変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.
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TVやネットのYoutubeで音楽の演奏に聴き入っている時は、私はその
曲に合わせて、様々な情景を自由に思い浮かべています。
故郷の景色や、懐かしい思い出、抽象的な映像など、様々なシーンと
音楽の共演を、私なりに楽しんでいます。
しかし、途中で興醒めする時があります。
演奏者、特にソリストに多いのですが、気の毒なほどに切なく悲しい
表情を(演技で?)見せながら演奏する時です。
(註1)
終始この表情で演奏されると、
視聴に耐えられなくなります.
失礼な物言いして、彼女にも
ファンの方にも申し訳ないの
ですが、よく練習されてきた
「顔芸」だと思います.
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「そんなに辛くて悲しいのなら、無理して演奏しなくてもいいよ」と
思って、曲を聴く余裕がなくなってしまうのです。
ピアニストの切ない表情は、ファンにとっては堪らない「芸風」かも
知れませんが、私には余計な「見せ方」なのです。
却って雑念が湧いてきて、聴きたい気持ちが失せてしまいます。
この「顔芸」を見て、「このピアニストは"痔"を患っていて辛いのか
な...」と揶揄気味に思うこともあります。
終始無表情だったり、ヘラヘラして演奏されるよりマシなのですが、
痛々しい表情を見せられると、私まで辛くなって、自由にイメージを
楽しむことができなくなるのです。
(註2)
歓喜の曲想の場合は、どの
ような満面笑顔になるのか、
想像してしまって、演奏を
聴く余裕が無くなります.
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演奏者を見ながら音楽を聴く場合は、ステージや演奏者の見え方は、
聴衆の鑑賞の質に大きく影響します。
クラシックの場合だと、演奏者の服装は、Tシャツ・ジーンズよりも、
コンサート・ドレスが圧倒的にマッチします。
高度な技術をインプットされたロボットの演奏よりも、その演奏者に
しかできない仕方で本気の演奏を聴く方が、感動が伝わると思います。
確かに、演奏会のチケットは、「聴こえてくる音」よりも「演奏者の
見やすさ」を重視して、座席を選択する傾向が強いようです。
(左/註3)(右/註4) どちらも超有名な演奏家です.「この演奏は私の占有
する世界なので、あなたがこの曲の世界に入る余地はありません」
と、深い視聴を拒否されているような、気がしないでもありません.
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しかし、「演奏者の見え方」が、「曲の響き」よりも派手に目立って
くると、曲を聴いて映像を想像することができなくなります。
音楽の楽しみ方は、人それぞれの仕方でよいと、思うのですが...。
私の場合は、楽曲と映像イメージは不可分なのです。
演奏者だけが自己陶酔して見せても、必死で頑張って見せても、苦痛
に耐えて見せても、魅力を感じることなく、興醒めするのです。
演奏の「見せ方」も、演奏者がその曲の感動を聴視者に伝えるために
必要な表現要素なのかも知れません。
その「見せ方」には、容姿、自己陶酔、表情、パフォーマンスなど、
様々あると思います。
それでも、切なく悲しく辛そうな表情で演奏する「見せ方」は、私は
直視できず、曲を聴く気持ちは雲散霧消します。
(註5)
リストの超絶技巧演奏を
ちゃんと聴いている人は
いるのでしょうか...
でも、これもコンサート
の一つの在り方なのかも
知れません.
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演奏よりもパフォーマンスを優先するソリストはいないと思いますが、
その両方を見事にやってのけた音楽家は、過去にいました。
フランツ・リスト(Franz Liszt/1811-1886)です。
長身(185cm)のイケメンで、煽情的な仕草を見せられ、ピアノ演奏の
超絶技巧を聴かされると、19世紀の貴婦人たちは熱狂したそうです。
彼は、ピアノの前に座ると、サラッと長髪をかき揚げます。
しばらく瞑想して後、悠然と鍵盤に手を置きます。
やがて陶酔した面持ちで、情熱的にピアノを弾き飛ばします。
そのカッコ良さを見て、泣いたり失神する貴婦人もいたそうです。
リストが汗を拭いたハンカチを奪い合い、追っかけもしたそうです。
当然、彼には不倫や駆け落ち、多くのスキャンダル話が付き纏います。
(註6)
この風体で、演奏技術も
作曲も音楽指導もトップ
クラスです.
上流階級のご婦人たちが
夢中にならない訳があり
ません.
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これだけ上流階級のご婦人たちに人気があれば、周囲の音楽家たちは
この「ピアノの魔術師」に嫉妬して、パフォーマンスをコキ下ろすだ
ろうと思うのですが、実はそうではなかったようです。
ほとんどの音楽家は、彼の演奏の感性と技術を絶賛していたようです。
ベートーベンも、彼の音楽的才能を認めました。
シューマンも、リストの「演奏と、その見せ方」を賞賛しました。
ただ、密会に留守中の自宅を使われたと知ったショパンは、リストの
友人らしからぬ背徳行為に激怒したそうです。
(註7)
超辛い唐辛子「死神」を
食べて、涙して演奏する
ファゴット奏者.
「感動」ではなく「辛い」
涙顔です.
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演奏中に涙を流す様子は、パフォーマンスとしての「演奏の見せ方」
なのか、あるいは曲に共感した「感動」なのか、大抵は見れば察する
ことができると思います。
たとえば、「キャロライナ・リーパー」という非常に辛い(ハバネロの
5倍以上)唐辛子を食べて演奏した「デンマーク国立室内管弦楽団」の
イベント例があります。
メンバーは辛くて号泣状態になりますが、見事に演奏しています。
しかし、演奏は感動的ですが、曲に関係なく泣いているのです。
「辛さ」と「感動」の違いは、見れば何となく分かります。
(左右/註8) 主役のバイオリン奏者よりも、脇役のオーボエ奏者の方が
目立ってしまったコンサートでした.
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当然、本当に感動して、涙を流しながら演奏した例もあります。
「オランダ交響楽団」が、映画「シンドラーのリスト」のテーマ曲を
演奏中、オーボエ奏者の女性が途中で泣き出しているのです。
我を忘れて泣いていますが、それでも最後まで演奏しました。
ソロ・バイオリンの美女「シモーネ・ラムスマ」の演奏も逸品ですが、
辛そうな表情の「演奏の見せ方」(または「芸風」)は軽く見えます。
対して、オーボエ奏者の「感動」の「涙顔」は、映画の意味を語って
いるように見えます。
余計な話ですが、私は「シンドラーのリスト」のソロ・バイオリンは、
「イツァーク・パールマン」の方が好きです。
彼がユダヤ人だからでしょうか、重みを感じます。
(左/註9)「ポゴレリチ」の奈良-福寿院客殿での演奏(2018年)です.
(右/註10)「川上昌裕」の演奏には派手な「見せ方」はありません.
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安っぽい「顔芸」をしない演奏家は、少数ですが、確実にいます。
たとえば「イーヴォ・ポゴレリチ/Ivo Pogorelich/1958-」も演奏を
観ながら聴くことのできるピアニストです。
若い時期は、独自のショパン解釈や独創的な演奏などで物議を醸した
せいか、大変な苦労があったようです。
TVで観た60歳の演奏では、真摯にショパンに向き合う姿勢が素敵に
見えました。
語るような彼には演奏には、「見せ方」は必要ないと思いました。
「川上昌裕/1965-」も、「顔芸」を必要としないピアニストです。
普段と変わらない表情で難曲を演奏します。
特に「カプースチン」の曲では、超絶技巧を駆使しつつ、発色の良い
抽象絵画や風景画をイメージさせてくれます。
201110
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以下の画像を加工しています.
(註1)「ららら♪クラシック」
https://tsuiran.jp/word/37765/hourly?t=1601643600
(註2)「CD試聴記」
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/t-suzuki/s_and_p/reviews.html
(註3)「youtube/中村紘子 トーク&コンサートVol.3 「ロシアの六月」」
https://www.youtube.com/watch?v=KvRN_tS2tB8&app=desktop
(註4)「Beethoven:Cello Sonata No.3/Yo-Yo Ma & Emanuel Ax」
https://www.youtube.com/watch?v=X9pivx91mVk
(註5)「チェリーピアノ」
https://www.cherry-piano.com/posts/8041061/
(註6)「AFP」
https://www.afpbb.com/articles/-/3120417
(註7)「m-on-music」
https://www.m-on-music.jp/0000003626/
(註8)「Schindler's list - John Williams - NL orchestra」
https://www.youtube.com/watch?v=YqVRcFQagtI
(註9)「PIOピアノ雑記帳」
http://piopiano.blog.jp/archives/8149340.html
(註10)「N. Kapustin - Piano Concerto No.6 with Masahiro Kawakami (piano) 」
https://www.youtube.com/watch?v=t00R0AAMSTM&feature=emb_title
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