建築再読-F.10 テアトロ・オリンピコ -1

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建築再読-F.10 テアトロ・オリンピコ -1
「追想の劇場」 -1
定説を外れた異端の視点で自由に想像して読み返しています.
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テアトロ・オリンピコ
Teatro Olimpico
  /アンドレア・パラディオ(1508-80)、
   ヴィツェンツォ・スカモッツィ(1552-1616)
  /ヴィツェンツァ.イタリア/1580-84年(ルネサンス)
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画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.png F1002olimpico19.jpg
(左/註1) ヴィツェンツァの旧市域です.
(右)西のカステッロ広場と東のマテオッティ広場をつなぐ直線道路、
 「コルソ・パラディオ」です.
 道幅は広くはありませんが、旧市域の中央大通りです.
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ヴィツェンツァは、ヴェネチアから電車で1時間ほどの位置です。
そのおよそ1km四方の小さな旧市域は、パラディオに関する建築が
20件ほど集中していることで、よく知られている町です。

その一つ「テアトロ・オリンピコ」は、旧市域の東端のマテオッティ
広場の北側にあります。

ヴィツェンツァは、様々な国の支配を繰り返し受けてきました。
都市の形態は12世紀頃には整っていたようですが、自治都市としては
長続きせず、いつも戦乱に巻き込まれていました。

そして15世紀から18世紀の間はヴェネチア共和国の支配下にあり、
現在はヴェネチアを州都とするヴェネト州に含まれる一都市です。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1004olimpico01.jpg
(左/註1) 旧市域の東端付近です.
(右)マテオッティ広場から見た「テアトロ・オリンピコ」です.
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他国の支配下に安住すれば、戦乱は回避でき、経済は発展するし、
文化や芸術も高い水準で展開していくことができました。

しかし、ヴィツェンツァの市民は、精神まで支配されていた訳では
ありませんから、内心では町の自立を切望していたと思います。

特に貴族や知識人たちは、短期間の自治都市であっても、その時の
プライドは心密かに持ち続けていたと思います。

15,16世紀のヴィツェンツァの知識人たちは文化サークルを組織し、
様々な文化的行事を頻繁に開催していました。

そうすることで町の文化レベルの高さを実証し、かつての自治都市の
栄光を追想していたようです。

行事では演劇が催されましたし、それは知識人の古典文化学習の機会
でもあったので、彼らは演劇公演に熱心だったようです。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1006olimpico03.jpg
 「テアトロ・オリンピコ」の入口です.
 門は、パラディオ風のデザインですが、スカモッツィの設計です.
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「アカデミア・オリンピカ」は1556年に創設されたヴィツェンツァ
知識人サークルの一つで、パラディオもそのメンバーでした。

1580年、このサークルは、マテオッティ広場近くの中世の城塞跡に
付属の劇場「テアトロ・オリンピコ」の建設を企画しました。
ほどなく、既存の建物を壊さない条件で、市当局の建設許可を受け、
すぐに着工されました。

建設を急いだ理由は分かりませんが、設計する時間がなかったので、
工事は、パラディオの用意した模型と「舞台背景図」をもとにして
進められました。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1008olimpico05.jpg
(左)「テアトロ・オリンピコ」は中世の城塞(Castello del Territorio)
 跡に建てられました. 後に監獄にもなった所ですから、塀や建物の
 壁には荒々しい印象があります.
(右)劇場へは画面中央の入口から入ります.
 市当局の建築許可の条件に「10年の期限」が付けられていたので、
 最初は仮設の劇場として計画されたのかも知れません.
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着工からおよそ半年後、パラディオは71歳で亡くなり、工事は一時
中断されました。

翌1581年に末息子のシッラ(Silla)に工事の継承が依頼されましたが、
彼は建築に明るくなかったので、継承は立ち消えになりました。

その後、スカモッツィが建設を受け継ぎ、工事は再開されました。
スカモッツィはヴィツェンツァ出身の建築家です。
パラディオの仕事を手伝ってきたので、後継者を自認していました。

彼は、パラディオの「舞台背景」にも修正を加えながら工事を進め、
1584年に「テアトロ・オリンピコ」を完成させました。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1010olimpico07.jpg
(左)劇場への通路となる室内です. スカモッツィの設計です.
(右)画面左端の開口から劇場客席に入ります. 右は舞台と背景です.

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1012olimpico.jpg
(左)「テアトロ・オリンピコ」の平面です.
(右/註2) パラディオが残したといわれる「舞台背景図」です.
 左右の小開口は、パラディオの図では開口部の上部が小壁ですが、
 スカモッツィは小壁を省いて梁までの高さの開口に変更しました.
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通説では、「テアトロ・オリンピコ」はパラディオの設計した最後の
建築であるといわれています。

たしかに、模型と「舞台背景図」だけしか残していなくても、それを
設計行為の成果として認めることはできるかも知れません。

しかし、パラディオは着工の10年前からヴェネツィアに移住していた
ので、現場での建築指導は十分には行えなかったと思います。

また、スカモッツィも修正していますから、パラディオの造形意図が
どれほど反映された建築であるのか、疑問がない訳ではありません。
ですから「パラディオの設計した建築」という通説を是認するには、
少々の戸惑いを感じる人もいない訳ではありません。

しかし、工事を継承したスカモッツィは、パラディオの模型と図面を
大幅に改修したり、新たに図面を起こしたこともないようです。

ですから、模型と「舞台背景図」だけしかなくても、パラディオの
空間イメージの大部分は造形されていると思います。

「テアトロ・オリンピコ」には、空間を理解する上で不思議な感覚を
覚えるような造形がいくつかあります。
その部分こそが、パラディオがこの建築に込めた空間的メッセージを
考えるヒントになると思います。

スカモッツィがパラディオの空間イメージを、どれほど理解していた
のかは分かりませんが、隠されたメッセージは物語ってくるように
思います。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1014Jerash01.JPG
(左/註3) ヴィトルヴィウスの「建築四書」にある「古代劇場の平面図」
 当時は「古代ローマ風」であることが文化的ステータスでしたから
 劇場建築にはこのような図面が参考にされていたと思われます.
(右/註4) ジェラシュ(ヨルダン)の古代ローマ劇場遺跡. 客席は半円形です.

画像

 客席の楕円形は古代の
 客席の楕円形は、古代の
「円形」を意識させます.
 その意識の動きは「ある
 過去の空間」への想像を
 喚起します..
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劇場は、古代ローマ時代の円形劇場のスタイルで建築されました。
古典的な特色を造形することが、文化的ステータスだったからです。

しかし客席は、半円形ではなく、楕円の形状で造られています。
壊さない条件の既存建物の中間に建てるために、敷地が狭いため、
やむなくそのような歪な形になったのかも知れません。

しかし、古典的スタイルで建築するのであれば、もう少し小規模に
すれば、半円形客席の形態は計画できたように思います。

もし舞台の規模と客席数が指定されていたのであれば、楕円形客席に
する必要はあったでしょうが、そのあたりの事情は不明です。

あるいは、パラディオは、古代の円形劇場の形態をコピーする意図は
最初から持っていなかったのかも知れません。

円形を歪ませることによって、逆に「円形」を意識させているように
理解することもできるのです。

つまり「歪み」と「正規」を対峙させて、「歪み」の楕円形空間から
「正規」の円形空間の想起を促していると思うのです。

それは古代劇場的空間を想像させますが、それよりも「ある過去の
空間」を追憶する意識を動かすことが、隠された目的だと思います。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1017olimpico014.jpg
 舞台の天井は「格天井」、客席の天井は「空」を描いた天井です.

画像


「空」の天井絵は、空間を
「屋外」に見せかけながら
「屋外」を否定しています.
 その2つの意識は、現実の
 劇場を「別の劇場空間」に
 イメージさせます.
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客席の天井には「空」が描かれていて、客席が屋外空間であるように
表現されています。

しかし「空」が描画であることは誰の眼にも明白ですから、かえって
そこは屋内空間であると意識されてしまいます。
「屋外」に見せかけながら、同時に「屋外」を否定している訳です。

つまり「空」の天井絵は、古代の野外劇場スタイルの空間であり、
同時に「そうではない劇場空間」であることを表現しているのです。

「テアトロ・オリンピコ」は劇場であり、また別の意味の「劇場」で
あるという、2つの「劇場」空間が重なった建築なのです。

画像
スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1020image03.jpg
(左)舞台背景の街並の上部は空ではなくて「格天井」です.
(右)「格天井」は、舞台の現実感を否定し、演劇とは別の「ある仮想
 空間」をイメージさせようとする装置です.
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ステージの天井は「格天井」です。

しかし「背景」がリアルな街並ですから、その延長として、天井には
客席のように「空」を表現する方が自然だと思います。
ですから、ステージの「格天井」には一種の違和感があります。

そして「格天井」は、背景と天井の連続性を拒否し、舞台の現実感を
否定しているように見えます。

現実感を否定する「格天井」は、観劇しながら、同時に観劇を離れた
視点を要求しているような気がします。
舞台を、観劇とは別の意識で観るように促しているように思います。

つまり、演劇とは「別の意味の仮想空間」を映すスクリーンとして
見るように誘導していると思うのです。

舞台と客席は、機能的には連続し、イメージの上では不連続です。
プロセニアム・アーチ(舞台の額縁)や引幕装置がないのは、そうした
現実と想像との「意識の混在」を誘うためにあるように思います。

画像
スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1022image04.jpg
(左)壁の彫像は立体ですが、柱や2階バルコニーは「壁画」です.
(右)仕切り壁は「仕切り」とは別の意味の壁であり、
 舞台に「ある仮想空間」を見る開口部の「額縁」になります.
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客席両端の仕切り壁には、客席の背景が連続して描かれています。
それは、舞台と客席を連続させて一体化しているように見えます。

しかし、仕切り壁の大部分が平坦な「壁画」であることは瞭然です。
それは、この壁は、立体的に造形した舞台「背景」の一部でもなく、
立体的な客席背景の一部でもない、ことを表現していると思います。

つまり仕切り壁は、「仕切り」とは「別の意味の壁」であるのです。

舞台と客席を機能的には仕切り空間的には一体化しているのですが、
舞台に別次元の空間をイメージして垣間みる、そのための「額縁」で
あると思うのです。

その「額縁」は、舞台空間を、演劇内容とは別の「仮想空間」として
観るように、無意識の意識に働きかけているように思います。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1024arco di constantino002.jpg
(左)街並を表現した「固定背景」には「凱旋門」が見え隠れします.
(右)コンスタンティヌス凱旋門(arco di constantino)/315年.ローマ.
 街並とは無関係の凱旋門が街並の中に溶解しているように見えます.
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「テアトロ・オリンピコ」の「背景」は固定されています。
しかし一般的には、テーマごとに取り替えのできる仮設の背景の方が
演劇には都合がいいはずです。

固定した背景は、多様な公演には邪魔になると思います。
であるのに、パラディオがわざわざ「固定背景」を設置したのは、
古代劇場のスタイルにこだわったからではないと思います。

別の意味を「固定背景」に隠喩する目的があったからだと思います。

その「固定背景」には、仮想の街並が表現されています。
その街並には大小3つの開口があり、建物の2階では台座に彫像が
載っています。

そうした構成は、古代ローマ時代の「凱旋門」を連想させます。
壁面全体の雰囲気にも「凱旋門」が混入しているように見えます。
「凱旋門」が街並の中に溶解しているように見えるのです。

「凱旋門」は周囲から独立して建つ記念碑ですから、普通の町の中の
街並とは無関係の建築物です。
本来は無縁の建物を、溶け合わせるように合成しているのです。

ですから、この「固定背景」は街並のように見えても、妙な違和感が
あり、矛盾も感じられるのです。
つまり、街並を否定した「街並」であるように見えるのです。

画像

「固定背景」のデザインは
 別の空間の「ある街並」を
 イメージさせます.
 そして、この劇場を「劇場
 以外の劇場的空間」に変容
 します.

この「固定背景」は、演劇とは別の意味の「ある街並」のイメージを
映し出すスクリーンだと思います。

背景のデザインに違和感を覚えた瞬間に、劇場は「劇場以外の空間」
に変容するのです。

この「固定背景」を奇妙なデザインだと感じなければ、それらしき
街角での演劇を素直に楽しめれば、それはそれでいいのです。
隠されたテーマに気が付かなくても、劇場としての第一義の目標は
達成されていることになります。

しかしヴィツェンツァの市民は、パラディオの「固定背景」の隠喩を
直感的に理解して「ある街並」を追想していたように思います。

画像スクリーンショット 2019-07-14 12.09.49.pngF1027Teatro_Olimpico_sezione_Bertotti_Scamozzi_1776.jpg
(左)「固定背景」の開口の奥には、透視図的に奥行感を強調した
 ストリートの「立体背景」が見えます.
 スカモッツィは中央の開口に2本のストリートを追加しました.
 ストリートはテーバイ(古代ギリシャ)の街並を模しているそうです.
 テーバイは、「テアトロ・オリンピコ」のこけら落とし公演の
 「オイディプス王」の舞台となる町です.
(右/註5)  ベルトッティ・スカモッツィ(Ottavio Bertotti Scamozzi
 /18世紀の建築家、パラディオ研究家)の描いた(1776年)断面図.
 「立体背景」は奥行感を強調した背景ですが、普通に見れば、
 非現実的な歪んだ空間に見えます.

画像


「立体背景」は、
 時間を「過去の一点」に
 収斂させていくように
 感じられます.
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「固定背景」の大小3開口から、7本のストリートが見えています。
街並を奥の方ほど小さく造り、路面を客席側に傾斜させて、奥行感を
強調して造った立体的な背景です。

「立体背景」は、演劇に現実感を加味する背景手法であって、16世紀
あたりから実例があり、パラディオの独創ではありませんでした。

「立体背景」は、ストリートが実際に続いているように見えますが、
演劇を離れて普通に見れば、非現実的な歪んだ空間に見えます。

現実感と非現実感の混在した感覚は、観劇中のある時に、「別の仮想
空間」が開口から奥に延びていくようなイメージを誘うと思います。

「非現実」の空間が、劇場の「現実」から分離して「固定背景」から
無限遠に収束していくような錯覚が感じられるように思います。

「立体背景」は、劇場の「時間と空間」を、先端をすぼめながら、
「過去のある一点」に収斂させているように思われるのです。

パラディオは、舞台に奥行感と現実感を加味する流行の手法として
「立体背景」を採用したのではないと思います。

人の意識を過去にさかのぼらせて、あるイメージを引き起こす装置と
して「立体背景」を利用したのだと思います。

画像

「テアトロ・オリンピコ」の
 造形には、かつて自治都市
 だった頃のヴィツェンツァの
 町の空間を追想させる装置が
 いくつか隠されています.


概括すると、「テアトロ・オリンピコ」の造形には、以下のような
イメージが隠されているように思います。

・客席の楕円形がイメージさせる「ある過去の空間」
・空の天井絵がイメージさせる「別の劇場空間」
・舞台の格天井と仕切り壁がイメージさせる「ある仮想空間」
・固定背景の奇妙なデザインがイメージさせる「ある街並空間」
・固定背景スクリーンの造る「劇場以外の劇場空間」
・立体背景が時間をさかのぼらせていく「過去の一点」

これらの「空間」や「過去の一点」とは、かつて自治都市だった頃の
ヴィツェンツァの町空間を意味していると思います。
市民がいつも意識下で追想している「ヴィツェンツァ」です。

030122/100708 -1
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(註1)ーGoogle Earthの画像に加筆しています.

(註2)ー「EAHN: Palladio 500 anni」から引用した写真です.

   http://www.eahn.org/site/en/palladio500anni.php

(註3)ー「De Nieuwe Schouwburg」から引用した画像です.

 http://www.digischool.nl/ckv2/burger/burger17de/toneel/de_nieuwe_schouwburg.htm

(註4)ー「The Roman northern amphitheater in Jerash」から

   引用した写真です. http://en.wikipedia.org/wiki/Gerasa

(註5)ー「WIKIPEDIA Teatro Olimpico」から引用した写真です.

 http://en.wikipedia.org/wiki/Teatro_Olimpico

 ベルトッティ・スカモッツィはヴィツェンツォ・スカモッツィと

 同性ですが、血縁関係はありません.

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建築再読-F.10 テアトロ・オリンピコ -2 に続きます.


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