おおらかな気持ちで迎えていると思います。

このように想像して、参道が屈曲して「神山」を所有する神々の社が
辺境にある理由を、自分なりに解釈できたように思いました。

しかし、こういうイメージは、女房には言いません。
妄想に近いイメージですから聴いてもらえませんし、ご利益とパワー
スポットだけに興味のある人には有害ですから。
この種のイメージを公開したのは、このブログが最初です。

画像
「平和の鳥居」を海賊船の
デッキから見た画像です.
朱の線の、青と緑の面との
補色対比は、神域を象徴し
ています.

帰り道に「日吉神社」と「来宮神社」に立ち寄りたかったのですが、
「湖上の鳥居」から湖畔を歩いたので、遠くに見るだけでした。
社の方に向かって「どうかお元気で...」と祈りました。

海賊船が行き来しているのに潮の香りがしない風景に、若干の違和感
を覚えながら、湖畔に沿って「元箱根港」まで歩きました。

女房は「これから海賊船に乗るんだっ」と、ルンルン♫です。
私は彼女ほどの元気はありませんでしたが、湖から流れくる気持ちの
良い風に吹かれていると、疲労感が和らいできました。

画像

「湖上の鳥居」を見ると、
芦ノ湖と箱根山が神聖視
されてきたことがわかり
ます.

振り返って「湖上の鳥居」と「箱根神社」のある山腹を見ると、あの
急な階段を下りる時の恐怖感を思い出します。
階段でフラついて「ア...ヤバイ」と思った時、雀より少し大きな鳥が
目の前を横切って「チチ...」と鳴きました。

それが私には「気をつけて.!」に聞こえて「エッ何だって?」と見ると、
鳥が枝に止まっていて、私と目が合いました(ような気がしました)。
その時、私は我に返って、手摺をしっかり掴むことができました。
先にいた女房は、何も気づかず、ソロソロと降りていました。

画像画像
(左/註2) 画面中央に小さな滝があります.
(右/註3) 庭園の隅にある古井戸です.

その日の朝も、似たようなことがありました。
「富士屋ホテル」で、朝食を終えて部屋に戻る際、途中にある日本式
庭園を散策した時です。

女房が小さな滝を眺めている姿を撮ろうとカメラを構えた時、視野の
左側に、鳥居を構えた古井戸が見えました。
井戸の脇にはイモリが神社の狛犬のようにして、私を見ていました。

私は爬虫類は大嫌いですが、その時は逃げずに彼を見ていました。
イモリは、クリクリした綺麗な目をして「ホラホラ...」と私に注意を
促しているように感じました。

「エッ何?」と思った時、女房が「ホラッ!..後ろの池にコケんなよっ、
コケ(古稀)爺さん...」と叫んだので、際どいところで助かりました。
「女房の美しい立ち姿を撮ろうともしないで、どこ見てんだかねっ」
と余計な文句も言います。
私はイモリに礼を言おうと振り向きましたが、もういませんでした。

170629
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1)「Google ストリートビュー」
(註2)「富士屋ホテル」
 http://www.fujiyahotel.jp/enjoying/garden/01/index.html
(註3)「リンのブログ」
 https://blogs.yahoo.co.jp/rika_n_213/10369100.html



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-12-2 箱根小旅行2-大涌谷

2017/06/20 10:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
5月下旬、箱根に一泊二日の小旅行に出かけました。
普段はギスギスと軋み音の聞こえる夫婦仲ですが、有り難いことに、
私が古稀を迎える記念に、女房が企画してくれたものです。

初日は、東京駅から特急「踊り子」、小田原駅から登山電車、ケーブ
ルカー、ロープウェイを乗り継いで「大涌谷」を観光し、引き返して
ホテルに向かう計画でした。

観光地の日曜日は、交通が混雑することは覚悟していました。
しかし「踊り子」は、古い電車だからでしょうか、ガラ空きでした。

画像
(註1)
主な駅の標高は
・強羅駅 = 541m
・早雲山駅= 757m
・大涌谷駅=1044m
芦ノ湖の水面標高は
723m.

強羅駅までの登山電車も、乗客のほぼ全員が座れる程度でした。
これは老夫婦でも楽に行けるな...と安心して下車しました。
その途端、時間帯が悪かったのか、ケーブルカーのホームでは異様な
混雑が始まりました。

日本人のほか、英語圏の人、ドイツ語やフランス語で叫ぶ人、中国や
韓国の人、インドらしき人、様々な人種の老若男女が、細長いホーム
でひしめき合っていて、老人には危険な状態でした。

ラッシュ時の埼京線の駅と同様に、駅員も懸命の形相で(どこか慣れた
ような印象もあり)「列の順番を乱してもいいから...空いた所に廻って
ください」とアナウンスしていました。

画像
(註2) 強羅駅です.
その時の混み具合は、この
程度ではありませんでした.
しかし、狭いホームで混み
合っても乗客は冷静でいて、
マナーを遵守していました.

今日は日曜日だし、明日から数日間は、ロープウェイが点検のために
運休するので、その日は特別に混んでいるのかもしれません。
私たちは次の電車に乗るために引き返そうとしましたが、動けません。
「早雲山駅で...」と声を掛けた途端に、逸れてしまいました。

身を任せた大きな波は、ケーブルカーの中にドッとなだれ込み、私は
いつの間にか座席に座っていました。
さすがに古稀を迎えると幸運なことがある...と苦笑いしました。
女房は、後で聞くと、同様に、運よく座って行けたそうです。

画像
(註3)
ケーブルカーの車内は、
床と座席は段々状です.
車体が少し短いのは、
急カーブを曲がり易く
するためです.

その時、私の横顔に柔らかいゴムボールが押し当たりました。
見上げると、細身ながら胸の大きな外国の老婦人でした。
私よりは若い感じで、昔は美人だったと思います。

日本男児たる者ここは席を譲らねば...と気負って「マダム...プリーズ、
ユース、ディス、シート、ビテ...」と、咄嗟に思いついた無茶苦茶な
英語で話しかけました。
末尾の「ビテ」はドイツ語ですから、私は混乱していたようです。
自分の顔が熱くなり、赤面しているのが分かりました。

でも、ゴッタ返す車内では、変な英語に気づく人はいないようだし、
婦人も伴侶と逸れたのか、心細そうでしたが、「サンキュー」を繰り
返し言って座り、少し笑っていました。


画像画像
(註4) スイッチバックする時は、進行方向が逆になりますから、
  運転手と車掌さんは、外に出て小走りで移動し位置を交代します.
(註5) 早雲山駅のホームで一旦降車し、ロープウェイに乗り換えます.


膝と腰の脆弱な私は、電車の揺れに翻弄されました。
急カーブやスイッチバックの地点で写真を撮るつもりでしたが、右に
左に振り回されて、何もできませんでした。

各駅の標識の標高などの数値から換算すると、ケーブルカーの勾配は
10度を超えているようです。

終点の早雲山駅でホームに降り立った時は、ホームもかなり傾斜して
いますので、私は後ろに転がりそうになりました。
その無様な格好を見て、女房は、私がいると気付いたそうです。

画像画像
(左) 早雲山駅のロープウェイ乗場. (右) 上昇していく景観です.


早雲山駅で、階段を上がって、ロープウェイに乗り継ぎます。
乗り場も、騒音と油の匂いと行列の人で混雑していました。
しかし、ゴンドラは15,6人程度に制限されますから、楽に行けます。

眺望が良くて、遠くに富士山が少し見えた時は、思わずカメラを構え
ますが、下の景色を見るとゾゾッとして身動きできなくなります。

車内に硫黄の匂いがしたら使うようにと、紙製のウェットおしぼりが
手渡されましたが、気分が悪くなることはありませんでした。
このゴンドラも、硫化水素の噴煙に燻されると、名物「黒たまご」の
ようになるかも...と、ブラックユーモアを考える余裕がありました。

画像画像
(左) ゴンドラから、索漠とした山肌の向こうに富士山が見えます.
(右) 大涌谷は、風向きのせいか、さほど硫黄臭さは感じませんでした.


その日の「大涌谷」は、よくある写真のような、白煙が多く噴出する
光景ではありませんでした。
地球も生きていれば、休憩もするだろうな...と思いました。

とはいえ、箱根火山の水蒸気爆発と火砕流と山崩れでできた地形は、
異様な迫力があります。
「大涌谷」は、明治初期までは、「地獄谷」や「大地獄」と称されて
いたそうです。

たしかに、崩れた地形と白煙の噴出を見ると、「地獄の谷」です。
しかし空を見ると、逆に、普通の青空とは何かが違って、神聖な空に
見えて、この場所に清々しい雰囲気が感じられるのです。
それは、晴天だからではなく、箱根山の特質のような気がします。

つまり「大涌谷」は、「地獄」ではなく、「地球の生命力」のような
生きるエネルギーを感じさせる「生命の場」だと思うのです。

最初に箱根小旅行を聞いた時は、私は、「大涌谷」は、自分の古稀を
迎える時に訪れるに相応しい場所だと思いました。
清廉に生きることのできなかった私は、地獄に墜ちるのが当然であり、
これを地獄の様相を見ながら再認識しようと思っていたのです。

しかし「大涌谷」に来て、「地獄」ではなく「生命力」を感じるとは、
嬉しい逆転劇でした。
気分を良くして、深呼吸を繰り返しましたが、後で気分が変調気味に
なりました。

画像

(註6)
延命祈願の「黒たまご」は
5個で500円です.

「黒たまご」は、「一個で7年の延命長寿」のセールス文句が好きに
なれないし、硫黄と卵の匂いを想像して食傷気味でしたから、女房も
私も、最初から買って食べるつもりはありませんでした。

売店で「黒たまご」を求める長蛇の列を見ていると、「地獄の谷」で
卵を食べて長寿を願うことが、面白い現象に思えてきました。

他の生物の命である卵を食べることも、自分が生きるためとは言え、
地獄に墜ちる立派な資格になると思います。
なのに、「地獄谷」に来て卵を食べて、長生きしたいと思う貪欲さが、
多少の皮肉を混じえて、何ともたくましく思えたのです。

画像
地球が生きていることを
実感できる光景です.
地獄の恐ろしさよりも、
地球の逞しさが見えて、
何となく嬉しくなります.

「大涌谷」では、火山活動の様を垣間見ることができます。
「生きている地球の生命力」の一端を感じることができるのです。
「生命力」から連想される食物の一つに、卵があります。

ですから、黒い硫化鉄が殻に付着した「黒たまご」は、「生きている
地球」の分身のようなものだと、考えることができます。

とすれば「黒たまご」は、「寿命が延びる」から食するのではなく、
「地球の生命」と同化する気持ちで戴く方が、この地で食べる意味が
あるような気がします。

画像

ロープウェイのゴンドラが
硫黄の白煙に燻されている
ように見える時があります.

「自分の長生き」だけを考えるのではなく、「地球に生かされている」
ことを意識する方が、結局は長生きできるように思うのです。

「黒たまご」も、口に入れてしまえば、地球を考えようと考えまいと、
物理的に栄養学的に、効果は同じです。
しかし「地球の生命」を一瞬でも意識すれば、食することは、自分が
地球の一部となる行為になると思います。

それを繰り返していくうちに、地球と自分の共生する感覚が、人生の
根底に少しずつ定着していくような気がします。
そして、いつか地獄に墜ちた時は、「地球と一緒に豊かに生きてきた
ような気がします」と言って、落ち着いていられるように思います。

画像

帰りのゴンドラの中です.
「大涌谷」を振り返って
見ない人はいません.

この日は、富士屋ホテルで4時の「館内ツアー」に参加する予定でし
たので、3時頃には「宮ノ下駅」に着く必要があります。
よって、芦ノ湖には向かわず、「大涌谷」で引き返します。

女房も、30分間に硫化水素の白煙や「黒たまご」は見飽きたようで、
昼食もパスして、混雑したロープウェイ乗り場に急ぎました。
「帰りも、混んでる箱(ゴンドラ/電車)ね(箱根)」と苦笑しながら...。

170620
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1)「Google Earth」
(註2)「川崎駅 レイアウト製作日誌」
 http://kq2100.blog110.fc2.com/blog-entry-1202.html
(註3)「sumioSLC57の鉄道情報ブログ」
 https://ameblo.jp/sumioc57/entry-12096174500.html
(註4)「Musashino SnapShot」
 https://plaza.rakuten.co.jp/gekokuro77/diary/200905160000/
(註5)「箱根登山ケーブルカー」早雲山駅
 http://roomp.travel.coocan.jp/webtrip/japan/hakonetozan/cable/cable.html
(註6)「元箱根ルチア」
 https://plaza.rakuten.co.jp/motohakonelucia/diary/201607030000/




記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-12-1 箱根小旅行1-富士屋ホテル

2017/06/10 10:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
女房と私は、共に頑固者ですから、日常はさほど意見が合うわけでは
ありません。
しかし、「あの世には金や名誉は持っていけない、持っていけるのは
思い出だけだ」という意見は一致しています。

したがって、貯金よりも、小旅行を楽しみ、食(と酒)を美味しく頂く
ことを優先して暮らしています。
そして、お金を使う部分と、節約する部分とを、夫婦で喧嘩しながら
区分けし、私たちなりのメリハリをつけて生活を楽しんでいます。

画像

(註1) 宮ノ下付近は、富士屋ホテルの開業を機に、外国人向けの
 リゾート地として発展しました.


五月下旬、夫婦で箱根に一泊二日の小旅行に出かけました。
70歳を迎える私のために、女房が企画してくれたものです。

今回は奮発して「箱根・富士屋ホテル」を手配してくれました。
1878年(明治11)創業の、クラシックなリゾートホテルです。
2018年から改修工事が着工され、2020年の春まで休館になるので、
この際、ついでだから宿泊してみようと考えたのかもしれません。

その代わり、東京から小田原までの電車は「スーパービュー踊り子」
ではなくて、古い特急「踊り子」を利用しました。
36年前(1981年)にデビューした、老いた「踊り子」です。

画像(左) 花御殿
 (1936年[昭和11])
 本来は外国人客専用の
 宿泊棟でした.
(右) フォレスト館
 (1960年[昭和35])
 今上天皇が宿泊された
 ことがあります.

小田原駅に11時頃到着し、登山電車、ケーブルカー、ロープウェイを
乗り継いで、白い噴煙の立ち昇る「大涌谷」を観光しました。
名物の「黒たまご」は、「一個で7年の延命長寿」という売り文句が
好きになれないし、長蛇の列に並ぶのもイヤなので、パスしました。

ホテルのある宮ノ下に戻って、「渡邊ベーカリー」のシチューパンで
遅い昼食をとり、3時頃にチェックインしました。
4時からスタートする「館内ツアー」には、充分間に合いました。

「館内"見学"ツアー」と言わないところが、奥ゆかしいです。
上から目線で「見て学んでください」ではなく、「見ていただければ
幸いです」という謙遜したニュアンスを感じるのです。

画像画像

(左) 本館(1891年[明治24])の玄関...回転扉は日本で最古です.
(右) ロビー...かつては写真正面にフロントデスクがありました.


チェックインは女房が手続きしました。
私は少し離れて、ロビーの尾長鶏の彫刻を眺めていました。

厚顔にも女房は、フロントのスタッフに、明日は夫が70歳の誕生日を
迎えるのだと話したようです。
予約は「フォレスト館」の安価なクラスの客室でしたが、スタッフは
5階のセミスイートの客室に変更してくれました。
フロントデスクの粋な計らいに、女房は大満足でした。

画像
このセミスイート室は
質素に見えますが、
建具廻りの細部造作は
非常に丁寧です.

私たちのセミスイートの客室は、サービスだったせいか、割と質素な
インテリアでした。
しかし、部屋は広いし、ベッドは大きく、バスタブはヒノキ造りで、
本当に快適に過ごせました。
最上階ですから、箱根の緑深い山々の眺望を楽しめました。

くつろぐ間もなく、4時の「館内ツアー」に参加すべく、集合場所の
バー「ヴィクトリア」に急ぎました。
そこは、当初はビリヤード室だった、クラシックなバーです。
夜の照明下では、良い雰囲気になることが確実な空間です。

画像
館内ツアーの集合場所の
バーです.
天井装飾はビリヤードを
モチーフにしています.

「館内ツアー」には約40人が参加し、40分ほど施設内を巡りました。
創設者の話、チャップリンやヘレン・ケラーが宿泊した話など、女性
スタッフが透き通った綺麗な声で説明していました。

興味深い話でしたが、私は、夕食後に、飲めない女房を説き伏せて、
バーにカクテルを飲みに行く段取りを密かに考えていました。
結局それは、夕食時のハプニングに動揺して、果たせませんでした。

画像
1930年[昭和5]に竣工した
メイン・ダイニングルーム
「ザ・フジヤ」です.
日光東照宮本殿をモチーフ
にしたインテリアです.

レストラン「ザ・フジヤ」では、格天井の板絵が綺麗でした。
636種以上の高山植物が描かれているそうです。
間近で一枚ずつ鑑賞したいのですが、5.5mの高さにあります。
詳細が見えないのが残念です。

私にはやや装飾過多に見えますが、外国人の宿泊客には好評なのかも
しれません。
ここで朝食の時、外国の女性客はしきりに写真を撮っていました。

画像
鬼の顔は、見様によっては
ユーモラスです.
しかし薄暗い時は、白目が
不気味に見えると思います.

柱の下部には、恐ろしい形相の鬼のような顔が付けられています。
これは三代目社長が、スタッフがサービスを怠っていないか、笑顔や
挨拶を絶やしていないか、厳しく見ている...という意味だそうです。
ユーモアと遊び心のある社長とお見受けしました。

しかし、このホテルのスタッフの接客姿勢は、本当に素敵でした。
彼らの笑顔や気配りは、厳しい教育や監視によって作られるものでは
ないと思います。

義務ではなくて、心から喜んで気配りしているように見えるのです。
ですから、柱のどこか一つでも、彼らのサービスを認めて労うような、
笑顔の鬼の面が設えてあってもいいのに...と思いました。

画像
レストラン、グリル、バー
などのある食堂棟(1930年
[昭和5])の外観です.
左に少し見えるのは本館
(1891年[明治24])です.

このホテルの魅力は、文化財の施設群や立地環境、著名人の宿泊した
歴史にあるのではないと思います。
自信と誇りを持ってサービスするスタッフたち総体の醸し出す空間に
あるような気がします。

そして、その人的環境は逆に施設群や自然環境の存在を活かし、その
効果が来訪者の心を癒すように包み込んでいるように思うのです。
それが、このホテルの大きな魅力だと思います。

誕生日サービスのお礼に褒め上げているのではありません。
スタッフに記念撮影をお願いする時、清掃員と廊下ですれ違う時も、
笑顔とさりげない配慮が、優しい気持ちにさせるのです。
その時には気がつかず、後になってジワーと湧いてくる感覚です。

画像
(註2)
簡素なインテリアですが、
それだけに、繊細な盛り
付けられた料理に気分が
集中します.

バーに行くのを忘れるほど感動したハプニングは、グリル「ウィステ
リア(フジの花の色という意味)」での夕食+誕生祝いでした。
私たちは、客席から少し離れたブースに案内され「ディナー+祝いの
一皿」を戴きました。
フロントデスクから連絡があったのでしょう、嬉しい計らいです。

デザートが終わる頃、スタッフ2人が、何やら白い布を被せた小包を
ソロリソロリと運んできて、テーブルに置きました。
布を取ると、7本のローソクを立てた小さなケーキでした。

画像
スタッフが撮ってくれた写真
です.
小さなケーキですが、大皿と
高坏のような台に載っている
ので、立派に見えました.

スタッフは営業用ではない笑顔で「お誕生日おめでとうございます」
と言って、ローソクにを火を灯します。
生まれて初めてローソクの灯を吹き消す時は、私は柄にもなく目頭が
熱くなり、鼻水も飛び出そうになりました。

スタッフは写真を撮り、ケーキを戴く間にプリントしてくれました。
写真を手に持って、他のテーブルを軽快に廻り避けながら、急ぎ足で
こちらに向かう様子が、福の国からの使者のように見えました。

画像
フォレスト館5階の客室から
北の方角を見た景観です.
山の中腹に「太閤ひょうたん
祭り」のシンボルが見えます.
しかし、それを知らない方が
感傷に浸れると思います.

客室に戻って、女房は長い入浴を始めました。
その間、私は人生の夕暮れを考えながら、ゆっくりと紫色に染まって
いく山並みを眺めていました。
酔いも手伝って...古稀を迎える最高の舞台空間です。

浅はかな我が70年には、慚愧する想いが山ほどあります。
いつもは、それが次々に浮かんできて、気分が落ち込んでいきます。

しかし、優しいハプニングの後に見る、夕暮れの景観は、心底に沈着
したシコリを少しほぐしてくれるような気がしました。
普段は頑固で気の強い女房ですが、今回は粋なプレゼントを用意して
くれたものだと、この時ばかりは感謝しました。

画像
左=花御殿
 (1936年[昭和11])
右=西洋館
 (1906年[明治39])
右奥=フォレスト館
 (1960年[昭和35])

その時、風呂から上がってきた女房が、「オイ、コケ(古稀)爺さん、
いい風呂だぜ、入ってきなよっ」と言います。
途端に、現実に引き戻されました。

明日、古稀の初日は、芦ノ湖の箱根神社を訪ねる予定です。
しかし、明日はケーブルカーが運休するとは知らなかったので、少し
計画変更が必要です。
「古稀からの人生も、そんなもんだろうね」と女房は笑います。

170610
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1)「Google Map」
(註2)「富士屋ホテル」
 http://www.fujiyahotel.jp/restaurant/victoria/index.html



記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


暮らし/雑草-14 タチアオイが移動...?

2017/05/30 13:52
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
昨年の5月下旬、私たちの留守中、拙宅前の道路のフェンスに咲いて
いた「タチアオイ」が、オレガ婦にカマで切り捨てられました。
自治会の道路清掃に隠れた、いつものオレガ夫婦のイヤガラセです。

私は、雨の少ない時は水をあげ、背が伸びて風で倒れそうになる時は
添え木をして支え、赤い花を咲かせるのを見守っていたのです。
自宅前に「タチアオイ」のある近隣の人たちも、同じようにして支え、
「タチアオイ」を見守り、花を愛でていました。

オレガ婦は、拙宅前の「タチアオイ」だけを切り倒して、見せしめの
紐を残して、悦に入っていたのです。

それでも少々の不安があったのか、オレガ婦は「アイツ、文句言いに
来るかな...」と、オレガ夫に相談する声が聞こえてきました。
アイツとは私のことです。
オレガ夫は「みんなでヤッタと言えば大丈夫」と応えていました。

画像

タチアオイが倒れない
ように支えています.
近隣には、同じように
花を楽しむ人もいて、
タチアオイが道に並び
ます.

「地域の親切な親分」を自負するオレガ夫婦ですが、その見え透いた
下品な言動に馴染まない私だけが、彼らには目障りなのです。
そして「雑草にも命がある」と言う私は、異常なのだそうです。

私は、オレガ夫婦と同じ空間には存在したくないので、彼らの陰湿な
イヤガラセに一々反応して付き合う気はありません。
しかし、そのせいで切り取られた「タチアオイ」が可愛そうでした。

フェンスの向こう側にいたので切り取られなかった「タチアオイ」が
一本、寂しそうに残っていましたが、何故かすぐに枯れ始めました。

画像

タチアオイは私たちの
留守中に切り取られ、
紐だけが残されていま
した.
フェンスの向こう側の
タチアオイも間もなく
枯れていきました.

今年の「タチアオイ」は、切り取られた位置には育ちませんでした。
面白いことに、道路を挟んだ拙宅のブロック塀の、真向かいの位置に
芽を出してきたのです。

女房も近隣も、私が塀際に移し植えたと思っているようでした。
しかし私は、切り株を植えたことも、種を蒔いたこともありません。
種が勝手に飛んで移ってきた...としか思えないのです。
これを言えば、さらなる憶測を生みますから、私は黙っていました。

ともあれ、背が伸びてきた「タチアオイ」は、庇の軒先に紐をかけて、
倒れないように支えました。
5月中旬、赤い花を咲かせ出したので、本当に嬉しくなりました。
「綺麗な花を見せてくれてありがとう」と心中で声援を送りました。

画像

拙宅の私のデスクから見た
タチアオイです.
道路の向こう側からタネを
飛ばして移ってきたと思い
ます.

この「タチアオイ」は、拙宅の塀際に立っているので、オレガ夫婦は
切り取らないだろうと、少し安心して眺めていました。

しかし、こうしたことには異常に執念深い夫婦です。
いつかは、何かのドサクサに紛れて切り取ってしまうでしょう。
そして「みんながヤッタ」ことにして隠れ、陰でほくそ笑むでしょう。

画像

拙宅の塀際に移動してきた
タチアオイです.
のびのび育って高さ2.5mを
超えました.

ところが、今年は自治会の道路清掃は取り止めになりました。
中止か廃止なのかは分かりませんが、とにかく今年は、オレガ夫婦は
拙宅前の「タチアオイ」を切り取る大きな機会を失ったのです。

塀際に移ってきた「タチアオイ」は、少なくとも今年は、好きなだけ
花を咲かせて良いチャンスを得たのです。

道路清掃が中止だと知ったオレガ婦は、「カマ持って待ち構えていた
のに...」と、拙宅の横で不満をぶちまけていました。
切る対象が「タチアオイ」なのか、他の草花なのかは言いませんが、
拙宅の塀をアゴで指す様子が見えたので、「タチアオイ」でしょう。

画像

花を楽しむ人もいますが、
この近隣には、元は雑草だ
という理由でこの花を嫌う
人も多くいます.
差別なく楽しむことができ
れば、道端の光景も綺麗に
見えると思うのですが...

今年も、近隣には、紐で支えられた「タチアオイ」が並びます。
例年は、拙宅前の「タチアオイ」だけが切り取られた光景が、寂しく
見えていました。
しかし今は、位置を少し変えて、精一杯に咲いています。

切り取りを自分の仕業にされているとは知らない人も、オレガ夫婦の
いない時は、「タチアオイ」の赤い花を愛でていきます。

そうして、「雑草にも命がある、雑草の命を根絶しないで共存する」
ことへの共感度が少しずつ大きくなるように期待しています。
そうなれば、それは「花の力」です。

170530
□□□□□


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/美術-14 神様がお尻を丸出しで...

2017/05/20 09:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
ローマに旅行する人は、必ずと言っていいほど、バチカン市国の中の
システィーナ礼拝堂を訪れます。
多くの場合、ミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti
Simoni/1475-1564)が、1508年から4年をかけて制作した天井画が
お目当てです。

画像画像
(左/註1) システィーナ礼拝堂/1473-81
 /バッチョ・ポンテッリ(Baccio Pontelli/1450-92),
 ジョヴァンニーノ・デ・ドルチ(Giovannino de' Dolci/1435-85)
(右/註2) 現在は内部の撮影は禁止されています.


天井画は「創世記」の中から9場面が描かれています。
この中でも、「アダムの創造」が最も有名です。
神がアダムに手を差し伸べて、エネルギーを注入しようとする時の、
指先が触れ合う瞬間の場面です。

画像
(註3) 身体に命が宿る瞬間の静謐な緊張感が流れる場面です.


私がこの場面を最初に見た時は、不遜ながら、乾燥時に金属性のドア
ノブに手を触れて、指先に静電気が走るショックを思い出しました。
おそらく、アダムも、エネルギーが流入する時は、指先と身体全体に
心地よいショックを感じていたと思います。

14-4 汚れ
画像
(註4) 腰布を描き足してお尻を隠すことはできたと思いますが...


私は、この「アダムの創造」よりも、有名ではありませんが「太陽、
月、植物の創造」の場面の方が好きです。
創造の神が大地を創り、植物を生み、昼と夜、時間と四季を支配する
太陽と月を創り出した場面です。

イカつい顔した神様が、どこからともなく現れ出でて、両手を広げて
「マルッ」と言いつつ(?)指先で円を描くと、太陽と月が誕生します。

「よし」と思った(?)神様は、スーッとどこかへ飛び去っていきます...
お尻丸出しで...。
その姿が、不遜ながら、ユーモラスに見えて、私は好きなのです。

画像(註4)
修復されると、顔や手の
浅黒い肌色と対照的に、
神様のお尻が、より一層
白く輝いて見えるように
なりました.
神様もお尻だけは日焼け
しないからでしょう.

上着は着ていても、何故かズボンを履かず、腰布を前部に掛けている
だけなので、後ろから見ると、お尻が丸見えなのです。

特にお尻に注目しなければ、創造の神の「力」の壮大さ素晴らしさを
賞賛し、感動する場面です。
気にしなくてもよいところですが、一旦お尻が気になると、なかなか
頭から離れなくなります。

しかし「お尻丸出しの神様の後ろ姿」の表現や意味について解説した
資料は、ついに見つけることはできませんでした。

画像

(註5) 裸体であるよりも、
腰布で隠す方が、猥褻に
なるような気がします.
現在はほぼ半数の腰布が
除去されています.

天井画の完成から24年後、ミケランジェロは礼拝堂の正面に「最後の
審判」を描くことになります(1536-41年)。

ミケランジェロは「人間は神に似せて創られた。真に美しいのは裸体
である」という強い信条を持っていました。
ですから、彼はこのフレスコ画の全員を全裸で描きました。

しかし、1555年に就任した教皇は、芸術性よりも裸体や性器の群に
注目したのか、これを猥褻だと断じて破却しようとしました。
そこでダニエレ・ダ・ヴォルテッラ(Daniele da Volterra/1509-66)
が急遽「腰布」を加筆し、絵は壊されずに済みました(1565年)。

画像

(註6)
コンクラーヴェも行われる
神聖な空間ですが、天井や
壁に、こうも裸体が多いと、
少々うんざりします.

「人間は神に似せて創られた」とすれば、神のお尻は、人間のお尻と
同じように見えるはずです。
しかし、ミケランジェロの描いたお尻は、「最後の審判」のように、
筋肉たくましいモノが多いようです。

それに比べると「太陽、月、植物の創造」の場面の神のお尻は、少々
雑に描いているように見えます。
恐れ多くて、神のお尻は直視できない、のでしょうか。
あるいは、神は概念であって実体がないという理由で、少しボカして
描いたのでしょうか。

わざわざ神のお尻を丸出しにした意図は何なのか、神様に失礼ながら、
私は興味津々で眺めていました。
神様にズボンを履いていただくか、丈の長い衣服を着ていただくか、
前を向いていただくかして、ミケランジェロがお尻を描かなければ、
ゲスな悩みを持たずに済んだのです。

お尻丸出しの理由は不明ですが、あの神様の姿は、不遜ながら私には
ユーモラスに見え、またミステリアスでもあり、好きです。

170520
□□□□□
(註1)「wikipedia/システィーナ礼拝堂」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/システィーナ礼拝堂
(註2)「Google Map」
(註3)「pinterest.com」
 https://ro.pinterest.com/explore/システィーナ礼拝堂/
(註4)「wikipedia/システィーナ礼拝堂壁画修復」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/システィーナ礼拝堂壁画修復
(註5)「wikipedia.org/最後の審判(ミケランジェロ)」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/最後の審判_(ミケランジェロ)
(註6)「figaro」
 http://madamefigaro.jp/paris/blog/keiko/51820707.html



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


暮らし/日常-29 土足で家に侵入した少年

2017/05/10 10:50
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
拙宅の近隣にも、高齢の夫婦だけで暮らすお宅が多くなりました。
時々、独立した息子・娘夫婦が孫を連れて遊びに来ています。
彼らの小さな孫が「おじいさん、こんにちは」と挨拶してくれると、
本当に嬉しくなります。

しかし、その中に、私を避ける息子がいます。
例の「オレガ」夫婦の息子です。
彼が私を避ける理由は、彼が小学校の高学年の頃、拙宅に土足で侵入
したことを、私が目撃したからです。

夏の昼下がりの静寂な時間、私一人が家にいて読書していました。
「オレガ」息子が、ゴム草履を履いたまま、庭からソーッと家の中に
無断で上がり込んで来ました。
足音を忍ばせ、畳の上を歩き回り、私の子供の遊ぶボールを発見し、
手に取って持って行こうとしました。

画像

(註1)
この子の親も他人の敷地に
無断で入ることがあります.
モノを盗ったことはないと
思いますが、他家の庭先に
無断で入ることに無頓着な
家庭のようです.

その時、彼は私が家の奥にいることに気づき、「アッ」と小さな声を
出し、ボールをソーッと放し、ソロリソロリとゆっくり後ずさりして
出て行きました。

私は黙って一部始終を見ていただけでした。
畳に着いた土の足跡を掃除しただけです。

その後の彼は、何事もなかったように振舞っていましたが、私だけを
避けるようになったのです。
人知れず後悔して、悩んでいたのかも知れません。
あるいは、「オレガ」夫婦の生き方と同じように、自分に都合の悪い
ヤツを憎らしく思っていたのかも知れません。

画像
(註2)
土足で家に侵入した少年は、
その後、単なる人見知りとは
違う態度で、私を睨みつけて
避けるようになりました.
そして彼の子供も同じ仕草を
するようになりました.

私はその出来事は誰にも話していません。
「オレガ」息子の今後に傷がつくかも知れないと思ったからです。
彼には「誰にも言わないから忘れなさい」と伝えたいのですが、その
機会はありませんでした。

「オレガ」息子が私を避けて嫌う姿勢は、その子供に伝播したようで、
その子も私を嫌って逃げていきます。
事情を知らない「オレガ」は「俺の孫に嫌われるヤツは性根が腐って
るんだよ」と、笑いながら近隣に吹聴していました。
そして「オレガ」は、「オレガ」息子を品行方正だと自慢します。

昔の嫌な出来事を胸に抱えて、辛い思いをしている人は必ずいます。
「オレガ」息子には、この苦々しい経験を肥しにし、思い出の辛さに
寄り添える人として成長していくことを願っています。

170510
□□□□□
以下のサイトの画像を加工しています.
(註1)「住まいの松木」
 http://www.sumainomatsuki.com/2011/09/
(註2)「出会い大学」
 http://deai-daigaku.com/shyness/




記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/TV番組-09 親切だろうけと少々迷惑な手差し

2017/04/29 10:55
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
私はニュース番組を観るのが好きです。
特に、政治的多数にへつらわず、理路整然と正論を述べる、司会者や
解説者のいる番組は、好感を持って観ています。

しかし、解説者の説明している時、司会者がパネルの前に出てきて、
説明部分を「手差し」してくれるのは、私は迷惑に感じています。
「手差し」は、不遜かも知れませんが、私には目障りに映るのです。

画像画像
(左.右/註1) 「手差し」は親切のつもりでしょうけど...


解説パネルの全体を見たり、他の部分をチラ見しながら、説明を視聴
しているのに、「手差し」されると、そこを強制的に注視させられて
いるように感じます。

「手差し」する司会者が、単なる出たがりというわけではなく、特に
親切な性分なのかも知れません。
親切な彼は、解説を正確に効率よく理解するように手助けしていると
思いますが、その手が邪魔なんです。

本を読んでいる時、親切な誰かが側に来て、次に読む行を「指差し」
してくれるのと同じです。
それは、ほとんどの方は迷惑に感じると思います。
次の行を指で差されなくても読めるし、自由に読書したいのです。

画像

(註2)
忌憚のない解説ほど
自由に聴きたいです.

「手差し」を気にせずに解説を聞けばいいのでしょうが、それほどの
集中力はありません。
彼の手がどうしても視野に入るし、彼の視聴者(カメラ)を見る視線も
気になってしまうのです。

悲しい事件を報道している時に、チャカポコと面白おかしい音楽(?)を
聞かされることにも、不愉快を我慢しています。
さらに、解説を自由に視聴する際にも目障りがあると、報道に誇張が
あるのではないかと疑ってしまいます。

「手差し」も「チャカポコBGM」も控えめにした、端正な報道姿勢を
心密かに待望しています。

170429
□□□□□
以下の画像を加工しています.
(註1)「YouTube」
 https://www.youtube.com/watch?v=9mRyP9zlxdM
(註2)「女子アナ&気象予報士」
 http://blog.livedoor.jp/horiemongogo321/archives/2013-02.html?p=2
harakaori_miyaneya_20140923150625


記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


暮らし/日常-28 安価な茶碗にも「顔」があります

2017/04/19 10:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
拙宅では、食事の後片付け・食器洗いは私の仕事です。
私は、料理は湯を沸かすことしかできないので、後片付けを分担して
いるのです。

別のことを考えながら食器を洗い、皿を落としそうになって、ハッと
我に帰ることがあります。
そして、ついに、私の湯呑茶碗の口を少し欠いてしまいました。

少しでも欠けた茶碗を使うのを女房は非常に嫌います。
気に入っていたし、高価なものではないし、ついでの用もあるので、
新調することにしました。
二人で「大宮そごう」の7階、和食器のコーナーに向かいました。

画像
美濃焼だと思いますが...
同じデザインの飯碗と
湯呑茶碗です.
意外と安価でした.

同じ茶碗でも、「胴」の釉薬の模様が微妙に異なります。
私は茶碗の「顔」を気にするので、釉薬の模様を慎重に選びます。
安価な茶碗でも、それぞれに個性的な「表情」をしているのです。

茶をいただく時は、温かい碗を両手に包んで、しばし「顔」を眺め、
そして「顔」の部分を避けて縁に口をつけます。
妙な癖ですが、昔、祖母から教わった、普段の茶の楽しみ方です。
それは、女房にも気付かれないような、瞬間のこだわりです。

画像画像
(左) この「顔」の景色を見ると、(右/註)海の風景をイメージします.


和食器のコーナーで、いくつか並ぶ同じデザインの茶碗の、それぞれ
個性的な「顔」を眺め比べていました。
私はニタニタしていたのでしょうか...女房が「何してんの?」と怪訝な
様子なので、相性の良さそうな「顔」の茶碗を急いで購入しました。

私が縁を欠いた古い茶碗は、心中で丁寧に礼を伝えて廃棄しました。
新しい茶碗も、安価ですが、「顔」の景色を楽しめます。

画像

器の「顔」は個性的な
小さな「軸」を作り、
動きながら絡み合って
団欒の空間を賑やかに
します.

私は、どの部分も正面であるような、つまり正面のないコップや碗や
皿よりも、「顔」らしき正面のある和食器の方が好きです。
「顔」や正面のある器は、単なるテーブル上の「点」でなく、小さな
「軸」を作って空間秩序に参加しているような気がするからです。

つまり、いくつかの「点」が散在するよりも、小さな「軸」が複雑に
絡み合う方が、団欒の「場」が少し豊かになると思うのです。

170419
□□□□□
(註)「pakutaso」の画像を加工しています.
 https://www.pakutaso.com/20150225044post-5172.html



記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


雑観/TV番組-08 NHK「旅するユーロ」

2017/04/11 09:50
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
春分の日とその翌日、毎週欠かさず観ていたTV番組が終了しました。
昨年の10月から半年間続いた、NHKの4番組、「旅するドイツ語・
旅するイタリア語・旅するフランス語・旅するスペイン語」です。

集中力の弱い私は、教養番組は苦手ですから、どうせ最初の数回しか
見ないだろう...と半ば諦め、テキストなしで眺めていました。
しかし、この4番組は、ついに最終回まで見続けてしまいました。

4月から再放送されていますが、それより、続きの方をもっと見たい
と思いました。

画像

画像
(左/註1) ウィーンと近郊の街を歩く「旅するドイツ語」です. 私は
 テキストは購入しませんでしたが、それでも十分に楽しめました.
(右/註2) カフェ・ディグラス(Café Diglas)の内部です.
 私たちも後ろの窓際のテーブルで道往く人を眺めながらコーヒーを
 飲んでいたことがありました. スタッフもこの男性でした.


その理由は、この4番組が、従来のスタジオ収録の「語学番組」とは
かなり趣の異なる内容だったからです。
つまり、視聴者が飽きないように様々に演出して、言い回しや文法を
教え込むのではないのです。

現地の街を歩きながら、庶民の家庭を訪問し、宮殿や教会、カフェや
ビストロを巡りながら、出演者が現地の人と言葉を交わすのです。
ネイティブゲストの指導を受けながら話すフレーズは、流暢ではない
のですが、逆に私には親近感がありました。

画像

画像
(左/註1) 出演者の控えめなジェスチュアが「雅楽」的でした.
(右/註3) イタリアの市民は、人生を楽しむ術を持っています.


スタジオで、文法に注意しながら話す言葉は、頭脳を刺激します。
対して、人の生き様や、伝統文化や街への愛情に触れる時の会話は、
自然に身体に染みていくような気がしました。

その時に覚えたつもりのフレーズは、その都度すぐに忘れていきますが、
その場面の映像は印象に残っています。
似たような情景に会えば、そのフレーズは思い出しやすいでしょう。

画像

画像
(左/註4) ネイティブゲストのさりげないエスコートが素敵でした.
(右/註5) パリの女性の気品は、街の空間が育んでいると思います.


それに、昔の旅行で、見たことのある建物や歩いた街角、コーヒーを
飲んだカフェの映像が出てくると、「あの時は、こう言えばよかった
のか...」と渋い懐かしさが湧き上がってきます。

私は、NHK「旅する○○語」は、会話の学習よりも、海外旅行ガイド
として楽しんだのです。
月曜の23時25分または火曜の24時からの1時間、一人、風呂上がりの
寝酒を飲みながら、時々メモを取りながら、眺めていました。
私にとって、理想的な学習スタイルです。

画像

画像
(左/註6) 市民は、金はなくても「豊かな人生」を楽しんでいます.
(右/註7) 酒好き建築家のネイティブゲストには親近感を持ちました.


そして酔ってくると、息子や近隣人の私への苦言が思い浮かびます。
「贅沢してるとバチ当たるよ...子や孫のために貯金すべきだろ...」
私は「テヤンデー...これが俺の生き様だ」と呟きます。

 あの世には、金も名誉も持って行けないんだ...
 持っていけるのは、自分の「思い出」だけなんだ...
 自分なりの「思い出」作りに、夫婦で海外旅行したんだ...
 金は、子供に遺すより、自分の「思い出」作りに使いたいんだ...
 「思い出」作りは金がなくてもできるけど、たまたま使ったんだ...

そうした言い訳を繰り返し、適当に酔って、「みんな、ありがと」と
呟いて、気持ちよく寝ます。
その時、何故かフと寂しくなって、涙が溢れていることもあります。

私にとって、そうした貴重な「時」に導くTV番組は稀有です。
次のNHK「旅する○○語」は、どんな企画なのか...楽しみです。

170411
□□□□□
以下の画像を加工しています.
(註1)「ebookjapan」
 https://www.ebookjapan.jp/ebj/380480/
(註2)「日々の出来事」
 http://jirokayo.seesaa.net/article/447902064.html
(註3)「Donna Nonnoの成長日記」
 http://nonno-nikki.seesaa.net/upload/detail/image/IMG_2579-thumbnail2.JPG.html
(註4)「ebookjapan」
 https://www.ebookjapan.jp/ebj/380478/volume20160921/
(註5)「skymods on Ttwitter」
 https://mobile.twitter.com/skymods/status/812935357972942848
(註6)「NHK出版」
 https://www.nhk-book.co.jp/pr/text/gogaku.html
(註7)「こうはんの日々」
 http://ameblo.jp/1-1-pi-su/entry-12245854385.html



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


暮らし/雑草-13 道端で早春を喜ぶ雑草たち

2017/03/31 10:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
春分の前後から、拙宅前の道端の草たちが花を咲かせ始めました。
その多くは誰にも気付かれず、ひっそりと咲いています。

机の窓から、風に揺れる花たちを眺めていると、花粉症が酷くて外に
出たくない私も、道端の花たちと一緒に、早春を楽しめます。

画像
毎朝「今日も頑張れよ」
と声を掛け、枯れたら
「綺麗な花を有り難う.
ご苦労様」と胸の中で
声を掛けます.
変人ゆえの奇行です.

雑草でも、大きな花となると、時々チラリと見ていく人がいます。
ベビーカーを押して散歩する若い夫婦は「春だね...」「そうね...」と
笑みを浮かべて、見ながら通り過ぎて行きます。

ヨチヨチ歩きの女の子は、水仙をしゃがんで眺め、「綺麗ね」と言い
摘み取ろうとします。
でも、花はフェンスの外に咲いているので、採れませんでした。

母親の「汚いから止めなさいっ」の制止は興醒めでしたが、女の子の
仕草が「早春の妖精」が舞っているように見えてホッコリしました。

画像

直径1cmの花です.
道端にも、こんなに
綺麗な花を見つける
ことができます.

しかし、小さな雑草の花は、誰もその存在に気付かれません。
でも、春の陽の恵みを受けようと、しっかり空を見上げています。
道端で、そうした直径2ミリの花を発見した時は、その健気な容姿に
心打たれます。

何かお手伝いしようと思うのですが、私にできることは、少々の水を
あげることと、日陰にならないように邪魔しないことだけです。

「しっかり春を喜びなさいよ」と念じつつ、写真を撮りました。
道端にしゃがんで撮影していると、例の夫婦の嘲笑する声が聞こえて
きますが、逆に私は、その貧しき心が気の毒に思えてきます。

画像画像
(左) 直径2mmの花です. (右) 近づいて見ても綺麗な花です.


名を知らないその小さな花は、翌日は見当たりませんでした。
しかし、花は咲いていなくても、どこかで生きているはずです。
近くの他の草たちと見分けができなくなったのでしょう。

雑草の、大きな花も、小さな花も、同じように早春を喜んでいます。
その懸命に生きようとする姿は美しいです。
しかし、その花の咲く時間は短く、一瞬に近い出会いになります。

画像

見事な花を咲かせた水仙
ですが、やがては誰かが
「この汚い雑草は...」と
言いつつ、むしり取って
しまいます.

草花が、早春を喜ぶ瞬間も、ある季節と向き合う瞬間も、偶然に人と
出会う瞬間も、「一期一会」だと思います。
つまり草花は、毎年「同じ動き」を単に繰り返しているのではなく、
異なる「瞬間と場」に生きていると思うのです。

ですから、雑草が花を咲かせて早春を喜ぶ、命の輝く瞬間に出会えた
ことは、幸運だと思います。

その瞬間を、女房や近隣の人たちが目を向けてくれれば、少なくとも
その分だけは素敵な早春を喜ぶことができるのに...と思います。
私だけが、その瞬間を楽しむのは、もったいないです。

170331
□□□□□


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/美術-13-2/2 フラ・アンジェリコ「受胎告知」-2/2

2017/03/21 10:07
雑観/美術-13-2/2 フラ・アンジェリコ「受胎告知」-2/2
*****
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
サン・マルコ修道院の「受胎告知」は、2階の廊下の、階段を上った
先の壁面にあります。

円光と天使の翼以外に、神性の象徴のない舞台で、マリアと天使が、
両手を胸に合わせて、互いに見つめ合っています。
日常空間に神と人が出会って「受胎告知」する瞬間です。
「受胎告知」は、多くの画家が繰り返し描く有名なテーマなのです。

そんな重要な絵を、なぜ狭い廊下の、暗い階段を上った正面に描いた
のか、フラ・アンジェリコの意図が理解できませんでした。
正面から絵の全体は見えないし、絵を見ていて他の人に接触すると、
階段を転げ落ちる危険性のある位置にあるのですから。

画像

暗い階段を上がる時に、
「受胎告知」が真正面に
輝いて見えます.
絵に見とれながら階段を
上がると、人にぶつかり
そうな位置にあります.

暗い階段の先の上方に、「受胎告知」が輝いて見えます。
階段を上がりながら、自分が「受胎告知」の舞台の中に引き込まれて
いくような気がしてきます。

「受胎告知」の場面は、一点透視図法で描かれています。
一点透視の焦点は、マリアと天使を結ぶ視線に直交して、奥の廊下の
小窓付近にあるように見えます。

つまり、「受胎告知」に上昇する階段の空間は、「受胎告知」の一点
透視の焦点に収斂していくのです。
ですから、絵の中に吸い込まれていくような感覚があるのです。

この暗い階段は、人の意識を、現実空間から異次元の「受胎告知」の
舞台に投射する装置であるのです。

画像

一点透視の焦点の小窓は、
舞台空間の奥行きが深い
ように意識させます.

絵画は「正面に立って、静的に鑑賞するもの」とは限らないのです。
移動しながら、鑑賞するアプローチもあるのです。
危険性はありますが、全く回避できないほどではないようです。

フラ・アンジェリコは、階段を上がりながら、「受胎告知」の空間に
入り込む効果を期待して、この場所を選んで描いたのだと思います。

ために、階段を上がる人は、神と人が出会った瞬間の場面に立ち会う
ことができるのだと思います。

画像
(註02)
階段は絵に集中して上昇
するので、自分が「受胎
告知」の場に迎えられて
いくような気がします.

この「受胎告知」の絵は、「透視図法を駆使して合理的な空間を設定
している」と、多くの解説で説明されています。

しかし、人物と建物を比べて見ると、幾何学的な遠近関係を無視して
人物が非常に大きく描かれているのが判ります。
マリアは、立ち上がると、テラスの外にスムースには出られません。

最初は違和感なく見ていましたが、落ち着いて観ると、スケール感が
正常ではないことに気がつくのです。
「合理的な空間が設定されている」とは思えないのです。

画像

階段を上がって絵の前に
立つと、神と人が出会う
奇跡の舞台の登場人物に
なるような気がします.

もし、透視図法やスケール感が、写真のように正常に描いてあれば、
世俗性や日常性が勝って、「受胎告知」という奇跡の場の感覚表現が
希薄になると思います。

人の眼はカメラのレンズとは違いますから、非日常的な感動の場面に
直面した時は、空間は誇張され歪んで見えるのが自然です。

だとすれば、「受胎告知」の空間とは、何気ない日常に起きた一瞬の
「奇跡の空間」ですから、そこに登場するマリアと天使は、存在感を
強調した表現になるのは自然です。

さらにイメージすれば、このスケールアウトした絵を違和感なく観て
いる、ということは、絵の中の舞台空間のスケールに同化した状態で
あると思えてくるのです。
つまり、この絵を受け容れる人は「受胎告知」の現場にいて、奇跡を
目の当たりにしているのです。

フラ・アンジェリコは、そのような絵画と階段の造る一瞬の「奇跡の
空間」を製作したのだと思うのです。
荒唐無稽のイメージなのかも知れませんが、暗い階段の途中で、少し
立ち止まって観ていた印象を反芻すると、そのように思われます。

画像
(註03)
異端とされた書物を焼却
している様子です.
(15世紀の絵画)
サヴォナローラが多くの
美術などを焼いた事件も、
この絵に似たような状況
だったかも知れません.

フラ・アンジェリコがサン・マルコ修道院の二階廊下に「受胎告知」
を描いてから40年後の、1482年、ジロラモ・サヴォナローラがその
修道院に赴任します。

彼は、反メディチ家の市民に熱狂的に迎えられ、贅沢や虚栄の排除を
主張しました。
そして、フィレンツェの美術品、書籍、化粧品などを、シニョリーア
広場に集めて焼却しました(「虚栄の焼却」1497年)。

そんな時期に「受胎告知」が無事だったのは奇跡だと思います。
もしかしたら、フレスコ画だから壁から剥がすのが大変だったのかも
知れません。
あるいは、サヴォナローラが、「奇跡の空間」を造るこの絵の価値を
認めていたから、なのかも知れません。

170321
□□□□□
(註01)「remove」の画像を加工しています.
 http://remove.jugem.jp/?eid=223
(註02)「クレヨン画・ガラス絵・美術展・ヨーロッパの旅」の画像を加工しています.
 http://blogs.yahoo.co.jp/yasumu2002/folder/477384.html?m=lc&p=4
(註03)「wikipedia」の画像を加工しています.
 http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_book-burning_incidents



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/美術-13-1 フラ・アンジェリコ「受胎告知」-1

2017/03/10 11:50
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
フィレンツェの中心の「ドゥオモ」から北方向に600mほど歩くと、
「サン・マルコ修道院」があります。

ここにフラ・アンジェリコの「受胎告知」が展示されています。
私が観たのは20数年も前のことですが、その時の印象は今でも鮮明に
残っています。

画像画像
(左)サン・マルコ修道院(美術館)二階の僧房から見た中庭です.
(右)中庭の一角にもフラ・アンジェリコのフレスコ画があります.


「受胎告知」のフレスコ画は、2階の僧房の廊下、階段正面の壁面に
描かれています。
フラ・アンジェリコと愛称される画僧、グイード・ディ・ピエトロ
(Guido di Pietro/1395-1455)の、48歳(1443年)頃の描画です。

フラ・アンジェリコ(Fra Angelico)とは、「天使のような修道士」と
いう意味です。
彼は、祈りながら絵筆を取り、時に涙を流しながら描いていました。
ベアト・アンジェリコ(Beato Angelico)「天使のような幸福なる者」
とも呼ばれています。

画像

僧房に上がる階段の先に
「受胎告知」があります.

「受胎告知」は、天使が少女の住む家に訪れて受胎を告げるという、
新約聖書のエピソード、超常現象の舞台を表現した絵画です。
その現象の絵画表現には、繰り返し描かれるうちに、様々な約束事が
形成されていきました。

しかし、フラ・アンジェリコがここで描いた「受胎告知」には、この
テーマの伝統的な約束事が描き込まれていません。
神、精霊を意味する鳩、書物、白百合が描かれていないのです。
天使も、命令的に告知しているような仕草ではありません。
「受胎告知」の舞台構成が、簡素化されているのです。

画像

天使の背後の、左側の
窓からくる光が天上の
光のように見えます.

彼は何故、構成を単純化して「受胎告知」を描いたのか、その理由が
いくつか説明されています
・修道院内の、瞑想の生活になじむような構成にするため.
・フレスコ画だから、漆喰が乾く前に早く描くため.
・遠近法や暗の効果を高めるため.
・深い精神性を醸成するため.

ナルホドとは思うものの、まだ、釈然としない消化不良が残ります。
私には、故意に、聖なる象徴を最小限に描いて、世俗的な人間空間に
近い舞台を用意しているような気がするのです。
いつものように、些細な思い違いなのかも知れませんが...。

画像
(註)
円光と翼の他には神性の
象徴はありません.
しかし、神と人の出会う
空間の、静謐な雰囲気が
感じられます.

この「受胎告知」では、マリアも天使も、両手を胸に合わせて言葉を
交わさず、互いに眼を見つめ合うだけの場面が描かれています。
そこには言葉も小道具もありませんが、互いにすべてを理解し合えて
いるような雰囲気が感じられます。

そして、仮に円光と天使の翼が描かれていなかったら、単なる訪問の
挨拶の場面に見えるのかというと、そうでもないのです。
神性の象徴がなくても、この空間には、日常的ではない、穏やかで、
静かな、質素だけども品の高い雰囲気が感じられます。

すると、この舞台は、日常の人の空間が、ある時にフッと、非日常の
神聖な空間が重なってきた場面であるように思われてきます。
そして、現実の空間に、突然に「神と人の出会い」が実現することが
あり得るように思えてくるのです。

つまり、フラ・アンジェリコは「受胎を告知する」場面だけを描いた
のではないと思うのです。
「教会堂内部だけでなく、人が普通に暮らす日常空間にも、神と人の
出会う瞬間がある」ことも、示唆しているような気がするのです。

170310
□□□□□
(註)「wikipedia」の画像に加筆しています.
 https://ja.wikipedia.org/wiki/フラ・アンジェリコ



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


暮らし/健康-10 レーザーで白内障の目玉焼き

2017/03/03 09:50
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
昨年の暮れになって、右目の翳みがひどくなりました。
視野に白濁した部分が出て、視力も落ちてきたのです。

私は、5年前に白内障の手術を受け、以降は、無事に視力も回復し、
両眼とも良好な状態に戻って、快適に過ごしていました。

ですから、今度の目の症状は、白内障とは違う別の病気を発症して、
それが目に現れてきたのかもしれないと心配しました。
内科系の病気なのか、または泌尿器系の病気なのか、心当たりはない
ものの、次第に落ち着かなくなりました。

画像

診療明細の一部です.
「後発白内障」は白内障の
手術後に、水晶体の後側が
混濁する症状です.
治療が必要なほどの症状に
なる人は1〜2%だそうです.

ついにパソコンの画面が見づらくなったので、女房に相談しました。
彼女は内科医院でパートで働いているので、医療については私よりも
詳しいのです。

「この不良老人が...どこで遊んでんだかね...私が働いている時に...」
女房は、冗談で脅しているのか、泌尿器系の病気だと言いました。
最近、性病の疑いのある患者が来院したらしく、「流行っているから
気をつけなさいよ」と揶揄して笑っていました。

私は、潔白を証明するためにも、まず、白内障の手術を受けた眼科を
受診しました。

診断結果は、私の右目は、また白内障でした。
白内障は、5年前の手術で完治したと思い込んでいたのですが...。
私の眼には人工のレンズが入っているのですが、今回は、その周りに
白濁点が発生した「後発白内障」なのだそうです。

医師は「すぐ手術しましょうか...」と軽く言いました。
5分間程度で簡単に済む、日帰り手術なのだそうです。
レーザー光線でいくつかの白濁点を焼いて消すのだそうです。
泌尿器系の病気でないことが判明して安堵しましたが、また手術...。
5年前の手術を思い出して怖くなり、身体が硬直してきます。

画像
(註1)
眼科医院の待合室です.
患者は高齢者が多くて、
ここでは私は「若者」の
部類にはいります.

「(こころの)準備が...」と言いかけたら、「4,5千円で済みますよ」と
私の胸の内と財布の中を見透かしたように、医師は軽く言いました。
ここで逃げたら男の恥だと覚悟して、「では...お願いしましょう」と
冷静を装って応えました。

待合室で待機していると、自分でも情けないほどに、落ち着きがなく
なっていきます。
「レーザーで目を焼くのか...」と何度も考えていたら、看護婦さんが
来て麻酔薬を点眼してくれました。

「とうとう目を焼くのか...」と恐怖心が頂点に達して、「目玉焼きは
痛いですかね...」と、不覚にも失礼なお尋ねをしてしまいました。
彼女は少し笑って「怖くありませんよ」と優しく諭しましたが、また
さらに気分は落ち込んでいきます。

画像
(註2)
「YAGレーザー装置」です.
「後発白内障」の治療に
使用される機械です.

手術コーナーまでどのように歩いたか覚えていませんが、暗い室内の
レーザー装置のそばで医師が待っていました。
暗闇にボーと浮かぶ白衣を見ると、ゾクッとして足がすくみました。

医師は、私が瞬きしないように、直径2cmほどの筒を右目に当てて、
機械を操作しました。
カチャの音がするたびに赤い光が見えて消えますが、これがレーザー
光線なのでしょう...初めて真正面から見ました。

瞬きを防ぐための筒の圧迫感はありますが、麻酔が効いているので、
目玉焼きの痛さは感じませんでした。
数時間のような5分間ほどの手術は、そうして終わりました。

画像
手術後の目の炎症を防ぐ
点眼薬を10日間ほど使い
ました.
名の通り、粘り気の強い
薬ですから、滴を落とす
タイミングが難しいです.

おかげさまで、右目の翳みはなくなり、視界がクリアになりました。
女房は「だから、早く行けばよかったのよ」と言います。

たしかにそうなんですが、「病院」と聞いただけで怖気付いてしまう
私の性質は、老いてもなお強くなるばかりです。
「手術」の二文字が思い浮かべて、私は平常心を失ってしまいます。

女房に「度胸なし...」と謗られながら、熱燗で一人酒しつつ、小泉元
総理が優勝した貴乃花への賛辞を借りて「恐怖に耐えてよく頑張った、
感動した!」と心中で自分を賞賛しました。

170303
□□□□□
以下の画像を加工しています.
(註1)「大宮はまだ眼科」
 http://www.omiya-hamada.com/facility
(註2)「米倉眼科」
 http://www.yonekuraganka.jp/inspection/yag.html



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/スポーツ-07 フィギュアスケートの「演技」

2017/02/21 11:53
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
女性からのバッシングを覚悟で申せば、私は、フィギュアスケートは
どうしても好きにはなれません。
「それは若くてスタイルの良い美男美女に対する老人の嫉妬だ」と、
羽生結弦ファンの女房は言います。

しかし私は、スケーターの誰某を嫌いだと、いうのではありません。
男女を問わず、「演技」が好きになれないのです。

スケーターが、下から上目遣いで睨みつけたり、悲しい顔で悲壮感を
漂わせるなど、過度な自己陶酔は見るに堪えないのです。
試技を終えて「僕は苦しみに負けずに頑張ったよ...」とハァハァ喘ぐ
辛そうな様子も、同情を誘い媚びているようで、見たくないのです。

画像

(註1)
歌舞伎役者のような
「決めポーズ」には、
自分が気恥ずかしく
なって目のやり場に
困ってしまいます.

精一杯頑張ったのであれば、息遣いが少々乱れても、悔いが残っても、
表情には爽やかな印象が感じられます。
気の毒なほどの悲壮感を残していくスケーターが多い中、稀にいる、
そうしたスケーターを見ると、嬉しくなります。

意味不明な悲壮感や怒りも自己陶酔も「演技」の一部でしょう。
しかし、それが老若の女性には「胸キュン」でも、私の如き変人には、
悪く言えば、その媚びた「計算高さ」に興醒めします。

画像
(註2)
老若の女性には喜ばれる
「演技」でしょうけど...
私には薄気味悪く見える
「睨み」です.

フィギュアスケート競技では、「技術」だけでなく「表現・印象」も
評価されるので、「演技」は重要な試技要素なのかもしれません。
だから「フィギュア」と称しているのかもしれません。

しかし、嫌味や滑稽を感じるほどに「演技」しなければ、「技術」が
高く評価されないのであれば、競技自体に疑問が持たれます。

今のところ、芝居っ気のないフィギュアスケートを観覧できるのは、
練習風景しかないのかもしれません。
練習風景は採点されないので、「演技」しないからです。

画像
(註2) 日本人スケーターには、彼らの表情に似たような「演技」を
 見せたがる人が多いような気がします.


私は、フィギュアスケートの「演技」を見るたびに、映画「Shall We
ダンス」の竹中直人たちの演技を連想します。
「上目遣いで睨みつける」顔が似ているからです。

彼の演技が重なると、失礼ながら、フィギュアスケートの「演技」も
滑稽に見えてきます。
しかし、そうした見方をする自分に嫌気がさして、失笑します。

「カッコいい王子様に嫉妬している」と笑われても、TV画面から目を
外らすしかありません。

170221
□□□□□
以下のサイトの画像を加工しています.
(註1)「naverまとめ」
 https://matome.naver.jp/odai/2139227198319259201
(註2)「ガールズちゃんねる」
 http://girlschannel.net/topics/554726/
(註3)「ディノスシネマズ」
 http://cinema.sugai-dinos.jp/pc/blog/detail.php?id=9670



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


暮らし/日常-27 草花の防寒対策は笑い種

2017/02/10 11:52
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
私は近隣の笑い者ですが、その理由の「冬季バージョン」です。
近隣とは、嘘を知る私が目障りなために、陰湿で小さなイヤガラセを
する「オレガ」夫婦と、その取り巻きの子分(奥さん)たちです。

彼女たちの笑い種は、拙宅の前庭と玄関に置く草花の防寒対策です。
夜間が零度近くまで冷える日は、私は草花の鉢をビニール袋で覆って
保温しているのですが、それが馬鹿げているのだそうです。

画像

冬季の前庭は殺風景ですが、
ここで散歩の人と、花木や
ミニトマトやイチゴなどの
話を聞いたりして楽しんで
います.

その防寒対策は、たまたま前を通った散歩の人から教わりました。
彼は、自宅で庭いじりを楽しむ、園芸に非常に詳しい人です。
私の素人っぽい草花の世話に興味を持った様子で、親しげに話しかけ、
冬を過ごす方策をいくつかアドバイスしてくれました。

プランターにビニール袋を被せると多少は保温できるので、寒い朝は
土の凍結や葉の萎れを予防できるのだそうです。

以来、最低気温が零度に近いという予報があれば、夕方の陽が落ちる
頃に、数個の植木鉢をまとめてビニール袋でカバーしています。
全部で28枚を被せます。

画像


雑な防寒対策ですが、
温室効果を期待して
います.

そして、翌朝、朝陽が差してきた頃に、カバーを外します。
ビニールの内側は濡れていて、土も湿っています。

雑な防寒対策ですが、草花たちが喜んでいるかも知れないと、勝手に
思って自己満足しています。

これが、「オレガ」夫婦と仲間の奥さんたちの「笑い種」なのです。
夫の「何の役にも立たねぇのによ、バカのことしてやんの...」の音頭
に合わせて、婦は「マッタク...ねぇ〜」と合いの手を打っています。

画像


殺風景な玄関前も、赤い
花が咲くと、それなりに
見栄えのするスペースに
見えてきます.

ある夕方、私が草花にカバーを被せていた時、「オレガ」婦と仲間の
奥さんたちが、私がまだ庭にいるのに気づかないで、近くで私を嘲笑
する掛け合いを始めました。

私は「飽きない人たちだな...」と苦笑しつつ、ムックリ立ち上がって
塀の上から顔を出しました。
少し驚いて気まずくなった奥さんたちは、薄笑いする「オレガ」婦を
残して、スーッと姿を消していきました。

数後日、私がプランターにビニール袋を被せて善人ぶっていること、
盗み聞きしていること、そんなデマが周辺に流布されたようです。
この地域にも、「オレガ」婦と似たような生き方をしてきた人が多い
ですから、デマは効果的に広まったようでした。

画像



初めて見る人は、異様な
塊に驚くかも知れません.

私がデマに反応すれば逆効果になるので、静観しています。
慣れたせいか、悔しい気持ちは大分少なくなりました。
ただ、ある方のアドバイス通り、できるだけ正確に記録しておく方が
いいのかも知れない...と思っています。
このブログは、そのためにも利用しています。

しかし、そんなことよりも、たまに、通りを歩く人が防寒ビニールを
被せた様子を見て、「草花が喜んでいますね」と言ってくれます。
嬉しくなります。

デマを聞いたであろう奥さんの中にも、「オレガ」夫婦の嫌がらせを
知らない女房に「これって、いいですね」とコッソリ言っていく人も
いるようです。

地域には、草花に被せた防寒ビニールを「笑い種」にする人もいます。
「いいね」と思う人もいるし、無関心な人もいます。
人格の貴賎をいう訳ではありませんが、豊かな気持ちで過ごすために、
その人なりの気持ちの有り様は様々です。

170210
□□□□□


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/美術-12-2/2 クラナッハの怖い絵とヌード

2017/02/06 10:07
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
クラナッハ展には、「誘惑する絵ー"女のちから"というテーマ系」と
いう展示スペースがありました。
そこに有名な「ホロフェルネスの首を持つユディト」があります。
勇猛な武将を油断させて惨殺した女性の絵です。

画像

(註01)
「ホロフェルネスの首を
持つユディト」1530年頃

一度見たら忘れられない
凄みのある絵画です.

「女性の性的な誘惑は、屈強な男性をも破滅させることができる」と
いう意味を表現していると説明されています。
神話や寓話で、古来から男性に戒められてきた教訓です。

「ユディトの艶かしい肌、醒めた眼差し...これが非常に色っぽくて、
生々しいリアルな表現との対比が美しい緊張感を醸し出している」と
大方の解説では「官能性」に注目しています。

しかし、彼女が妖しい雰囲気を漂わせているのは、単に、先ほどまで、
ホロフェルネスを性的に誘惑していたから、ではないでしょうか...。
ユディトは、賢明で勇敢な美貌の女性です。
いつもこうした性的な魅力を振りまいていたとは思えないのです。

女性の性的魅力は「女のちから」であるのかどうか...分かりませんが、
この絵は「女のちから」のテーマで展示されています。
女性からのクレームはないようですが、何となく奇異に感じるのは、
どうやら私だけのようです。
性的魅力の「女のちから」というと、「努」の字を連想するからです。

画像画像
(左/註02) 1530年.(非展示作品です)
(右/註03) 1530年.(非展示作品です)
 分業で製作されるので、女性の顔以外のパーツはよく似ています.


クラナッハは、これに似た絵を、10点以上も繰り返し描きました。
この一連の絵画は、クライアントの女性を「ユディトのように勇敢な
美女」に見立てた、貴婦人の肖像画である、という説があります。

肖像画だとしても、先掲の「ユディト」の絵は、残酷な情景を凄みの
ある妖美に仕上げた、肖像画を超越した秀逸な作品だと思います。

「この絵は観る者を不安にさせる」という評価もあります。
しかし、私は、女性の高貴で毅然とした姿勢に、「不安」ではなく、
「'死'と隣り合わせにある、美しくて時に残酷な'生'」を想いました。

画像

(註01)
「ヴィーナス」1532年

「君は偏見を捨てて直視
する度胸があるか...」と
試されているような気が
します.

クラナッハといえば、やはり...ヌード画に興味が持たれます。
ルネサンス時代の人体表現は、様式化した図式から脱却して、人間の
理想的な体型を解剖学的に正確に描いていました。
しかし、クラナッハのヌードは、どうみても現実的ではないのです。

腰のクビレが、異常に高い位置、バストのすぐ下にあるのです。
その不自然なプロポーションは誰もが指摘しますが、不自然な体形で
描く理由については、まだ十分な解説はないようです。

そして、モデルのほとんどの顔が、表情が画一的に見えます。
故意に、女性の個性を消しているように思えるのです。
つまり、女性の肢体だけに注目させているように思えるのです。

そして「目のやり場に困るよ...だけど見たいよ」と躊躇します。
すると、「誰かに押し付けられた偏見を捨てろ...」と、クラナッハの
囁く声が微かに聞こえてくるような気がします。

画像
(註04)
「ルクレツィア」1533年

「写実性に劣る」という
批判もあるし、「多彩な
感情が読み取れ、深みが
ある」と絶賛する意見も
あります.
ともあれ、素直に楽しみ
たいと思います.

ヌードモデルの多くは、一枚の透明なヴェールをまとっています。
多くの解説では「16世紀のドイツに、99%透ける布地は存在しない」
「透明ヴェールは、エロティシズムを強調するために、クラナッハが
考え出した」と説明されています。

確かに、そうしたヌード画を観ていると、「スケべ心」が妄想を駆り
立ててきます。
すぐに「これは芸術なんだから...」と慌てて妄想を打ち消そうとする
と、「そのままでいいんだよ...」と、クラナッハの穏やかな囁き声が
聞こえてくるような気がします。

通常の服装ではなく、眼前の裸体の一部を布で隠されたら、透視して
みたいと思い、全裸のイメージにトライするのが自然です。
その健康な「スケべ心」は隠す必要はない、と彼は囁くのです。

クラナッハは、ヌード画を観せて「眼前の物事を素直に見ろ...誰かが
押し付けた価値観に束縛されないで、自分の眼で自由に考えろ...」と
メッセージしているように思います。

形式や技巧ではなく、そうした眼を持つことこそが「ルネサンス」で
あるように思います。

画像
(註05)
「正義の寓意」1537年

裸体は、裁きの場で「隠さ
ない」ことを象徴している
そうです.
では、「透明ヴェール」は
どのように解釈されるのか、
しかし、これは未詳です.

ヌード画は、透明ヴェールだけでなく、裸体に綺麗な髪飾りやネック
レスを着けて描かれています。
そうした装身具は、ヌードのエロティシズムを強調するための小道具
であると説明されています。

しかし、別の見方もできるように思います。
クラナッハが、ヌードを盛んに描き出したのは、60歳の頃でした。
「老いてなお盛ん...」というのではなく、社会常識に安易に迎合する
風潮を憂えて、営利を兼ねた彼なりの方法で、「個性の忘失」に警鐘
していると推測します。

そして、65歳から7年間も市長を勤めるほどの人格者です。
季節外れの「スケべ心」を出して、ヌードに異常な興味を持ち、妄想
好きの貴族相手に、金儲けに邁進したのではないと思います。

「現実的」に描かれた装身具は、表情の乏しい顔や眼、異様な体形の
「非現実性」と対照的です。
すると装身具は、エロティシズムではなく、その女性像が非現実的な
存在であると認識させるための「装置」であるように思えてきます。

裸体の「非現実性」は、何かを象徴しているように思わせます。
それは「自分の眼で物事を素直に見て、自由な精神と自分の価値観を
失わない」こと、であるように思います。

彼は、「社会の常識」ではなく、「自分の感性」を大切にするように
促していると思うのです。
クラナッハは、「矛盾・エロティシズム・商業主義の画家」であると
評価されますが、私は「個性の画家」であると思いました。

画像  画像

(左/註06)「十一面観音仏龕」/703年/東京国立博物館蔵
(右/註07)「観音菩薩立像」/7世紀(白鳳時代)/鶴林寺蔵(兵庫県)
 観音様は女性の姿で表現されることが多いようです.


クラナッハのヌードを初めて見た時、不謹慎ながら、私は観音立像を
連想しました。
薄衣をまとって大胆に肌を露出し、腰のくびれが艶かしい観音像は、
見ようによっては、妖艶に見えなくもないからです。

そして、観音像の象徴する「慈悲と救済」が、クラナッハの裸体画の
象徴する「束縛されない価値観」に重なってきます。
「自由な感性は、自分を救済する」という想いが浮かぶのです。

しかし、ここまで想像すると、さすがに飛躍し過ぎです。
我ながら呆れて苦笑しつつ、薄暗い空間でヌードを眺めていました。

画像
東京国立博物館の本館前で
開催された「獅子舞」です.
"東都葛西囃子中村社中"の
演舞で、獅子を舞っていた
のは美顔の女性でした.

色々と想いを巡らせてクラナッハの作品を見ていたら、私がヌードを
凝視していると思ったのでしょうか、突然、背後から女房が「ヤケに
熱心に見てるね...」と声をかけてきました。

飛び上がるほどビックリしましたが、「これから獅子舞を見に行こう
かと考えていたんだ」と、咄嗟のデマカセでごまかしました。

「獅子舞」は、東京国立博物館で開催される新春イベントです。
会場の本館前は、邦人外人の大勢に囲まれました。
見えないので、少し離れてカメラの望遠レンズを通して眺めました。

獅子舞は、悪魔を払い幸せを招く、縁起の良い演舞です。
大黒様も金色の紙吹雪を振りまいて、歓声を巻き起こしていました。
この一年、財はなくても、無事に暮らせるように祈りました。

170131
□□□□□
以下の画像を加工しています.
(註01)「クラーナハ展ー500年後の誘惑」
 https://twitter.com/tbs_vienna2016/status/795254736236576768
(註02)「壺齋散人の美術批評」
 http://art.hix05.com/cranach/cranach12.judith.html
(註03)「美術館訪問記-182 バレル・コレクション」
 https://redrb.heteml.jp/naganoart/nagano_art_182.html
(註04)「あいむあらいぶ」
 http://blog.imalive7799.com/entry/Lucas-Cranach-201610
(註05)「Internet Museum」
 http://www.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=875&Rcolumn_tpc
(註6)「letuce's room」
 http://letuce.at.webry.info/201406/article_7.html
(註07)「静岡市美術館」
 http://www.shizubi.jp/blog/cat37/




記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/美術-12-1 矛盾の画家ークラナッハ

2017/01/20 10:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
初詣は、例年だと二日に、西日暮里駅から東京メトロ千代田線に乗り
換えて「根津神社」に詣でます。
しかし、今年は陽気のせいで女房共々電車で熟睡し、目が覚めた時は
上野駅に到着する手前でした。

画像画像
(左) 国立西洋美術館 (右) クラーナハ展チケットと国立博物館入場券


慌てて降りましたが、ここで後戻りは癪だし、上野まで来ましたから、
国立西洋美術館の「クラーナハ展」詣でに変更しました。
女房は何故かクラナッハに興味があったし、私は美術館の喫茶室から
中庭を見るのが好きだったので、変更はすぐに決まりました。

画像 画像
(左/註01)「77歳の時の自画像」/1550年
(右/註02)「マルティン・ルターの肖像」/1525年
 クラナッハは、65歳から72歳までの間、宗教改革の本拠地である
 ルターシュタット・ヴィッテンベルク市の市長を勤めました.


ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach/1472-1553)は、ルネサンス
時代のドイツの画家です。
若い頃は、多くの祭壇画や宗教画を描いていました。

クラナッハが45歳の頃、彼より11歳若いルターがカトリックの堕落
を鋭く指摘して宗教改革を起こしました。
クラナッハは、絵画を通してこの運動を熱心に支援しました。

画像(註03)「泉のニンフ」
1537年

左上のラテン語は「眠りを
邪魔しないで」という意味
です.  しかし、ニンフは
薄目で「官能への誘惑」を
象徴するウズラを見ています.

一方で彼は、ルター派とカトリック派の両方から注文を受け、貴族の
喜びそうな女性のヌード画を製作していました。
クライアントが誰であろうと、神話などに登場する女神の姿を借りて、
売れ筋のヌードを迅速に生産し大量に販売していたのです。

彼の工房では、大勢の職人が絵画のパーツごとに分業する、効率的な
量産体制が確立していました。
クラナッハは、ヌード画産業の優秀な経営者だったようです。

画像
(註01)「三美神」/1531年
/ルーヴル美術館蔵
(非展示作品)

プライペートな室内で観て
楽しむ作品(37x24cm)です.
心が浄化されるという評価
もありますが、私は逆に、
扇情されそうです.

清貧あるいは激情的な生き方を「芸術家」に求める向きにとっては、
クラナッハは、金儲け主義で、節操のない不道徳な「矛盾の画家」に
みえますから、嫌われる傾向があるようです。

だからでしょうか、同じ世代のデューラーやミケランジェロよりも、
知名度は低いようです。
日本で開催されるクラナッハ展は、今回が初めてなのです。

画像 画像
(左/註04)「不釣合いなカップル」/1530-40年
(右/註05)「不釣合いな恋人」/1530年/個人所蔵. (非展示作品)
 右図の娘は、愛嬌笑いしながら、老人の財布に手を入れています.
 これは、人間の浅ましさを描いた風刺画だと解説されています.
 しかし、それは当時の貧しい女性が生きていくための方法でした.
 人間解放を謳うルネサンス社会の陰の現実を見せた悲しい絵です.


しかし、人は時に不条理を生き方をするものだし、宗教とてそうした
人々が編成して運営する組織ですから、「矛盾」はあって当然です。

「矛盾」は、人間らしくあるために備わった一面であると思います。
ですから、クラナッハの画風に好みはあって当然ですが、嫌う理由に
少なくとも「矛盾」は当たらないような気がするのです。

むしろ、人の心の深層に必ずある、弱さや素直さ、割り切れなさを、
優しく肯定しているように感じることができると思います。
人の心のモロさを、茶化して嘲笑しているとは思えないのです。

画像
(註02)
「ヘラクレスとオンファレ」
1537年

身に覚えのある方は、内心で
赤面するような絵です.

クラナッハは、「情けない男の絵」や「スケべな絵」を見せて、湧き
出る男性の心情を揶揄しているのではないと思います。
「スケべ心」をくすぐられる時、「そうだよね...それでいいんだよ...
お互い様だ」と言う、彼と工房のスタッフの笑い声が聞こえるような
気がするのです。

170120
□□□□□
以下の画像を加工しています.
(註01)「ウィキペディア」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ルーカス・クラナッハ
(註02)「クラーナハ展ー500年後の誘惑」
 https://twitter.com/tbs_vienna2016/status/795254736236576768
(註03)「フリー絵画・版画素材集」
 http://free-artworks.gatag.net/2013/10/06/070000.html
(註04)「国立西洋美術館」
 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html
(註05)「LEMOVE」
 http://ameblo.jp/remove/entry-11151283213.html



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


暮らし/日常-26 年賀状は版画ですが...

2017/01/10 11:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
私は40年ほど前から、断続的ですが、年賀状は版画で作っています。
雑な彫りですが、版画だと下手な字に合うような気がするからです。

ただし、クリスマス以前に「謹賀新年」を彫り始めるのは、どうにも
気が乗らず、シャンパン気分が抜けた頃に図案を考え始めます。

ですから、年内に投函できるのは、親戚用の十数枚です。
大多数は年明けて完成するので、失礼ながら、頂いた年賀状に返事を
出すような形になってしまいます。

版画の図案の多くは、ルネサンス・バロックの絵画から借りています。
例えば「受胎告知」だと、マリアと天使は彫らないで、背景と椅子と
翼をデフォルメして作ります。
「今年も良き徴がありますように」という願いを込めているのです。

画像


(註) 「蛇王のステラ」
ルーヴル美術館.
古代エジプト/BC.3000頃
「ジェット王がホルス神を
継承して王宮に君臨する」
という意味の石碑です.

そうした私の版画・年賀状は、大方には大不評です。
おめでたい図柄や干支ではないので、意味不明なんだそうです。
年賀はがきに「謹賀新年」を彫っているので、かろうじて年賀状だと
認識できるのだそうです。

それを面と向かって言われると、私はイジケて何も言いません。
ただし、丁寧に訊いてくる人には、図案の意図を説明します。

しかし説明しても、女房のように「ヘ...? ホ...」と怪訝な顔になる、
正直な人が大多数です。
私に気を使って、説明を求めない人も多いようです。

そこで今年は、差し出がましく、図案の意図を説明いたします。
今年の図案は、ルーヴル美術館/シュリー館で見た「蛇王のステラ」を
拝借しています。
ただし、老化のため手元がよく見えないので、かなり雑な仕上がりに
なってしまいました。

「蛇」を彫らないで、「ジェット王」の石碑の意味を消しました。
「宮殿」の形を、勝手ながら「都市」に置き換えました。
今年は酉年なので、「ハヤブサ」か「ハト」にみていただきます。

画像

版画の制作中は、何故か
昔の辛かった事や、悔し
かった事や、人を悲しま
せた事などを思い出して、
時々手が止まります.

そして図案は、「強権は平和な形をして都市を支配する」から転じて
「世間に流行る"常識"の本性を見極める年でありますように」を表現
したかったのですが、そのように理解して戴けると嬉しいです。

さらに転じて、「貴方らしい生き方の年でありますように」の意味に
まで解釈して戴けると本望です。
私が説明する時は、このメッセージまでを言いますが、やはり極端に
飛躍し過ぎだと思われているようです。

でも、そこまで深読みしなくても、単純に「平和のハトがやってくる
年でありますように」のように感じていただければ大満足なのです。

毎年恒例の現象ですが、版画が完成した途端に大風邪をひき、腰痛を
再発してしまいした。
この後、宛名やコメントなどを女房に書いてもらうことになります。

170110
□□□□□
(註)「ルーヴル美術館鑑賞記 2009」の画像を加工しています.
 http://4travel.jp/travelogue/10342091


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-11-3/3 海外では挨拶が大切だと実感した例-3/3

2016/12/20 10:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
海外では、無愛想にせず、笑顔と挨拶が大切です。
挨拶のおかげで気分良く過ごせたことは、多くの方が経験されたと
思いますが、ここでは私の2例を紹介しています。

□□□□■□
エピソード-5 ーセキュリティチェックでー

画像

プランタン・デパートの
入口でも、屈強な黒人の
警備員が、簡単な手荷物
検査を行っていました.

パリでは、テロ発生の可能性が高いと言われる、東部や北部を避けて
オペラ座、カルツェラタン、シテ島近辺で行動しました。
どこでも、自動小銃で武装した警官のパトロールを頻繁に見ました。

空港や美術館、デパートなど、人が多く集まる施設では、当然ながら
セキュリティチェックが行われていました。
デパートでも入口と出口を分け、バッグの中を検査していました。
セキュリティチェックは、パリではすっかり日常化していました。

市民は、無言ながら、当たり前のようにチェックを受け入れています。
私も、チェックを受けることに、さほど違和感はありませんでした。
係員も慣れて、チェックする技術が上達したのかもしれません。
先に「ボンジュー ムシュー」と挨拶すると、比較的簡単に済ませて
くれるように感じました。

画像
パリ大審裁判所です.
画面の左側の奥にサント
シャペル教会(背側面)が
見えます.
画面左下の方に見学者の
行列ができます.

シテ島のサントシャペル教会を見学した時もそうでした。
有名な観光スポットですから、施設の入口前には長い列ができます。
私は行列は好きではありませんから、朝食を簡単に済ませて、グズる
女房をなだめながら、早い時間に見学者入口に向かいました。

開場の40分前に着いたら、幸運なことに、先頭は5,6人のイタリア人
らしき中年男女のグループだけでした。
彼らも行列が苦手なようで、警備の武装警官のチラ見を気にせずに、
次第に列を崩して、大声で陽気なお喋りをするようになりました。

ついに、彼らは待ちくたびれて、苛立ちを表すようになりました。
ヒンシュクをかいそうな苛立ちでしたが、百mほど続いた行列を振り
返って見ると、行列に慣れていない彼らの動き様は同情できます。

画像
サントシャペル教会の
正面側です.
聖堂内ではクラシック
コンサートが、頻繁に
開催されています.

予定にやや遅れて開場となり、入口の内部でセキュリティチェックが
始まりました。
大声で喋って怒りが収まらない調子のイタリア人グループは、厳重に
チェックされていました。

その隣で同時にチェックを受ける私は「この時こそ笑顔で」と思って
「ボンジュー ムシュ」、バッグを開けて両手を開きました。
すると、係員は「ボンジュー」と応え、すぐに「オーケー」です。

そして、後ろの女房を指して「一緒か?」みたいな英語で訊くので、
「ウィ ムシュー」と言うと、笑顔で「行っていいよ」の仕草です。

画像
ステンドグラスと天井の
装飾には圧倒されます.
小さな聖堂ですが秀逸な
ゴシックカテドラルだと
思います.

私たちは、誰もいない聖堂に最初に入ることができました。
笑顔と「ボンジュー ムシュ」の成果だと思います。
少し遅れて監視役の館員がやってきたくらいに、早い入館でした。

しばらくして、あのイタリア人グループが到着し、ステンドグラスを
見上げて、静かな歓声をあげていました。
程なくして、聖堂内は見学者でごった返すようになりました。

□□□□□■
エピソード-6 ー空港の搭乗口でー

画像
シャルル・ド・ゴール
空港です.
ウィーン空港に向かう
オーストリア航空機に
連結したボーディング
ブリッジです.

オーストリア航空にてパリから帰国する際は、シャルル・ド・ゴール
空港から、乗り継ぎのウィーン空港に向かいます。
ラウンジでの飲み食いに飽き、酔いも覚め、高価な物品を買う気力も
金力もないので、早めにD54ゲートに行きました。

搭乗開始時刻が30分ほど遅れていて、ゲートの待合いコーナー付近は
大勢の乗客で混雑していました。
椅子は空いていなくて、立って待ち疲れた乗客は苛立っていました。
グズる乳児を抱いて疲れた若い夫婦も立っていて、気の毒でした。

やっと搭乗券チェックが始まり、乗客はカウンターに殺到しました。
私は急ぐ女房を手で制して、乳児をあやすために列を外れていた若い
夫婦を手招きして、列の先を譲りました。
夫婦は私に笑顔を送って、ボーディングブリッジに向かいました。

画像
(註7)
多数の店舗が並ぶので
退屈はしないのですが、
かなり長い通路です.
到着時も出発時も混雑
していました.

カウンターには黒人の若くて愛らしい女性がいて、「ボンジュー」と
挨拶すると軽い笑顔で「ボンジュー」と小声で応えます。
簡単なチェックを終えて前を過ぎる時、彼女が私に「ボンボヤジュ」
と声をかけました。
彼女は誰にも無言でチェックしていたので、驚きました。

咄嗟のことですから、「メッシー ブュティ」(ありがと 美人さん
[...のつもり])と応えてしまい、ブリッジに向かいました。
すると彼女は、ブリッジを歩く私を振り向いて、さらに素敵な笑顔で
小さく手を振り「ボンボヤージュ」と軽く叫びました。

少し先で私をキッと睨んで待っていた女房が「何なの?」と詰問する
ので、これも咄嗟のことですから「若い夫婦に列を譲ったのを彼女が
見ていて、我々に好意を持ってくれたみたいだよ」と答えました。

私は「メッシー ブュティ」の挨拶が効果したのだと思っています。
おかげで、成田に到着するまでは気分良く過ごせました。
そして自宅に戻ってからは、女房は愛想の良い女性に、私は無愛想で
頑固な変人に...そういう日常に戻りました。

161220
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註7)「hungariannomad」
 https://hungariannomad.com/2014/08/01/austrian-airlines-business-class-paris-to-istanbul-via-vienna-business-lounge-vie/




記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-11-2 海外では挨拶が大切だと実感した例-2

2016/12/10 12:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
海外では、無愛想にせず、笑顔と挨拶が大切です。
挨拶のおかげで気分良く過ごせたことは、多くの方が経験されたと
思いますが、ここでは私の2例を紹介しています。

□□■□□□
エピソード-3 ーホテルでー

画像
宿泊したホテルで部屋です.
朝食に行くのが少し遅いと
清掃の女性がドアを開けて
"エンシューディゴン(失礼)"
と言います.

以前のブログで紹介しましたが、女房は、ウィーンのホテルで部屋に
バッグを置いたまま朝食に行き、どうやらその間に、財布の3万円を
こっそり抜き取られる、という大失態をやらかしました。
翌日パリに移動して、ホテルに着くまで気づかなかったのです。

彼女は、「財布とパスポートは肌身離さず」の原則は承知していたの
ですが、ウィーンの街歩きに上機嫌になり、つい気が緩んだのです。
私は「財布・パスポート・デジカメ」だけは、どんな時も離しません
から、そのような盗難被害の経験はありません。

しかし、仮に移民系の清掃員が出来心で掠め取ったとすれば、その時
私が施錠し忘れたスーツケースも、物色したはずだと思います。
でも、価値ある物がなかったのか、そんな形跡はありませんでした。

それだけでなく、室内は綺麗に整頓され掃除してありました。
疑えば、それはフェイクだと言えるかも知れません。
しかし私は、清掃の移民女性が出来心で盗んだとは思えないのです。
シャイな笑顔で挨拶する女性の出来心は、想像できないからです。
かなりの確率で、女房の思い違いか、落としたものだと思っています。

画像
(註6) 廻り階段の中心に
旧式のエレベータが2基
動いていました.
朝は、清掃の女性たちが
廊下と階段を頻繁に行き
来していました.

私は、ホテルでは、スタッフはもちろん、廊下で会う清掃の女性にも、
気がつけば私の方から挨拶するように心がけています。
しかし大抵はホテルの人たちの方が挨拶が早いのですが、その時は、
女房が笑うほど、できるだけ大声で大げさに挨拶します。

ピローチップも、毎朝、サイドテーブルに、若干多めに用意します。
女房は、最後の朝だけ、相場の低めを置けば良いと反対します。
さらに、私が毎朝しかも少し多めに用意するのであれば、自分の分は
置く必要はないと割り切っていました。

たしかに、女房の方が合理的でクールです。
だから、旅行費用を貯金できたのだと思い、感謝しています。

しかし私は、ピローチップも、挨拶の一つだと思っています。
メモ帳に「thank you for good service」など書いて、その紙を折り
たたみ、チップを挟んで置いています。
日本のホテルや旅館でも、同様にしてきました。

それは常識的ではなく、過剰な対応なのかもしれません。
しかし、傲慢な思い上がりになりがちな私の、感謝の表現なのです。

□□□■□□
エピソード-4 ー機内でー

画像
赤いスーツがよく似合う
金髪CAは、手先が少々
不器用で作業も遅いです.
でも日本人CAが上手に
サポートしているので、
サービスは良好です.

オーストリア航空が日本から撤退するというので、急遽、予定を繰り
上げて、撤退直前に旅行することにしました。
一度はオーストリア航空機に乗ってみたかったのです。
しかし、行きは台風9号、帰りは台風11号と一緒になり、ウィーンと
パリでは異常な酷暑に歓迎されました。

行きも帰りも、機内では、私たちのエリアは女性CAが担当でした。
少々年増ですが、真っ赤なスーツがよく似合う金髪の美人でした。
若いCAや日本人CAを統括する、チーフ格のオーストリア人です。

搭乗の際、彼女は、ドアの脇で乗客一人ひとりに挨拶していました。
ほとんどの客も、女房も、無言で通り過ぎて座席に急ぎます。
見た範囲では私だけですが、「グリュス ゴッ」と挨拶しました。
すると金髪CAは、小さく手を振って素敵な笑顔で返事しました。

実はその時、私は口パクに近い小さな声で「シェーネフラウ(美人さん
[...のつもり])」と付け加えていたのです。
親近感を込めた挨拶であって、老人のスケベ心ではありません。

私がドイツ語を話せると勘違いされると困るな...と心配していたら、
やはりその後は、よくドイツ語で話しかけられました。
凡そはカンで理解できますが、笑顔と片言の英語で対応しました。

画像フライング・シェフと
CAです.
母と息子みたいな良い
雰囲気です. シェフを
撮影すると、なぜか、
彼女の方が喜んでいま
した.

ウィーンはコーヒー文化の高い都市ですから、オーストリア航空では
コーヒーメニューは10種類も用意してあります。
私はできれば全種類を試飲すべく目論んできましたから、起きている
時間は、金髪CAに何度も注文しました。

その都度、彼女は嫌な顔せずに、両手で大事に運んでくれました。
「金髪美人のコーヒーは美味しい...?」と隣席の女房は皮肉りますが、
「そんなことは...ない」と応えつつ、心中では「全くその通りだ」と
楽しんで味わっていました。

全部は試飲できませんでしたが、本当に美味しくいただきました。
中でも「マリア・テレジア」と「フィアカー」が気に入りました。
どちらもホイップクリームがトッピングされ、リキュールかラム酒が
入っています。

飛行機を出る時も、私には笑顔で小さく手を振ってくれました。
10種類近くもコーヒーをお代わりした珍しい老人だったからなのか、
あるいは「グリュス ゴッ シェーネフラウ」の効果なのでしょう。

161210
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註6)「tripadvisor」
 https://www.tripadvisor.co.uk/LocationPhotoDirectLink-g190454-d206602-i193059620-Austria_Trend_Hotel_Astoria_Wien-Vienna.html


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-11-1 海外では挨拶が大切だと実感した例-1

2016/11/29 10:45
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
私は人見知りをし、挨拶も上手ではありませんから、無愛想で頑固な
変人という印象を持たれています。
対して女房は、誰にも愛想よく挨拶し会話します。
愛想の良さは羨やましいのですが、これは長い時間に培ってきた性分
ですから、何とも仕方がないと諦めています。

ところが海外を旅行すると、その性分は逆転するのです。
私は、外国語は挨拶程度にしか話せないのですが、気軽に声を掛ける
ようになります。
対して女房は、人が変わったように、どこでも無言になります。

理由はよく分かりませんが、私の場合「外国では挨拶が欠かせない」
という教条が、どこかで刷り込まれているからだと思います。
たしかに、タイミングよく挨拶したために、気分良く過ごせたことが
多々あります。
ここで、私の2例を紹介します。

■□□□□□
エピソード-1 ー美術館でー

画像

ベルヴェデーレ宮殿です.
クリムトやシーレの絵画を
所蔵することで有名です.
出入口は正面中央の右側の
ドアです.

ウィーンの暑い日、ベルヴェデーレ宮殿を見学しました。
女房が、クリムトの「接吻」をどうしても見たいというのです。

チケット・オフィスは、長い列ができて、かなり混雑していました。     
私の前列の中国人の若い男性2人に順番がきて、彼らはカウンターの
女性に挨拶もなくチケットを要求し、急に何やら揉め始めました。

長い行列を無視し、身体をクネクネ動かし、料金を値切るような話を
ネチネチと続けているのです。

我慢して丁寧に対応していた女性の表情が険しくなった瞬間、彼らは
ソソクサとチケットを握って出て行きました。
気不味いイヤーな雰囲気が残りましたが、次は私の番です。

努めて笑顔で「グリュス ゴッ」と挨拶して、チケット2枚を得て、
「ダンケ シェン」と言うと、「ビテ シェン」と返ってきました。
彼女は、先ほどとは別人のような素敵な笑顔です。
笑顔のおかげで、オフィスに和やかさが戻ったような気がしました。

画像画像
(左/註1) チケットオフィスを見過ごして先に行く人が多かったです.
(右/註2) 私が並んだ時はドアの外まで混雑していました.


ウィーンにも東洋人種を差別する人の多いことは知っていましたが、
初対面で挨拶もなく迷惑行為をする東洋人であれば、差別ではなく、
区別されて然るべきだと思いました。

宮殿内に入る時も、無愛想な男性係員に「グリュス ゴッ...ダンケ 
シェン」と笑顔で挨拶しました。
混んでいたので、挨拶は私だけだし、返事もありませんでした。

宮殿を出る時、あの無愛想な係員が私にドアを開けてくれました。
びっくりして咄嗟に「ダンケ シェン」と言うと「ビテ シェン」と
無愛想な笑顔で返ってきました。
彼は、他の人にはドアを開けていないようですから、2時間前の私の
「グリュス ゴッ」を覚えていたのかも知れません。

女房は「アンタが倒れそうな老人だから親切なのよ」と言います。
「悪態つくよりも、『グリュス ゴッ』と『ダンケ シェン』と挨拶
しなさいよ」と言いたいのを、今回は気持ちよく我慢できました。

□■□□□□
エピソード-2 ー紅茶専門店でー

ウィーンのシュテファン大聖堂を見学した後の休憩に、聖堂の背後に
ある「ハース&ハース」というテ・ハウス(喫茶店)に向かいました。
私はコーヒーの方が好みなんですが、紅茶好きの疲れた女房のために
(機嫌をとるために)寄ってみようと思ったのです。

画像
シュテファン大聖堂の
背側面(工事中)です.
観光馬車のターミナル
ですから、馬の臭いが
漂っていました.
画面の左下端の女性が
風の悪戯に会いました.

☆☆以下★★までは余談です。スルーされる方が良いかも知れません。

大聖堂の裏手に廻って、先を歩く女房と、建物を撮影する私との間に
少し距離ができ、そこを若い女性2人が歩く格好になりました。
私がフッと顔を上げた時、急に大聖堂から風が吹いてきて、2m先の
女性のスカートが捲り上がって、お尻が丸見えになりました。

パンツを履いていない、文字どおり丸見えの、見事なお尻でした。
いわゆるTバックなのかも知れません。

一瞬の出来事ですが、脳裏に静止画像のように焼きつきました。
暑さに疲れた私への神様の粋な計らいかも...と不謹慎なことを考えて
いると、「ハース&ハース」の玄関前で女房が睨んでいました。

紅茶をいただきながら、女房は「これ、Tea bagではないよね...」と
呟きました。
私は、先ほどの脳裏の画像を反芻して「Tバックでも素晴らしい」と
返事しました。

★★ 失礼しました。

☆☆本文の続きです。
画像画像
(左/註3) 「ハース&ハース」の紅茶専門店とカフェは離れています.
(右/註4) 緑に囲まれた気持ちの良いテラスでした.


「ハース&ハース」の庭のテラスで紅茶とケーキをいただいて、隣の
紅茶ショップに向かいました。
玄関前に来た時、急に店舗のドアが開いて、5,6人の中国人観光者が
大声で話しながら出てきたので、ぶつかりそうになりました。

店舗は、階段を少し降りた半地下のような、奥行きのある空間す。
多種多様の紅茶以外に、様々なお菓子も置いてあります。
これでは、女房の買い物に時間がかかるだろうと直感しました。

店舗に降りるや否や、女房はすぐに物色し始めました。
遅れていくと、店主らしき中年女性が険悪な表情で私を見ています。
ギョッとして、思わず「グリュス ゴッ」と言いました。

しかし女性は、何か呟いて険しい表情のままソッポを向きました。
女性店主は店員に目配せして、嬉々として物色する女房に張り付かせ
ました。
歓迎されていない険悪な空気が、肌身に刺さる思いでした。

画像
(註5) 冷たい視線がなければ、素敵な香りの漂う空間だと思います.


女房が、日本での買い物のように、挨拶なく入店して徘徊するのが、
気に障ったのでしょうか。
または、私が挨拶のタイミングを外したのが、歓迎されない原因なの
かもしれません。

または、私たちの直前にいた中国人グループが店内で無礼を働いて、
店主の女性の立腹と不機嫌を招いたのかもしれません。
西洋人にとって、日本人と中国人の区別は難しいですから、私たちを
中国人グループの仲間だと思い違いされたのかもしれないのです。

店主女性の不機嫌の原因はわかりませんが、ともあれ、空気にトゲが
あるので、女房を急かして少々の紅茶を購入して、外に出ました。

彼女の不機嫌は、「スワロフスキー(装飾店)」で買い物すると収まり
ました。
「スワロフスキー」では、日本語・韓国語・中国語が飛び交って混雑
していましたから、挨拶なしでも店員は上機嫌でした。

161129
□□□□□
下記の画像を加工しています.
(註1)「素粒子物理研究所にいる渡邊のブログ」
 http://naokiwatanabe.blogspot.jp/2015/10/20151025-vienna-on-october-25-2015.html
(註2)「saraiのブログ」
 http://sarai2551.blog.fc2.com/blog-entry-1213.html
(註3)「google/ストリートビュー」
(註4)「alamy」
 http://www.alamy.com/stock-photo/teehaus-haas-&-haas.html
(註5) 「4travel.jp」
 http://4travel.jp/overseas/area/europe/austria/wien/shopping/10409726/pict/#each_tab



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


暮らし/雑草-12 放水路と道端の雑草除去

2016/11/20 13:52
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
8月上旬は、市によって放水路の雑草の除去作業が行われます。
炎天下の蒸し暑い最中、下請けの作業員たちは黙々と草刈りします。

今年の放水路清掃でも、繁茂した草も、小さな花も、機械と人の手で
刈り取られ、道端には灰色の土がむき出しになりました。
私が毎朝楽しく見ていた、草花やフェンスの所々に咲いていた野生の
朝顔も、残らず取り去られて、緑のない殺風景な道端になりました。

そして例の「オレガ」氏が、「だいぶキレイになったけどね、もっと
徹底しなきゃな〜」と叫びながら、「オレガ」が僅かに残った雑草を
毟り始めました。
自分に無用な生物の、小さな命は抹殺すべきだと考えているのです。

グランドカバーの葉と土壌を固める根を失った土は、紫外線に晒され、
生命力を失ったように白くなりました。
土壌中の微生物の、他の生命を生かすエネルギーが死滅しそうです。

なぜ、土壌の生命力を抹殺して、自然環境の多様な生態系を壊そうと
するのか、私には理解できません。
しかし逆に彼らにしてみれば、雑草のない環境は美しく清潔であり、
雑草の徹底排除は正義ですから、私の方が異常に見えるようです。

地域には様々な異なる意見を持つ人がいて当然ですが、私が「土にも
雑草にも生命があるんだから、見苦しい所だけを整理すればいい」と
意見を言った途端に、陰湿な嫌がらせが増加し、それが地域の公認に
なりました。

画像以前、作業する彼らに
「暑いので無理しないで
いいですよ...誰も文句を
言いませんよ...」と声を
かけたことがあります.
「でも、仕事ですから...
チャンとやんないと」と
返事されました.

たしかに、一般的に雑草は嫌われています。
人の生活に無用であり障害である、というのが理由です。

「社会に無用だから抹殺すべき」という思考回路は、16年7月に発生
した「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人と同じだと思います。

「生きている価値はないし、他人の迷惑な存在だから」という理由で
犯人は19人を殺害し26人に重軽傷を負わせました。
その犯人の冷酷な所業は、「道端の草花は、生きる価値はない」ので
「根こそぎ、根こそぎ〜」と掛け声して毟り取る行為と、基本は同じ
だと思うのです。

自分の好きなものだけを周りに置いて、気に入らないものを排除する
姿勢は、世間によくある「何々ハラスメント」にも似ています。
「オレガ」夫婦の私への低俗なイヤガラセにも似ています。

画像短い通り雨の時、黙して
作業していた彼らは「わ...
涼しい」と満面の笑顔を
作る、純な人たちです.
草たちには「懸命に生き
ようとしていたことは僕が
見ていたよ...また何処かで
生まれておいで」と心中で
声をかけました.

「雑草は低レベルの生物だから、人間と同列に考えるべきではない」
という旨の反論は、必ず大多数の方から蔑視的に湧き上がります。
しかし私は、どんな生物でも、生きていること自体が貴重な「存在」
だと思いますから、命に軽重の差はないと思っているのです。

人は他の生命を食して生かされています。
ですから食する時に、「いただきます」正確に言えば「あなたの命を
私の命にいただきます」と念じて、感謝しているのだと思います。
「美味しかった」という気持は、食を支度してくれた人と食した命に
対する感謝だと思うのです。

雑草の効用については、様々なサイトで丁寧に解説してあります。
ある程度の雑草を残すことは、実は人の生活に有益なのです。
ですから、雑草と大らかな気持ちで向き合って共存し、生えると困る
所や繁茂し過ぎた所だけを、適宜に管理すればよいと思います。

ただし、土壌微生物は紫外線により死滅するので、地表面を露出させ
ないように、草が少し残るようにして刈り取ればよいのです。
土には、乾燥しないためのグランドカバーが必要なのです。

画像画像
 草刈り終了直後に短い通り雨がありました. 天からの水を得た
 土壌が、草のグランドカバーを再生することを期待しています.


昭和天皇の侍従への苦言のように、「雑草は、人の勝手な都合で取り
去ってはいけない」と私も思います。
自然保護の観点からも、土を裸にしてはいけないと思います。

しかし、「オレガ」夫婦はもちろん、私の女房や近隣の住人たちは、
自分と異質な意見を聴くセンスは持っていませんから、雑草の小さな
命や土壌の「生き死に」を考えることはありません。
「あいつは意味不明な戯言を口走る...狂ってるよ」と噂するだけです。

いつか、地域環境を管理する市職員が、自然の生態系に配慮して水路
周辺を整備できるレベルに成熟されるだろうと期待しています。
そうなれば、道端の土を乾燥させ、身近な自然を壊したい人が、土と
緑の生きる道端景観を楽しむ者への嘲笑は少なくなると思います。
□□□□□
161120


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


雑観/世相-10 飛行機のエチケット袋(吐袋)

2016/11/11 11:07
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
飛行機に乗ると、座席前のポケットの中で、機内誌の陰にひっそりと
潜んでいる小さな袋があります。
いわゆる「エチケット袋」、あるいは「ゲロ袋」、「吐袋」です。
「Airsickness bag」「disposal bag」とも言われているようです。

内側を防水加工し、液体が漏れにくいように作ってあります。
表には様々なデザインがプリントしてあって、わりと洒落ています。

ですから、使用していなくても、気恥ずかしさに勝って、こっそりと
搭乗の記念に持ち帰る人も多いようです。
オランダには6千枚以上を集めた熱心なコレクターがいるそうです。

航空会社の「エチケット袋」は特注品であり、市販されていません。
ただし「ヤフオク」では、1枚10円から数百円で出品されています。

画像画像画像

(註1)「ヤフオク」出品の「エチケット袋」です.


「エチケット袋」を他人が使用していると想像すれば、いい気持ちは
しませんが、使わざるを得ない状況の当人にしてみれば、この小さな
袋は「天の助け」です。

機内で使用した場合は、CAに渡せば処理してくれます。
美人CAに渡すのが恥ずかしいのなら、機内のトイレに中身を流して、
袋をたたんで、これをトイレに置いてある予備の袋に入れ、ごみ箱に
捨てます。

私はそうした「吐袋」として使ったことはありませんが、目立たなく
ても、緊急時に頼りになる、有り難い航空グッズだと思っています。

画像画像画像

(註1)「ヤフオク」出品の「エチケット袋」です.


実は、私は「エチケット袋」を持ち帰るタイプです。
趣味ではなくて、旅行先のホテルで使うのです。

ホテルの部屋で、ワインのツマミの屑、果物の皮、濡れたティッシュ
など、水気のあるゴミを「エチケット袋」に入れ、備え付けのゴミ箱
に捨てます。

ゴミ箱に直接入れるよりも、汚れが少なくなるので、室内清掃の人の
負担が軽くなるだろうと思うからです。
酔ってグラスや皿を割った時も、破片を集めておくのに便利です。

画像画像

(左) 持ち帰ったオーストリア航空の「エチケット袋」です.
 「吐袋」には機能しないし、デザインもイマイチです.
(右/註2)1988年にネットに掲載された、オーストリア航空の
 「エチケット袋」は「吐袋」として使用できます.


「エチケット袋」は、1949年に、アメリカの航空会社が用いたのが
最初だと言われています。
以来、多くのエアラインが、様々にデザインした袋を用意して、汚物
処理を美的に装い、自社アピールにも利用してきました。

最近は、コストダウンのため、プリントのない簡素な袋にする傾向に
あるそうです。
機体の大型化、航空技術の進化のため、酔う人が少なくなったので、
「吐袋」よりも「ゴミ袋」として使う機会が多くなったからです。

「吐袋にもデザイン」は「粋」だと思っていましたから、「ゴミ袋」
だからデザインしないという傾向は、少々寂しい気がします。
食事以外は退屈ですから、乗客は「ゴミ袋」もしっかり観察します。
コストダウンは大変でしょうけど、「粋」なところを見せて就航して
欲しいとも思います。

161111
□□□□□
(註1)「ヤフオク」の画像を加工しています.
 http://auctions.search.yahoo.co.jp/search?p=エチケット袋&auccat=0&ei=UTF-8&xargs=7&b=1
(註2)「MUUSEO」の画像を加工しています.
 https://muuseo.com/machida.shinobu/rooms/5



記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


暮らし/健康-09 少し大きな歯ブラシ

2016/10/30 10:47
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
私の歯は差し歯だらけで、一部分は歯槽のう漏です。
朝晩きちんと歯磨きしているのですが、そうなってしまいました。

歯科医から勧められて、普通の歯ブラシで歯磨きするほかに、刷毛が
直径4ミリのワンタフトブラシと歯間ブラシも常用しています。

画像


いつも使っていると
癖になります.

以前、オーストリア航空を利用した時、機内で渡されたアメニティの
中には歯ブラシも大小2本が入っていました。
植毛部分の長さは、大きい方が28ミリ、小さい方は9ミリです。

自宅で使っている歯ブラシの植毛長さは18ミリですから、「28ミリ
歯ブラシ」は、口の中に入れると、かなり大きく感じます。
機内の洗面室で使用した時は、タワシを含んだような気分になって、
一人可笑しくなり、フッと笑って咽せてしまいました。

使用後は廃棄するつもりでしたが、その感触が気持ちよくて、ホテル
でも使い、そのまま自宅に持ち帰ることにしました。
そして、「28ミリ歯ブラシ」は、刷毛の先端が開いたら蒸気を当てて
少し回復させ、3カ月間使いました。

画像


植毛長さが1cm大きいと
感触が全く違います.

歯ブラシの適当な大きさは、様々なサイトで解説されています。
私が以前に使っていた「18ミリ歯ブラシ」は、植毛長さがほぼ親指の
幅ですから、「適当な大きさ」です。

対して、オーストリア航空の「28ミリ歯ブラシ」は、歯科医の勧める
大きさよりも1cm大きいです。
不適当な大きさの歯ブラシを使えば、磨き残しができて、口腔ケアに
良くないのだそうです。
しかし、それでも「28ミリ歯ブラシ」は、感触が良いのです。

通常、歯垢を掻き取るために、歯ブラシは小刻みに動かすものです。
しかし「28ミリ歯ブラシ」は、それとは逆行して、口内にスッポリと
含んで、ユッタリ動かします。
不十分な歯磨きですが、それは、一日の始まりと終わりの行事を気分
よくしてくれました。

現在は「適度な大きさの18ミリ歯ブラシ」を使用していますが、あの
大きな「28ミリ歯ブラシ」の感触を、いつも懐かしく思い出します。

161030
□□□□□


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


ルーヴル美術館の「ニケ」

2016/10/20 09:50
変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
□□□□□
ルーヴル美術館といえば、「モナ・リザ」と「ミロのヴィーナス」が
有名です。
2016年8月に訪れた時も、気温37℃の異常な暑さにもかかわらず、
その二つの作品の周りは、大勢の人で賑わっていました。

画像
画像
(上) モナ・リザ(レオナルド・ダ・ヴィンチ/1503-19年頃)の人集り.
(下) ミロのビーナス(BC.130年頃) 人の波が途切れません.


しかし私は、以前から「サモトラケのニケ」の方が印象的でした。
あの二作品の人だかりにウンザリしたから、だけではありません。
自分にも翼があれば...と、大空を舞う願望を持っていたからです。

「ニケ」ファンも非常に多くて、彫像の下はいつも混雑しています。
人だかりの理由は、階段の踊場の、動線の途中にあるから、だけでは
ないと思います。
風を感じる動的な印象が、多くの人を惹きつけているようです。

画像
画像
 サモトラケのニケ(Victoire de Samothrace)/BC.190年頃
 ドゥノン棟とシュリー棟の接合点にあるダリュの階段にあります.


階段下から見上げるヴィスタの焦点にあるので、出会いが劇的です。
そして、近づくにつれて、風に向かって大きく翼を上げた女神の姿が
次第にはっきり見えてきます。
高さ3.3m、台座を含む全体高さは5.6mですから、迫力があります。

近くにいた日本人の若い男女の、やや興奮気味の声が聞こえました。
「エーゲ海の風を受け、翼を広げて、飛び立とうとしているんだね」

たしかに、女神が飛び立つ瞬間のように見えます。
そう思っている人は多いと思います。
私も以前は、彼らと同じように、「ニケ」が希望の大空に舞い上がる
瞬間の彫像だと思っていました。

画像
 勝利を伝えるため、強い海風を操りながら、天空から船のヘサキに
 降り、ソッと右足を床に触れた瞬間です.


しかし「ニケ」は、鳥ではなくて、女神ですから、閉じかけた両翼を
勢いよく振り下ろす必要はなく、象徴的に構えればいいと思います。
つまり、もっと翼を広げて風を受ける姿にすれば、舞い上がる動作を
表現できると思うのです。

しかし、「ニケ」は翼をたたみかけようとしています。
正面から受ける海風を微妙にコントロールしながら翼を閉じていき、
天空から降りてきているように見えるのです。
つまり、これから舞い上がるのではなく、逆に、天空から舞い降りて
着地する瞬間であるのです。

実際、「ニケ」は、上空から船の先端に降り立ち、右手を高く揚げて
勝利を伝えに来た女神、として製作される彫像なのです。
風を操りながら舞い降り、ソッと右足を床に着けた瞬間の姿です。

画像
 両手と両足の格好が違うので、両翼の形も違う方が、走っている船の
 ヘサキに降り立つ様子が、より動的に表現できるような気がします.


「勝利を伝えに来た」女神ですから、飛び立つ動作よりも、着地した
瞬間を表現する方が当然です。
その当たり前のことに気が付いたのは、帰りの飛行機の中で絵葉書の
ニケを眺めていた時で、いま思い出しても赤面します。
後日、文献で調べて「舞い降りた瞬間」であることを確認しました。

そして今回「サモトラケのニケ」を再訪して、「舞い降りた瞬間」の
美しい緊張感に、あらためて感動しました。
一瞬、騒めきが止んで静寂になり、そこにエーゲ海の風が吹いてきた
ような錯覚を楽しみました。

「翼を広げて飛び立とうとしている」と言ったあの若いカップルは、
「それは逆だよ」と訂正するのがかえって悪いような気がするほど、
感動していました。
「ニケ」の右足が床に触れた瞬間であることを知った時、あの二人は
もっと深い感動を分かち合うだろうと思っています。

画像
画像
 1950年に発見された右手は、大きく広げられているそうです.


ルーヴルの「ニケ」像の右翼は、左翼を反転して復元されています。
ですから、正面から見ると、両翼は左右対称に付いています。
もし、左右の翼の形が少し違っていれば、斜め横からの海風を受けて
いる表現になり、衣の動きがより動的に感じられるかも知れません。

とはいえ、この彫像の作者だけでなく、100個以上の破片を統合して
復元した研究スタッフの、高度な美的センスに圧倒されます。
頭部や腕や足首などの未発見部分を、想像して補う必要はないように
思います。
不完全であっても、感動の質は、完全な姿に劣らないと思います。

161020
□□□□□


記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


続きを見る

トップへ

月別リンク

異端の建築再読/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる