異端の再読

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help リーダーに追加 RSS 初心者のSketchUp練習-11/J05 平等院 鳳凰堂

<<   作成日時 : 2008/07/08 15:48   >>

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初心者のSketchUp練習-11/J05 平等院 鳳凰堂

無料ソフト「Google SketchUp」の練習成果のブログです。
独断的で自由な発想で書いた建築メモを添えています。
ご一読いただいてご意見など、さらに G.SketchUp 活用の
アドバイスをいただければ幸いです。

今回は鳳凰堂のトレースにトライしました。
建築当初の様子をイメージして作図しましたが、
手持ちの資料で不詳の所は、自由に想定しています。

□□□□□
平等院 鳳凰堂
/1053(平安時代中期)/京都府宇治市

画像 現在の平等院周辺です.
Google Earthの画像を
使っています.
南東方向を見ています
から、画面の左が東、
右が西になります.

鳳凰堂は東向きですから
正面は朝陽を浴びます.
夕方は紫色の西空を背景
にして、輪郭の輝くシル
エットになるだろうと想像しています.


平等院は、藤原道長が貴族婦人から譲り受けた(998年)別荘地を、
長男の頼通が相続(1027年)して1052年に改修した寺院です。
その翌年(1053年)に竣工した、後世に鳳凰堂と呼ばれる阿弥陀堂は、
本堂よりも平等院の中心的存在となる建築です。
頼通は20年以上も鳳凰堂建設の構想を温めていたのかも知れません。
平等院は藤原氏の氏寺として広大な伽藍を構えましたが、後の戦乱に
より多くの堂を焼失して以降、明治初期頃まで荒廃していました。

画像
東南から見た画像です.
鳳凰堂は宇治川に向いて
建つというより、東西軸
に特別な意味をもって
建てられたと思います.

池の東端は小御所です.
築地塀には南、北、西に
門を想定しています.

画像
西北の方向から鳳凰堂の
背面を見る画像です.
背景の山並みは、平坦な
画像にG.Earthの画像を
斜めに立てて組み合わせ
たものです.


平安時代中頃は、末法思想の不安感が社会全般に広まっていました。
1052年が釈迦の法力が消滅する末法の世の始まりでした。
平等院はそれに間に合うようにが建てられたのかも知れません。
末法思想は世界の終末を意味してはいませんが、当時の自然災害や
飢饉、疫病の流行、戦乱などの世情不安が、貴族や民衆の終末的な
雰囲気の危機感を現実味をもって増大させたようです。
そして、末法思想の対処策のようにして浄土信仰が流行しました。
日没と日出の繰り返しに象徴される「再生」と、再生を生み出す西方
の浄土世界への極楽往生に、強い憧れを抱くようになったのです。

鳳凰堂は、憧れの天国を表現した浄土曼荼羅図の宮殿をモデルにし、
「再生」を祈る空間として建築されました。
社会が悲観的な風潮にある中、頼通は一つの希望の場として平等院を
建立したのでした。

画像
曼陀羅寺(富山県射水市)
に伝わる絹本著色観経
浄土変相図です.

判別しにくいのですが、
鳳凰堂に似た形の建物が
描かれています.

画像
  庭園はこのような光景だったのかも知れません.
  小石敷きの庭園は、異様な雰囲気ですが緊張感があります.
  一段低い池となる部分には数体の庭石を配置しています.
  小御所は、直線状の屋根に柱を付けただけの吹き放しの建物に
  造って、簡単に表現しています.
画像
  扉を閉じた状態で朝陽を受けている景観を想定した画像です.
  中堂基壇と翼廊基礎の下には、低い小石敷きの段を設けています.
画像
  宇治川が増水して、庭園に水が張った状態を想定した画像です.
  扉を開けていますので正面に阿弥陀仏の顔が見えています.


鳳凰堂の庭園は、小石を敷き詰めた州浜が宇治川まで広がっていて、
堂の正面に浅い小石敷きの池がある以外に、何もない空間でした。
池には川が増水すると水が入り込み、鳳凰堂は池に浮かぶ水上建築の
景観を見せます。

古代、石は永遠を象徴し、水は生命を象徴する神聖な物体でした。
何もない空間ですが、神聖な場であるのです。
庭園に敷き詰めた石と時々池を満たす水は、陽を反射して堂と周辺を
明るく照らします。
少しずつ変化する反射光は空間を微動させるような印象を与えます。
神聖な場の水と光の変化と空間の動きは、現実の世界の時間と自然の
変化に連動しているのです。
しかし後に、洪水被害を防ぐために川辺の岸が埋め立てられ、州浜は
土で被せられ堤防が築かれて、水と石の光の変化はなくなりました。

画像
  堂へのアプローチに直橋と反り橋を設けました.
  アプローチには北端のこの橋のみを想定しています.
  それは、建物自体が聖体だから、内部に入って参拝するのでは
  なくて、小御所から正面を見たり、池の周囲を回遊しながら
  拝観するものだと思ったからです.

  池の形が円や方形でなく自由曲線であるのは、自然物の形を
  真似ようとしたのではなくて、鳳凰堂を様々な視点視角から
  見て、大自然の中の確固たる人工物の存在を意識するための
  動線の演出だと思います.
画像
  北西から見た背面です.
  尾廊を描かなかったのは、最初から建っていたのかが疑問だし、
  神聖視される西方から堂内に侵入する意味は無いように思った
  からです.
  尾廊は、西方浄土への関心が薄れた後世に、通路として付加され
  たのではないかと思います.

  翼廊や楼には写真を貼り付けていますが、その写真の木部を
  丹(朱色)に塗る手間を省いたので、全体に融和していません.
画像

  背面の西扉は不明門(開かずの門)だったように思います.
  西扉は、西方からの人の出入りに機能するのではなくて、
  東方から囲い込んだエネルギーを変換して西方に循環させる
  ために、阿弥陀仏が使用する扉であるように思うからです.

  翼廊の屋根は、反りを造っていないので不自然に見えます.
  曲面には写真を貼りにくいので、平面で屋根を描いたからです.
  また、翼廊の下層の間斗束が斜めになり不自然に見えるのは、
  写真を斜めにして貼り付けたからです.
  やはり、上層の小壁ように垂直に貼るべきでした.


1070-80年、鳳凰堂の真正面の池の対岸に小御所が建てられました。
頼通が83歳で没する(1074年)頃の建築です。
これは鳳凰堂と庭園を眺望するための施設です。

ある識者は、この小御所の存在のために、鳳凰堂と川や山の自然との
対比、すなわち浄土と現世の対比構成が遮断され、鳳凰堂空間が庭園
内の狭い範囲に閉鎖されてしまった、という旨を解説しています。

確かに、小御所にいれば、川に背を向けて堂を見ることになります。
しかしこの時、宇治川の流れと音、背後の山並みから昇る朝日や微風
を感じれば、小御所の中にいても、大きな自然の動きの中に鳳凰堂と
自分が同時に存在しているという感覚は、しっかり意識されるのでは
ないでしょうか。
小御所の位置と存在は、鳳凰堂と庭園を見て感じ取れる、大きな空間
イメージの障害にはならなかったと思うのです。

画像
扉を閉めている状態の
中堂の近景です.
裳階柱の建つオープン・
コロネードは、人が歩き
廻る所ではなくて、
木太い建物本体を覆って
全体に繊細な印象を与え
るための背景装置である
ように見えます.

画像
扉を開けた中堂です.
組物が赤と黄を組み合せ
て彩色されているのは、
日陰になりやすい所が
赤一色だけでは扁平に
見えてしまうので、
立体的に見せるための
デザインだと思います.

画像画像
  屋根は、桧皮[ひわだ]葺きだったのかも知れませんが、
  ここでは本瓦葺きに金箔を貼った屋根を想定しています.
  朱塗りの柱や梁の部材に屋根瓦のグレイの色のままだと、
  どう見ても色彩のバランスが良くないと思ったからです.
  鳳凰も金箔が貼られていたかも知れません.

  中堂の屋根は平瓦と丸瓦を描きましたが、裳階の屋根は若干の
  凸凹を付けただけにし、翼廊の屋根には写真を黄色に加工して
  貼付けて表現しています.


平等院の阿弥陀堂が鳳凰堂と呼ばれるようになったのは、江戸時代の
始め頃だそうです。
翼廊を翼、中堂を顔、阿弥陀仏の目を目、中堂を頭に見立て、さらに
尾廊を胴と尾に見て、鳳凰がイメージされる建物だというのです。
それは、鳥は現世と来世を媒介するという古代以来の思想が背景に
あるからなのかも知れません。
そう言われると鳥に見えなくはないのですが、何となく強引に近い
印象を受けてしまいます。

中堂の棟の両端に鳳凰が立っています。
鳳凰は菩薩の化身の霊鳥(鳳は雄、凰は雌)だと言われています。
建物自体の鳥への見立てよりも、単純に、鴟尾の代わりに立つ鳳凰の
印象深い姿が、鳳凰堂という呼称の由来だったような気がします。
後世に、色あせて荒廃した堂を見て、霊鳥を連想するのは少々無理が
あるような気がするのです。

画像
  仮に翼廊のない場合の、中堂が単独で建つ場合の景観です.
  左右対称の構成と上下庇(裳階[もこし]正面の一部を一段上に
  切り上げた庇)だけでは、東西軸は強調されないように見えます.
  やはり翼廊は最初から計画されていたと思います.
  左端の部分は小御所、その右に南門が見えています.
画像
  翼廊のある景観です. これで東西軸は強調されて見えます.
  軸を外れて、不整形な池の周囲を廻遊しても、対称軸の存在は
  しっかり認識されると思います.

  翼廊には、前面に広がる自然を取り込むような印象もあります.
  翼廊は、通路ではなくて、この空間に不可欠の背景なのです.
  屈曲点にある楼は、対称性と軸性の表現だけでなく、囲い込みの
  形を強調しています.


中堂の両脇の翼廊は廊下でもなく、通路に機能していない建物です。
当時は「廊」とは「細長い建物」の意味でした。現在の「廊下」は
中世以降に成立した建築概念です。
この翼廊は、モデルとする浄土宮殿の形態を表現するために設けた
付帯的な装飾的な建物であり、庭園空間の背景スクリーンです。

しかしこの翼廊には、モデルの形態模倣以外に、鳳凰堂空間を特徴
づける大きなイメージを造形する重要な役割があります。
一つは、鳳凰堂空間の主軸である東西軸をより明確に示すことです。
空間軸は、堂正面の裳階(もこし)の屋根が一段切り上がった部分だけ
でも認識できますが、翼廊の形が対称性を強調し、より強力に軸性を
主張しているのです。
庭園が強い軸性の空間だから、前面の池の岸が自由曲線であっても、
全体は混乱せず統一感があるように見えます。

画像
  背後から西日を受けている景観です.
  建物のエッジが金色の線になって輝き、それが水面に映る情景を
  イメージしていたのですが、表現できませんでした.
画像
  霧の深い朝の景観です. 霧の中から、赤の線と金の面が静かに
  浮び上がるようなイメージは表現できませんでした.


鳳凰堂空間にとって東西軸が重要なのは、「東から西に動く=現実」
と「西から東に廻る=再生」のサイクルを表現する空間テーマを表現
するために、東向きの東西軸が必要だったからだと思います。
また、鳳凰堂ブロックには南門と北門の存在を設定していますが、
その場合、南北の配置軸よりも、東西の空間軸を優先して強調する
必要があり、それも東西軸を強調する理由の一つだと思います。

もう一つの翼廊の役割は、両翼が前方に広がる現実世界を囲い込んで
受け止めるような「宀(うかんむり)」の形態にあります。
翼廊が鳥の翼と対称な立面を表現するのが目的ならば、直線状の平面
形でも十分なはずです。
ですから、囲い込みの形には別の意味があると思うのです。

画像

独自にイメージした
鳳凰堂空間の概念です.


囲い込みの造形は、前方に広がる「池ー州浜ー宇治川ー背景の山並み
ー東の空ー浄瑠璃世界」の大きな流れと、その中に生きている人間を
ギューッと凝縮しながら堂内に引き込んでいるように想像させます。
庭園の光と水の微細な変化は、それが動いているように見せます。
そして、堂内に引き込まれた一連の流れは、続いて浄土に連なる流れ
に変えて、阿弥陀仏によって西方に導かれていくように思われます。
つまり鳳凰堂は、現在の自然と人を取り込んで、それを浄土に向かう
エネルギーに変換する装置であるように思われるのです。

そして、浄土世界は大宇宙の中で浄瑠璃世界に連なり、一連の流れは
浄化されて再び東方から生きるエネルギーとして「再生」して現れる
というイメージが持たれます。
鳳凰堂は、その永遠に繰り返すサイクルをゆったりした速度で流して
いくような、動力を備えているように想像されるのです。

浄土曼荼羅図の宮殿をモデルにしたとはいえ、この壮大に動いていく
空間を、鳳凰堂プロジェクトチームのアーキテクトが構想していたと
すれば、彼らの豊かな感性と実行力に敬服せざるを得ません。

画像
  中堂の柱は意外と太い部材です。基本構造は古代建築らしい骨太
  の体形なのです。しかし、細い部材の裳階が周囲から木太さを
  覆い隠しているので、全体的には繊細な印象があります。
画像

正面階段を上がるとすれ
ば、堂内はこのように
見えてくると思います.

画像
堂内を明るく
して見た
想像の場面
です.
実際はもっと
暗いと
思います.

画像 背面(西)の扉を開けて
西日を受けていますが、
反射光が来迎壁の背後
から内部を明るくする
様子は表現できません
でした.
しかし、仏像や天蓋、
金具が鈍く光って見えて
います.

画像 二本の灯を置いて見た
堂内の想像場面です.
灯が揺れると、小壁の
雲中菩薩の舞が動き、
彩色部材の影が揺れ、
仏像や金具の輝きも
動いて、全体が揺れ動く
ような神秘が演出された
と思います.


中堂の内部は10m四方の広さで8mほどの高さの空間です。
外面と内面の色彩と装飾群は、堂内を外の現実世界から切り離して
別の舞台空間に変換するためのスクリーンでもあります。
すべての内面に浄土世界が描かれ、その天国スクリーンの上方には
多くの菩薩たちが天空を舞っています。
阿弥陀仏の天蓋や折り上げ天井は、浄土に向かって収斂していく空間
の奥行きを表現しているように見えます。

中堂は、念仏を唱えながら阿弥陀仏の周囲を巡る常行堂形式ですが、
実際に厳しく修行する場ではないように思われます。
極楽往生するに修行は必要でしょうが、既にここで浄土への出立点に
到達しているのですから、忙しく修行を続けていなくても、旅立ちを
静かに待っていればいいような気がするからです。
そして、この室内装飾群は、修行の場であるよりも、祈りの場である
ことを表現しているように見えるからです。

画像 来迎壁や壁は彩色されて
いますが、白漆喰のまま
の方が、光の構成や内部
装飾上は効果的だろうと
判断して、白壁にして
描いています.
裳階の後側を取り込んで
いるので、内部はほぼ
正方形の平面です.
右端の背面に西扉が少し
見えています.

画像 強引なイメージですが、
内部空間は、黄金比
(8/5=1.6)の長方形
(例えば葉書の図形)を、
仏像を中心にして左右に
二枚並べたプロポーショ
ンだと思います.
黄金比が人の感覚に快い
比例であるならば、阿弥
陀仏はごく自然に内部世
界の中心に在る訳です.

画像
部材の彩色や模様は、
似たような模様や、
それらしく変形させた
写真を貼付けています.

画像画像
  参考 浄瑠璃寺(/京都府加茂町/1107年.平安時代後期).
  左はG.Earthの画像です.

  本堂は東に向いて建ち、前面には池があります.
  本堂は、ほぼ正方形平面の鳳凰堂と違って、細長い阿弥陀堂の
  形式ですが、横並びの九体の仏像の周囲を巡拝します.


当時の藤原氏は広大な荘園を所有しており、その経済力が平等院と
鳳凰堂の建設を可能にしました。
さらに下層労働力として、現実社会で飢饉や暴力に苦しんでいる多く
の民衆が強制的に投入されたと思います。
仕事は辛かったでしょうし、恐らく事故や負傷者も死者も多かったで
しょう。部材の裏側には、彼らの苦痛の表情の落書きが多く残って
いるそうです。
それを思うと、絢爛たる鳳凰堂は、庶民を犠牲にして造られた、藤原
一族の極楽往生のためだけの権力の象徴物のように見えてきます。
当時も現在も、頼通の平等院建設に批判的な意見を持つ知識人は結構
多いようです。

しかし権力と経済力、強制労働だけでは、この壮大な空間構想と精緻
な建築は実現し得なかったのではないかと思います。
厳しく使役される労働者の中には、徐々に建ち上がる鳳凰堂を見て、
末法の恐怖の薄らぐ感覚を持った人がいたかも知れません。
遠く評判を伝え聞く街の庶民の中には、この不安な社会にも天国への
入口があることを知って安心する人がいたかも知れません。
僅かでも、そうした民衆の希望に繋がる空間力がなければ、鳳凰堂は
社会に支持されず、今日に残らなかったような気がします。
もしかすると頼通は、一面では民衆を含めた広い範囲の「平等」な
往生を願い、酷評を覚悟で造営を敢行したのかも知れません。

画像画像
  軒先は身舎(建物本体)の柱芯から4mほど出ています.
  三手先の組物と尾垂木が、この深い軒を支えています.
  裳階上部の高欄は人の移動に機能するものではありませんが、
  これがなければ身舎と裳階との境界が曖昧に見えて、
  全体の緊張感が損なわれるように思います.
画像 三手先組と尾垂木です.
内部と外部とでは彩色が
異なります.
尾垂木はずっと内部の
方に延びている部材です
が、途中で作図を省略し
ています.
尾垂木は、軒先の荷重を
軽減するための、テコの
原理を応用した部材です.

画像画像
  隅部の三手先組(左図)と裳階の平三斗(右図.右端は隅部)です.
  構成の原理は同じですが、隅部の三手先組の作図は、
  [Rotate]や[Mirror Selection]ツールを冷静に操作しなければ
  なかなか難しいと思います.

画像 十円硬貨に刻まれた鳳凰
の比較です.
左が昭和27年の硬貨
右は平成12年の硬貨.
左の鳳凰は、足が太くて
尻尾の短い形の鳥です.


ここで、鳳凰堂といえば必ず話題になる十円硬貨に関する余談です。
ルーペで拡大しなければ見えませんが、昭和27年硬貨の鳳凰の尻尾が
他の年の鳳凰よりも短いのです。チャボかヒヨコのように見えます。
これは単なる摩滅ではなさそうです。
製造過程にはいろんな事情があるのでしょうが、面白い現象です。

画像
  宇治川の上空から見た朝の画像です.
  中島の樹木の影が少し不自然に見えます.
画像
  上と同じアングルで、朝靄の中の鳳凰堂です.

□□□□□
簡単な図面と写真を頼りに描く作図は根気のいる作業であり、
何度も長期間の挫折を繰り返しました。
特に、中堂の瓦屋根の反りの表現には苦労したところです。
翼廊は写真を貼付けて組み立てましたが、
それらしく見えるように仕上げるのにはもっと練習が必要です。
しかし、少しずつ形が整っていくにつれて、G.SketchUpの面白さを
あらためて実感することができました。

今回のトライでは多くのレイヤを造りましたが、それでも混乱は
避けられず、消し忘れの線や部材も幾つか残したままです。
不要な線は画像を無線で表現すればいいのですが、消去忘れの部材は
UPした画像に若干散見されてしまいました。

鳳凰堂モデルのGoogle Earthへの配置を試みましたが、容量が
大き過ぎたせいか、大変な長時間を使ったあげく「予期せぬエラー」
が発生し、完遂することができませんでした。
□□□□□

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