雑観/美術-14 神様がお尻を丸出しで...

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□ローマに旅行する人は、必ずと言っていいほど、バチカン市国の中のシスティーナ礼拝堂を訪れます。 多くの場合、ミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico BuonarrotiSimoni/1475-1564)が、1508年から4年をかけて制作した天井画がお目当てです。 (左/註1) システィーナ礼拝堂/1473-81 /バッチョ・ポンテッリ(Baccio Pontelli/1450-92), ジョヴァンニーノ・デ・ドルチ(Giovannino de' Dolci/1435-85)(右/註2) 現在は内部の撮影は禁止されています.□□□□□天井画は「創世記」の中から9場面が描かれています。その中では、「アダムの創造」が最も有名です。 神がアダムに手を差し伸べて、エネルギーを注入しようとする時の、指先が触れ合う瞬間の場面です。 (註3) 身体に命が宿る瞬間の静謐な緊張感が流れる場面です.□□□□□私がこの場面を最初に見た時は、不遜ながら、乾燥時に金属性のドアノブに手を触れて、指先に静電気が走るショックを思い出しました。 おそらく、アダムも、エネルギーが流入する時は、指先と身体全体に心地よいショックを感じていたと思います。 (註4) 腰布を描き足してお尻を隠すことはできたと思いますが...□□□□□私は、この「アダムの創造」よりも、有名ではありませんが「太陽、月、植物の創造」の場面の方が好きです。 創造の神が大地を創り、植物…

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暮らし/日常-29 土足で家に侵入した少年

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□拙宅の近隣にも、高齢の夫婦だけで暮らすお宅が多くなりました。時々、独立した息子・娘夫婦が孫を連れて遊びに来ています。 彼らの小さな孫が「おじいさん、こんにちは」と挨拶してくれると、本当に嬉しくなります。 しかし、その中に、私を避ける息子がいます。例の「オレガ」夫婦の息子です。 彼が私を避ける理由は、彼が小学校の高学年の頃、拙宅に土足で侵入したことを、私が目撃したからです。 夏の昼下がりの静寂な時間、私一人が家にいて読書していました。「オレガ」息子が、ゴム草履を履いたまま、庭からソーッと家の中に無断で上がり込んで来ました。 足音を忍ばせ、畳の上を歩き回り、私の子供の遊ぶボールを発見し、手に取って持って行こうとしました。  (註1) この子の親も他人の敷地に 無断で入ることがあります. モノを盗ったことはないと 思いますが、他家の庭先に 無断で入ることに無頓着な 家庭のようです. その時、彼は私が家の奥にいることに気づき、「アッ」と小さな声を出し、ボールをソーッと放し、ソロリソロリとゆっくり後ずさりして出て行きました。 私は黙って一部始終を見ていました。そして、彼が出て行った後は、畳に着いた土の足跡を掃除しました。土足で盗みに侵入した証拠を消したのです、彼の名誉のために。 その後の彼は、何事もなかったように振舞っていましたが、私だけを避けるようになりました。 人知れず後悔して、悩んでいたのかも知れません。あるいは、「オレガ…

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雑観/TV番組-09 親切だろうけと少々迷惑な手差し

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□私はニュース番組を観るのが好きです。特に、政治的多数にへつらわず、理路整然と正論を述べる、司会者や解説者のいる番組は、好感を持って観ています。 しかし、解説者の説明している時、司会者がパネルの前に出てきて、説明部分を「手差し」してくれるのは、私は迷惑に感じています。「手差し」は、不遜かも知れませんが、私には目障りに映るのです。 (左.右/註1) 「手差し」は親切のつもりでしょうけど...□□□□□解説パネルの全体を見たり、他の部分をチラ見しながら、説明を視聴しているのに、「手差し」されると、そこを強制的に注視させられているように感じます。 「手差し」する司会者が、単なる出たがりというわけではなく、特に親切な性分なのかも知れません。親切な彼は、解説を正確に効率よく理解するように手助けしていると思いますが、その手が邪魔なんです。 本を読んでいる時、親切な誰かが側に来て、次に読む行を「指差し」してくれるのと同じです。 それは、ほとんどの方は迷惑に感じると思います。次の行を指で差されなくても読めるし、自由に読書したいのです。  (註2) 忌憚のない解説ほど 自由に聴きたいです. 「手差し」を気にせずに解説を聞けばいいのでしょうが、それほどの集中力はありません。 彼の手がどうしても視野に入るし、彼の視聴者(カメラ)を見る視線も気になってしまうのです。 悲しい事件を報道している時に、チャカポコと面白おかしい音楽(?)を聞かされる…

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暮らし/日常-28 安価な茶碗にも「顔」があります

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□拙宅では、食事の後片付け・食器洗いは私の仕事です。私は、料理は湯を沸かすことしかできないので、後片付けを分担しているのです。 別のことを考えながら食器を洗い、皿を落としそうになって、ハッと我に帰ることがあります。そして、とうとう、私の湯呑茶碗の口を少し欠いてしまいました。 少しでも欠けた茶碗を使うのを女房は非常に嫌います。気に入っていたし、高価なものではないし、ついでの用もあるので、新調することにしました。二人で「大宮そごう」の7階、和食器のコーナーに向かいました。  美濃焼だと思いますが... 同じデザインの飯碗と 湯呑茶碗です. 意外と安価でした. 同じ茶碗でも、「胴」の釉薬の模様が微妙に異なります。私は茶碗の「顔」を気にするので、釉薬の模様を慎重に選びます。安価な茶碗でも、それぞれに個性的な「表情」をしているのです。 茶をいただく時は、温かい碗を両手に包んで、しばし「顔」を眺め、そして「顔」の部分を避けて縁に口をつけます。 妙な癖ですが、昔、祖母から教わった、普段の茶の楽しみ方です。それは、女房にも気付かれないような、瞬間のこだわりです。 (左) この「顔」の景色を見ると、(右/註)海の風景をイメージします.□□□□□和食器のコーナーで、いくつか並ぶ同じデザインの茶碗の、それぞれ個性的な「顔」を眺め比べていました。 私はニタニタしていたのでしょうか...女房が「何してんの?」と怪訝な様子なので、相性の良さそうな「顔」…

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雑観/TV番組-08 NHK「旅するユーロ」

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□春分の日とその翌日、毎週欠かさず観ていたTV番組が終了しました。昨年の10月から半年間続いた、NHKの4番組、「旅するドイツ語・旅するイタリア語・旅するフランス語・旅するスペイン語」です。 集中力の弱い私は、教養番組は苦手ですから、どうせ最初の数回しか見ないだろう...と半ば諦め、テキストなしで眺めていました。しかし、この4番組は、ついに最終回まで見続けてしまいました。 4月から再放送されていますが、それより、続きの方をもっと見たいと思いました。 (左/註1) ウィーンと近郊の街を歩く「旅するドイツ語」です. 私は テキストは購入しませんでしたが、それでも十分に楽しめました.(右/註2) カフェ・ディグラス(Café Diglas)の内部です. 私たちも後ろの窓際のテーブルで道往く人を眺めながらコーヒーを 飲んでいました. スタッフもこの男性でした(と思います).□□□□□その理由は、この4番組が、従来のスタジオ収録の「語学番組」とはかなり趣の異なる内容だったからです。 つまり、視聴者が飽きないように様々に演出して、言い回しや文法を教え込むのではないのです。 現地の街を歩きながら、庶民の家庭を訪問し、宮殿や教会、カフェやビストロを巡りながら、出演者が現地の人と言葉を交わすのです。 ネイティブゲストの指導を受けながら話すフレーズは、流暢ではないのですが、逆に私には親近感がありました。 (左/註1) 出演者の控えめなジェスチュアが「雅楽」的…

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暮らし/雑草-13 道端で早春を喜ぶ雑草たち

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□春分の前後から、拙宅前の道端の草たちが花を咲かせ始めました。その多くは誰にも気付かれず、ひっそりと咲いています。 机の窓から、風に揺れる花たちを眺めていると、花粉症が酷くて外に出たくない私も、道端の花たちと一緒に、早春を楽しめます。  毎朝「今日も頑張れよ」 と声を掛け、枯れたら「綺麗な花を有り難う. ご苦労様」と胸の中で 声を掛けます. 変人ゆえの奇行です. 雑草でも、大きな花となると、時々チラリと見ていく人がいます。ベビーカーを押して散歩する若い夫婦は「春だね...」「そうね...」と笑みを浮かべて、見ながら通り過ぎて行きます。 ヨチヨチ歩きの女の子は、水仙をしゃがんで眺め、「綺麗ね」と言い摘み取ろうとします。でも、花はフェンスの外に咲いているので、採れませんでした。 母親の「汚いから止めなさいっ」の制止は興醒めでしたが、女の子の仕草が「早春の妖精」が舞っているように見えてホッコリしました。  直径1cmの花です. 道端にも、こんなに 綺麗な花を見つける ことができます. しかし、小さな雑草の花は、誰もその存在に気付かれません。でも、春の陽の恵みを受けようと、しっかり空を見上げています。 道端で、そうした直径2ミリの花を発見した時は、その健気な容姿に心打たれます。 何かお手伝いしようと思うのですが、私にできることは、少々の水をあげることと、日陰にならないように邪魔しないことだけです。 「しっかり春を喜び…

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雑観/美術-13-2/2 フラ・アンジェリコ「受胎告知」-2/2

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□サン・マルコ修道院の「受胎告知」は、2階の廊下の、階段を上った先の壁面にあります。 円光と天使の翼以外に、神性の象徴のない舞台で、マリアと天使が、両手を胸に合わせて、互いに見つめ合っています。 日常空間に神と人が出会って「受胎告知」する瞬間です。「受胎告知」は、多くの画家が繰り返し描く有名なテーマなのです。 そんな重要な絵を、なぜ狭い廊下の、暗い階段を上った正面に描いたのか、フラ・アンジェリコの意図が理解できませんでした。 正面から絵の全体は見えないし、絵を見ていて他の人に接触すると、階段を転げ落ちる危険性のある位置にあるのですから。  暗い階段を上がる時に、「受胎告知」が真正面に 輝いて見えます. 絵に見とれながら階段を 上がると、人にぶつかり そうな位置にあります. 暗い階段の先の上方に、「受胎告知」が輝いて見えます。階段を上がりながら、自分が「受胎告知」の舞台の中に引き込まれていくような気がしてきます。 「受胎告知」の場面は、一点透視図法で描かれています。一点透視の焦点は、マリアと天使を結ぶ視線に直交して、奥の廊下の小窓付近にあるように見えます。 つまり、「受胎告知」に上昇する階段の空間は、「受胎告知」の一点透視の焦点に収斂していくのです。ですから、絵の中に吸い込まれていくような感覚があるのです。 この暗い階段は、人の意識を、現実空間から異次元の「受胎告知」の舞台に投射する装置であると思うのです。 …

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雑観/美術-13-1 フラ・アンジェリコ「受胎告知」-1

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□フィレンツェの中心の「ドゥオモ」から北方向に600mほど歩くと、「サン・マルコ修道院」があります。 ここにフラ・アンジェリコの「受胎告知」が展示されています。私が観たのは20数年も前のことですが、その時の印象は今でも鮮明に残っています。 (左)サン・マルコ修道院(美術館)二階の僧房から見た中庭です.(右)中庭の一角にもフラ・アンジェリコのフレスコ画があります.□□□□□「受胎告知」のフレスコ画は、2階の僧房の廊下、階段正面の壁面に描かれています。 フラ・アンジェリコと愛称される画僧、グイード・ディ・ピエトロ(Guido di Pietro/1395-1455)の、48歳(1443年)頃の描画です。 フラ・アンジェリコ(Fra Angelico)とは、「天使のような修道士」という意味です。 彼は、祈りながら絵筆を取り、時に涙を流しながら描いていました。ベアト・アンジェリコ(Beato Angelico)「天使のような幸福なる者」とも呼ばれています。  僧房に上がる階段の先に「受胎告知」があります. 「受胎告知」は、天使が少女の住む家に訪れて受胎を告げるという、新約聖書のエピソード、超常現象の舞台を表現した絵画です。 その現象の絵画表現には、繰り返し描かれるうちに、様々な約束事が形成されていきました。 しかし、フラ・アンジェリコがここで描いた「受胎告知」には、このテーマの伝統的な約束事が描き込まれていません。 神、…

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暮らし/健康-10 レーザーで白内障の目玉焼き

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□昨年の暮れになって、右目の翳みがひどくなりました。視野に白濁した部分が出て、視力も落ちてきたのです。 私は、5年前に白内障の手術を受け、以降は、無事に視力も回復し、両眼とも良好な状態に戻って、快適に過ごしていたのです。 ですから、今度の目の症状は、白内障とは違う別の病気を発症して、それが目に現れてきたのかもしれないと心配しました。 内科系の病気なのか、または泌尿器系の病気なのか、心当たりはないものの、次第に落ち着かなくなりました。  診療明細の一部です.「後発白内障」は白内障の 手術後に、水晶体の後側が 混濁する症状です. 治療が必要なほどの症状に なる人は1~2%だそうです. ついにパソコンの画面が見づらくなったので、女房に相談しました。彼女は内科医院でパートで働いているので、医療については私よりも詳しいのです。 「この不良老人が...どこで遊んでんだかね...私が働いている時に...」女房は、冗談で脅しているのか、泌尿器系の病気だと言いました。 最近、性病の疑いのある患者が来院したらしく、「流行っているから気をつけなさいよ」と揶揄して笑っていました。 私は、潔白を証明するためにも、まず、白内障の手術を受けた眼科を受診せねばなるまい、と思い医院へ向かいました。 診断結果は、私の右目は、また白内障でした。白内障は、5年前の手術で完治したと思い込んでいたのですが...。 私の眼には人工のレンズが入っているのですが、今…

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雑観/スポーツ-07 フィギュアスケートの「演技」

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□女性からのバッシングを覚悟で申せば、私は、フィギュアスケートはどうしても好きにはなれません。 「それは若くてスタイルの良い美男美女に対する老人の嫉妬だ」と、羽生結弦ファンの女房は言います。 しかし私は、スケーターの誰某を嫌いだと、いうのではありません。男女を問わず、「演技」が好きになれないのです。 スケーターが、下から上目遣いで睨みつけたり、悲しい顔で悲壮感を漂わせるなど、過度な自己陶酔は見るに堪えないのです。 試技を終えて「僕は苦しみに負けずに頑張ったよ...」とハァハァ喘ぐ辛そうな様子も、同情を誘い媚びているようで、見たくないのです。  (註1) 歌舞伎役者のような「決めポーズ」には、 自分が気恥ずかしく なって目のやり場に 困ってしまいます. 精一杯頑張ったのであれば、息遣いが少々乱れても、悔いが残っても、表情には爽やかな印象が感じられます。 気の毒なほどの悲壮感を残していくスケーターが多い中で、稀にそうしたスケーターを見ると、嬉しくなります。 意味不明な悲壮感や怒りも自己陶酔も「演技」の一部でしょう。しかし、それが老若の女性には「胸キュン」でも、私の如き変人には、悪く言えば、その媚びた「計算高さ」に興醒めします。  (註2) 老若の女性には喜ばれる「演技」でしょうけど... 私には薄気味悪く見える「睨み」です. フィギュアスケート競技では、「技術」だけでなく「表現・印象」も評価されるので、「演技…

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暮らし/日常-27 草花の防寒対策は笑い種

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□私は近隣の笑い者ですが、その理由の「冬季バージョン」です。近隣とは、嘘を知る私が目障りなために、陰湿で小さなイヤガラセをする「オレガ」夫婦と、その取り巻きの子分の奥さんたちです。 彼女たちの笑い種は、拙宅の前庭と玄関に置く草花の防寒対策です。夜間が零度近くまで冷える日は、私は草花の鉢をビニール袋で覆って保温しているのですが、それが馬鹿げているのだそうです。  冬季の前庭は殺風景ですが、 ここで散歩の人と、花木や ミニトマトやイチゴなどの 話を聞いたりして楽しんで います. その防寒対策は、たまたま前を通った散歩の人から教わりました。彼は、自宅で庭いじりを楽しむ、園芸に非常に詳しい人です。 私の素人っぽい草花の世話に興味を持った様子で、親しげに話しかけ、冬を過ごす方策をいくつかアドバイスしてくれました。 プランターにビニール袋を被せると多少は保温できるので、寒い朝は土の凍結や葉の萎れを予防できるのだそうです。 以来、最低気温が零度に近いという予報があれば、夕方の陽が落ちる頃に、数個の植木鉢をまとめてビニール袋でカバーしています。全部で28枚を被せます。  雑な防寒対策ですが、 温室効果を期待して います. そして、翌朝、朝陽が差してきた頃に、カバーを外します。ビニールの内側は濡れていて、土も湿っています。 雑な防寒対策ですが、草花たちが喜んでいるかも知れないと、勝手に思って自己満足しています。 これが、「…

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雑観/美術-12-2/2 クラナッハの怖い絵とヌード

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□クラナッハ展には、「誘惑する絵ー"女のちから"というテーマ系」という展示スペースがありました。 そこに有名な「ホロフェルネスの首を持つユディト」があります。勇猛な武将を油断させて惨殺した女性の絵です。  (註01)「ホロフェルネスの首を 持つユディト」1530年頃  一度見たら忘れられない 凄みのある絵画です. 「女性の性的な誘惑は、屈強な男性をも破滅させることができる」という意味を表現していると説明されています。神話や寓話で、古来から男性に戒められてきた教訓です。 「ユディトの艶かしい肌、醒めた眼差し...これが非常に色っぽくて、生々しいリアルな表現との対比が美しい緊張感を醸し出している」と大方の解説では「官能性」に注目しています。 しかし、彼女が妖しい雰囲気を漂わせているのは、単に、先ほどまで、ホロフェルネスを性的に誘惑していたから、ではないでしょうか...。 ユディトは、賢明で勇敢な美貌の女性です。いつもこうした性的な魅力を振りまいていたとは思えないのです。 女性の性的魅力は「女のちから」であるのかどうか...分かりませんが、この絵は「女のちから」のテーマで展示されています。 女性からのクレームはないようですが、何となく奇異に感じるのは、どうやら私だけのようです。性的魅力の「女のちから」というと、「努」の字を連想するからです。 (左/註02) 1530年.(非展示作品です)(右/註03) 1530年.…

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雑観/美術-12-1 矛盾の画家 クラナッハ

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□初詣は、例年だと二日に、西日暮里駅から東京メトロ千代田線に乗り換えて「根津神社」に詣でます。 しかし、今年は陽気のせいで女房共々電車で熟睡し、目が覚めた時は上野駅に到着する手前でした。 (左) 国立西洋美術館 (右) クラーナハ展チケットと国立博物館入場券□□□□□慌てて降りましたが、ここで後戻りは癪だし、上野まで来ましたから、国立西洋美術館の「クラーナハ展」詣でに変更しました。 女房は何故かクラナッハに興味があったし、私は美術館の喫茶室から中庭を見るのが好きだったので、変更はすぐに決まりました。  (左/註01)「77歳の時の自画像」/1550年(右/註02)「マルティン・ルターの肖像」/1525年 クラナッハは、65歳から72歳までの間、宗教改革の本拠地である ルターシュタット・ヴィッテンベルク市の市長を勤めました.□□□□□ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach/1472-1553)は、ルネサンス時代のドイツの画家です。若い頃は、多くの祭壇画や宗教画を描いていました。 クラナッハが45歳の頃、彼より11歳若いルターがカトリックの堕落を鋭く指摘して宗教改革を起こしました。クラナッハは、絵画を通してこの運動を熱心に支援しました。  (註03)「泉のニンフ」 1537年 左上のラテン語は「眠りを 邪魔しないで」という意味 です.  しかし、ニンフは 薄目で「官能への誘惑」を 象徴するウズラを見ています. 一方で彼は、ルター派と…

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暮らし/日常-26 年賀状は版画ですが...

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□私は40年ほど前から、断続的ですが、年賀状は版画で作っています。雑な彫りですが、版画だと下手な字に合うような気がするからです。 ただし、クリスマス以前に「謹賀新年」を彫り始めるのは、どうにも気が乗らず、シャンパン気分が抜けた頃に図案を考え始めます。 ですから、年内に投函できるのは、親戚用の十数枚です。大多数は年明けて完成するので、失礼ながら、頂いた年賀状に返事を出すような形になってしまいます。 版画の図案の多くは、ルネサンス・バロックの絵画から借りています。例えば「受胎告知」だと、マリアと天使は彫らないで、背景と椅子と翼をデフォルメして作ります。「今年も良き徴がありますように」という願いを込めているのです。   (註) 「蛇王のステラ」 ルーヴル美術館. 古代エジプト/BC.3000頃「ジェット王がホルス神を 継承して王宮に君臨する」 という意味の石碑です. そうした私の版画・年賀状は、大方には大きく不評です。おめでたい図柄や干支ではないので、意味不明なんだそうです。 年賀はがきに「謹賀新年」を彫っているので、かろうじて年賀状だと認識できるのだそうです。 それを面と向かって言われると、私はイジケて何も言いません。ただし、丁寧に訊いてくる人には、図案の意図を説明します。 しかし説明しても、女房のように「ヘ...? ホ...」と怪訝な顔になる、正直な人が大多数です。私に気を使って、説明を求めない人も多いようです。 そ…

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雑観/世相-11-3/3 海外では挨拶が大切だと実感した例-3/3

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□海外では、無愛想にせず、笑顔と挨拶が大切です。挨拶のおかげで気分良く過ごせたことは、多くの方が経験されたと思いますが、ここでは私の2例を紹介しています。□□□□■□エピソード-5 ーセキュリティチェックでー  プランタン・デパートの 入口でも、屈強な黒人の 警備員が、簡単な手荷物 検査を行っていました. パリでは、テロ発生の可能性が高いと言われる、東部や北部を避けてオペラ座、カルツェラタン、シテ島近辺で行動しました。どこでも、自動小銃で武装した警官のパトロールを頻繁に見ました。 空港や美術館、デパートなど、人が多く集まる施設では、当然ながらセキュリティチェックが行われていました。 デパートでも入口と出口を分け、バッグの中を検査していました。セキュリティチェックは、パリではすっかり日常化していました。 市民は、無言ながら、当たり前のようにチェックを受け入れています。私も、チェックを受けることに、さほど違和感はありませんでした。係員も慣れていて、チェックの技術が上達したのかもしれません。 先に「ボンジュー ムシュー」と挨拶すると、比較的簡単に済ませてくれるように感じました。  パリ大審裁判所です. 画面の左側の奥にサント シャペル教会(背側面)が 見えます. 画面左下の方に見学者の 行列ができます. シテ島のサントシャペル教会を見学した時もそうでした。有名な観光スポットですから、施設の入口前には長い列ができます。 私は行列は…

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雑観/世相-11-2 海外では挨拶が大切だと実感した例-2

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□海外では、無愛想にせず、笑顔と挨拶が大切です。挨拶のおかげで気分良く過ごせたことは、多くの方が経験されたと思いますが、ここでは私の2例を紹介しています。□□■□□□エピソード-3 ーホテルでー 宿泊したホテルで部屋です. 朝食に行くのが少し遅くて 清掃の女性がドアを開けて しまいました. "エンシューディゴン(失礼)" と言い彼女は去りました. 以前のブログで紹介しましたが、女房は、ウィーンのホテルで部屋にバッグを置いたまま朝食に行き、どうやらその間に、財布の3万円をこっそり抜き取られる、という大失態をやらかしました。翌日パリに移動して、ホテルに着くまで気づかなかったのです。 彼女は「財布とパスポートは肌身離さず」の原則は承知していたのですが、ウィーンの街歩きに上機嫌になり、つい気が緩んだのです。 私は「財布・パスポート・デジカメ」だけは、どんな時も離しませんから、そのような盗難被害の経験はありません。 しかし、仮に移民系の清掃員が出来心で掠め取ったとすれば、その時私が施錠し忘れたスーツケースも、物色したはずだと思います。でも、価値ある物がなかったのか、そんな形跡はありませんでした。 それだけでなく、室内は綺麗に整頓され掃除してありました。疑えば、それはフェイクだと言えるかも知れませんが...。 しかし私は、清掃の移民女性が出来心で盗んだとは思えないのです。シャイな笑顔で挨拶する女性の出来心は、想像できないからです。かなりの確率で、女…

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雑観/世相-11-1 海外では挨拶が大切だと実感した例-1

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□私は人見知りをし、挨拶も上手ではありませんから、無愛想で頑固な変人という印象を持たれています。 対して女房は、誰にも愛想よく挨拶し会話します。愛想の良さは羨やましいのですが、これは長い時間に培ってきた性分ですから、何とも仕方がないと諦めています。 ところが海外を旅行すると、その性分は逆転するのです。私は、外国語は挨拶程度にしか話せないのですが、気軽に声を掛けるようになります。対して女房は、人が変わったように、どこでも無言になります。 理由はよく分かりませんが、私の場合「外国では挨拶が欠かせない」という教条が、どこかで刷り込まれているからだと思います。 たしかに、タイミングよく挨拶したために、気分良く過ごせたことが多々あります。ここで、私の2例を紹介します。■□□□□□エピソード-1 ー美術館でー ベルヴェデーレ宮殿です.クリムトやシーレの絵画を所蔵することで有名です.出入口は正面中央の右側のドアです. ウィーンの暑い日、ベルヴェデーレ宮殿を見学しました。女房が、クリムトの「接吻」をどうしても見たいというのです。 チケット・オフィスは、長い列ができて、かなり混雑していました。     私の前列の中国人の若い男性2人に順番がきて、彼らはカウンターの女性に挨拶もなくチケットを要求し、急に何やら揉め始めました。 長い行列を無視し、身体をクネクネ動かし、料金を値切るような話をネチネチと続けているのです。 我慢して丁寧に対応していた女性の表…

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暮らし/雑草-12 放水路と道端の雑草除去

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□8月上旬は、市によって放水路の雑草の除去作業が行われます。炎天下の蒸し暑い最中、下請けの作業員たちは黙々と草刈りします。 今年の放水路清掃でも、繁茂した草も、小さな花も、機械と人の手で刈り取られ、道端には灰色の土がむき出しになりました。 私が毎朝楽しく見ていた、草花やフェンスの所々に咲いていた野生の朝顔も、残らず取り去られて、緑のない殺風景な道端になりました。 そこに例の「オレガ」がヌラリと出てきて、「キレイになったがね、もっと徹底しなきゃな~」と怒鳴りながら、僅かに残った雑草を毟り始めました。 「オレガ」は、自分に不要な小さな命は抹殺すべきだと考えていて、子分扱いにされた近隣人も、そうした考え方を支持しています。宗教の熱心な信者の人でも「邪魔なヤツは毟り取れ」の姿勢です。この地域では、私だけがこれに反対の立場にいます。  作業員たちに「暑いので 無理しないでいいですよ」 と声をかけたら「でも、 仕事ですから...チャンと やんないと」と返事され ました. グランドカバーの葉と土壌を固める根を失った土は、紫外線に晒され、生命力を失ったように白くなりました。土壌中の微生物の、他の生命を生かすエネルギーが死滅しそうです。 なぜ、土壌の生命力を抹殺して、自然環境の多様な生態系を壊そうとするのか、私には理解できません。 しかし逆に、彼らにしてみれば、雑草のない環境は美しく清潔であり、雑草の徹底排除は正義の行為です。地域には様々に異なる意見…

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雑観/世相-10 飛行機のエチケット袋(吐袋)

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□飛行機に乗ると、座席前のポケットの中で、機内誌の陰にひっそりと潜んでいる小さな袋があります。 いわゆる「エチケット袋」、あるいは「ゲロ袋」、「吐袋」です。「Airsickness bag」「disposal bag」とも言われているようです。 内側を防水加工し、液体が漏れにくいように作ってあります。表には様々なデザインがプリントしてあって、わりと洒落ています。 ですから、使用していなくても、気恥ずかしさに勝って、こっそりと搭乗の記念に持ち帰る人も多いようです。オランダには6千枚以上を集めた熱心なコレクターがいるそうです。 航空会社の「エチケット袋」は特注品であり、市販されていません。ただし「ヤフオク」では、1枚10円から数百円で出品されています。 (註1)「ヤフオク」出品の「エチケット袋」です.□□□□□「エチケット袋」を他人が使用していると想像すれば、いい気持ちはしませんが、使わざるを得ない状況の当人にしてみれば、この小さな袋は「天の助け」です。 機内で使用した場合は、CAに渡せば処理してくれます。美人CAに渡すのが恥ずかしいのなら、機内のトイレに中身を流して、袋をたたんで、これをトイレに置いてある予備の袋に入れ、ごみ箱に捨てます。 私はそうした「吐袋」として使ったことはありませんが、目立たなくても、緊急時に頼りになる、有り難い航空グッズだと思っています。 (註1)「ヤフオク」出品の「エチケット袋」です.□□□□□実は、私は…

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暮らし/健康-09 少し大きな歯ブラシ

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□私の歯は差し歯だらけで、一部は歯槽のう漏です。朝晩きちんと歯磨きしているのですが、そうなってしまいました。 歯科医から勧められて、普通の歯ブラシで歯磨きするほかに、刷毛が直径4ミリのワンタフトブラシと歯間ブラシも常用しています。  いつも使っていると 癖になります. 以前、オーストリア航空を利用した時、機内で渡されたアメニティの中には歯ブラシも大小2本が入っていました。植毛部分の長さは、大きい方が28ミリ、小さい方は9ミリです。 自宅で使っている歯ブラシの植毛長さは18ミリですから、「28ミリ歯ブラシ」は、口の中に入れると、かなり大きく感じます。 機内の洗面室で使用した時は、タワシを含んだような気分になって、一人可笑しくなり、フッと笑って咽せてしまいました。 使用後は廃棄するつもりでしたが、その感触が気持ちよくて、ホテルでも使い、そのまま自宅に持ち帰ることにしました。 そして、「28ミリ歯ブラシ」は、刷毛の先端が開いたら蒸気を当てて少し回復させ、3カ月間使いました。  植毛長さが1cm大きいと 感触が全く違います. 歯ブラシの適当な大きさは、様々なサイトで解説されています。私が以前に使っていた「18ミリ歯ブラシ」は、植毛長さがほぼ親指の幅ですから、「適当な大きさ」です。 対して、オーストリア航空の「28ミリ歯ブラシ」は、歯科医の勧める大きさよりも1cm大きいです。 不適当な大きさの歯ブラシ…

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雑感/美術-11 ルーヴル美術館の「ニケ」

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□ルーヴル美術館といえば、「モナ・リザ」と「ミロのヴィーナス」が有名です。 2016年8月に訪れた時も、気温37℃の異常な暑さにもかかわらず、その二つの作品の周りは、大勢の人で賑わっていました。 (上) モナ・リザ(レオナルド・ダ・ヴィンチ/1503-19年頃)の人集り.(下) ミロのビーナス(BC.130年頃) 人の波が途切れません.□□□□□しかし私は、以前から「サモトラケのニケ」の方が好きでした。あの超有名な二作品の人だかりにウンザリしたからではありません。恥ずかしながら、自分にも翼があれば...大空を舞う願望を持っていたからです。 「ニケ」ファンも非常に多くて、彫像の下はいつも混雑しています。人だかりの理由は、階段の踊場の、動線の途中にあるから、だけではないと思います。風を感じる動的な印象が、多くの人を惹きつけているようです。  サモトラケのニケ(Victoire de Samothrace)/BC.190年頃 ドゥノン棟とシュリー棟の接合点にあるダリュの階段にあります.□□□□□階段下から見上げるヴィスタの焦点にあるので、出会いが劇的です。そして、近づくにつれて、風に向かって大きく翼を上げた女神の姿が次第にはっきり見えてきます。 高さ3.3m、台座を含む全体高さは5.6mですから、迫力があります。 近くにいた日本人の若い男女の、やや興奮気味の声が聞こえました。「エーゲ海の風を受け、翼を広げて、飛び立とうとしているんだね」 たしか…

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暮らし/日常-25 朝顔の葉にいたイモムシ

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□9月の中旬になると、拙宅の庭の朝顔がかなり疲れてきました。この夏も、読書やパソコンに疲れた時、陰湿な嫌ガラセを受けた時、この花と豊かな緑の葉に、随分と癒されました。 その頃、小学一年の孫娘が拙宅に遊びに来ました。その孫娘が、花と葉の少なくなった朝顔を眺めながら、なんと「あ~秋だねぇ」とため息混じりに呟きました。 (左)夏の朝顔です. (右)孫娘です.□□□□□「おませだねぇ」と笑った時、孫娘は「あーっ、イモムシが葉っぱを食べているよっ」と素っ頓狂な声で指をさしました。 指の2m先を見ると、褐色のイモムシが朝顔の葉の裏に逆さにへばり付いて、葉を食べていました。去年もいた、エビガラスズメの幼虫です。  朝顔の葉を食べている エビガラスズメの幼虫 です. 私は虫が大嫌いで、見ると背筋がゾゾーッとします。普通のお宅では、例えばゴキブリを見たら奥様がキャーッと叫び声を上げますが、拙宅では私が叫びます。男のくせに...と謗られますが、構いません。 孫娘が指差したイモムシを見てワーッと叫びそうになった時、彼女は「もうすぐ綺麗な蝶々になるんだね...楽しみだね」と言います。 「蝶々になったら見にくるから、ジイちゃん教えてね」とまで言われたら、駆除できなくなりました。  すぐ側に人がいるのに 気がつかないのか、 一心不乱に食べていて います. 女房が見つけた場合は、袋に入れて「燃えるゴミ」として扱います。私は、長い棒の端に…

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雑観/世相-09 海外旅行での気の緩み

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□今年(16年)、秋にウィーンとパリに行く予定でしたが、急遽、時期を8月下旬に変更して旅行してきました。 変更した理由は、9月上旬に日本から撤退する、オーストリア航空に搭乗したかったからです。 好き勝手に建築を観たり食事したいので、個人旅行形式にしました。航空機はビジネスクラスだと言うと、ほぼ予定外なことに、女房も同行することになりました。ホテルは、奮発して、街の中心部にある4星クラスを予約しました。  オーストリア航空には フライング・シェフが 搭乗しています. CAの赤いスーツは金髪 に似合います. ウィーンのホテルは、「ケルントナー通り」の繁華街から少し脇道に入った、街歩きに便利な位置にありました。 4星ホテルと言っても、安価な方ですから、高級感はありません。1912年開業の古いヨーロピアン・タイプですから、冷房設備はなく、床に送風機が一台置いてありました。エレベーターも、昔の映画で見たような、二重扉の古風な設備です。 しかし部屋は、そしてホテルのロビーも廊下も、広くて天井が高く、全体が質素な雰囲気ですが、落ち着ける空間でした。 フロント・デスクも好印象だし、廊下ですれ違う清掃の女性も快活に挨拶してくれました。 清掃の女性たちは、移民のような顔立ちで、ドイツ語も英語も、私と同様に、上手くは話せないようでした。  早朝のウィーン市内の ケルントナー通りです. まだ人は疎らです. カフェのテラスも閉じて います. ホテルはこ…

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暮らし/日常-24 誕生日は夫婦の食事会

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□5月22日は、私の誕生日です。その日の夕食は、レストランで頂くのが、私ども夫婦の恒例です。私は食に不案内ですので、いつも女房がセットしてくれます。 今年は、高層ホテルの中の和風レストランを予約してくれました。しかし、例年と違って、今回は昼食でした。女房は、そのランチメニューにこだわりたかったのだそうです。  (註1) 高層ホテルの2階の 和風レストランにて 二人の食事会です. 房は、ネットで食事処を探すうちに、あるメニューが目に止まって、「私が食するのはこれだ」と固く決心したようなのです。 似たような料理は他にもあると思うのですが、「食べるのはこれだ」と決めたら、そのメニューを一途に思い詰める...それは、やや太めの体型の女性によくある性質である、ような気がします。 私は、お酒をいただければ、どんな料理にも不満はありません。「料理は、お酒を美味しく戴くために在る」と思っている人種です。量はホドホドでよく、酒種は美味しければ何でもいいのです。  (註2) カジュアルな 雰囲気ですが、 窮屈な印象は ありません. 酒も料理も美味しかったです。和服の女性が食事を運ぶたびに、女房は写真を撮っていました。 私は料理の写真には興味はありませんから、撮影を横目で見ながら、ただ真昼の美酒を楽しんでいました。年に一回は、この程度の贅沢は欲しいと思いました。 しかし次第に、女房の顔に険しさが垣間見られるようになりました。恐る恐る体調…

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雑観/スポーツ-06 頭を撫でて讃えるサッカー

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□スポーツ番組では、サッカーの試合状況も頻繁に報道されます。上手い連携プレイに続くゴールは、観ていて気持ちがいいものです。 しかし、ゴールを決めた選手が、喜び合おうとする仲間を振り払い、血相変えて走り廻って、奇妙なダンスを披露するパフォーマンスは、私は好きになれません。そうした場面になりそうな時は、すぐに画面から目を逸らします。  (註1) 窮屈な姿勢になってでも 頭を手で撫でようとする 行為には、美技を讃える 以外に、組織の中の位置 関係を表現する気持ちが 僅かながら含まれている ように感じられます. 選手が他の選手の頭を撫でる行為は、もっと好きになれません。目を逸らす間がなくて見てしまうと、後味の悪い印象が残ります。 平等であるべきチームメイトを格下に処遇しているように見え、またそれを周囲に見せているように感じられて、好きになれないのです。そうしたパフォーマンスには、どうしても違和感がもたれるのです。 しかし、その行為は、親愛や賞賛を表す選手間のスキンシップだから歓迎すべきだという人も結構います。 単に頭を撫でているだけだから、ヒステリックにならなくてもよい、と揶揄する人もいます。  (註2) 頭部ではなく、肩に手を 置いても、祝福や愛情の 表現には十分なりうると 思います. 頭に触れて賞賛する仕草は、西欧の選手に多いように思います。それはローマ法王の祝福の行為に似ていて、それが意識中に潜在しているからなのかも知れま…

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暮らし/日常-23 徒然なるジョーク -3 思い違い系

時々思い出して、独り密かに薄笑いする「思い違い」です。オリジナルのつもりですが、既出でしたらご容赦くだい。■■■■■■■「グルメ」と「久留米」  (註1)婆「昔の彼氏...グルメだったのよ」爺「あー、久留米なら絣(かすり)が有名だね。福岡県だよね。」婆「え...? 'カスリ'じゃなくて'カスレ'って言うのよ。 フランスよ」 (カスレはインゲン豆と豚肉のフランス料理です) (歳とると、違うことを言い合っても、会話は成り立ちます) ■■■■■■■「わんこそば」と「ワンコそば」  (註2)岩手の友人「わんこそばサ...食ってメロ。うめーぞ」福岡の友人「バカにすんな。オラー、犬じゃなかド」 ■■■■■■■「ねぶた祭り」と「寝ブタ祭り」  (註3)青森の友人「ねぶた祭り...一度、見に来ねーか」福岡の友人「寝てるブタなら、どこにもおるよ。      それが何で..."お祭り"になるんかね~」 ■■■■■■■「こぶ取り爺さん」と「小太り爺さん」  (註4)爺「正直者のこぶ取り爺さんは、ホッペがすっきりしたんだって...」孫「小太りだったんだね...正直者はダイエットできるんだ...。  意地悪だったら、大太りになるのかな...?」爺「たしかに...意地悪な爺さんは、ホッペが二つ瘤になったな...」 160801□□□□□以下の画像を加工しています.(註1)「google map」 https://www.google.co.jp/maps/@33.1529385,130.9083791,2…

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雑観/世相-08 ヒョットコ顔で食べる

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□自然な動きで気負いもなく、ナイフとフォークを使いこなして食している様子は、老若男女を問わず、見ていて気持ちのいいものです。マナーの云々に関係なく、動作が堂々として美しいと思います。 しかし、多くの若い女性は、フォークを口に運ぶ時、少し顔を左側に向ける傾向があります。 左手の動きを少なくして、食事をエレガントに見せるための仕草なのかも知れません。 (左/註1)無理に優雅に見せようとすると、逆効果だと思います.(右/註2)口を左に曲げて食べる様子は、一瞬、こんな顔に見えます.□□□□□その時、視線は前方に向けていますから、口を左に曲げてフォークを迎えにいく恰好になります。 大変に失礼な想像ですが、私にはその顔が「ひょっとこ」面のように見えます。 ほんの一瞬ですが、見てはいけないのに見てしまった後悔と、少しの幻滅が、サーッと通り過ぎていきます。美しい食事風景を見ていたのに、少々興醒めしてしまうのです。  (註3) 正面にフォークを運んで 食する姿は、堂々として いて、奇麗に見えます. フレンチ・テーブルでの眉目秀麗なる女性の仕草は、料理やワインを美味しく見せるものです。 ですから、しっかり正面を向き、「ひょっとこ」面のように口を横に曲げず、真っ直ぐ向いて品よく召し上がっていただきたいのです。 口を横に曲げて食べる仕草は、テーブル・マナーにそぐわない訳ではありません。 しかし、そのエレガントな「ひょっとこ」顔は、密かに好意を寄…

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暮らし/日常-22 絶叫の体育祭

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□五月下旬の土曜日は、拙宅前の中学校の体育祭が開催されます。今年も数週間前から、体育の授業で練習が繰り返されます。縄跳びやリレーの歓声と教師の罵声が、閑静な住宅地に響きます。 ここで一句...「春過ぎて 夏来にけらし 縄跳びと リレーの絶叫 体育祭」 毎年、中学校は教師の一部と生徒が入れ替わり、体育祭の内容も少々変更されているようです。 しかし、体育祭の歓声と女生徒のアナウンス、校長や来賓の挨拶は、毎年、変わりなく聞こえてきます。  大音量の体育祭は、応援 したい気持ちと、憂鬱な 気分が混在します. 体育祭がマンネリ化しているというのではありません。音源から80mほど離れた室内に届いてくるスピーカーの音が、異常なほど大音量ですから、例年と同じ内容に聞こえるのです。 頭が痛くなるほどの大音量の、おなじみの行進曲、大歓声、絶叫するスピーカーは、みんな同じに聞こえるのです。 特に、徒競走やレーを実況中継する女生徒の絶叫アナウンスは、早口ですから、何を言っているのか、ほとんど聞き取れません。 パソコンに向かって考え事している時に「今、紅組がトップです」と叫ばれると、「絶叫しなくても、見りゃぁ分かるだろっ!!」口走って、集中力の途絶えた自分が情けなくてシラけてしまいます。 校長の締めの挨拶は、決まって少々涙声の「感動しましたっ!」です。そんな時に、女房が横に来て「仕事は順調か?」と訊いてきます。「混乱しましたっ!」と、私も涙声に…

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雑観/TV番組-07 助詞の「~を」の発音は「wO」?

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.□□□□□TVのCMを何気なく観ていたら、ある引越会社のCMソングが流れ、「~エガヲ お~♪」(~Egawo O~)と歌声が聞こえてきました。 「エガヲ」とは何なのか、一瞬、意味を理解できず戸惑いましたが、すぐに歌詞の内容から「~笑顔 を~♪」だと分かりました。 そして、標準語で歌うのならば「~Egao Wo~♪」と発声すべきではないだろうかと、疑念を持ちました。 昨今も人気の「アーカーベー6×8」も、全員が同じ振りでアヒル声を鼻声にして「笑顔」を「エガヲ」と発音して斉唱しています。 大変な人気グループですから特に若い人たちが強く影響され、単語の「□を」を「□wO」と言い、助詞の「~を」を「~O」と言うのが、社会的に一般化したのかと思ったのです。  (註1)「~Egawo/O~♪」と 聞こえるCMソングの イメージです.「えがを」とは何なのか 一瞬戸惑いました. そこで、「~を」の発音について確認しておこうと思い、ネット検索すると、多くの方がこの件に関心を持っていることを知りました。 驚くことに、「ウィキペデイア」にも「を」のページがありました。http://ja.wikipedia.org/wiki/を その解説によると、奈良時代は「お」は「o」と、「を」は「wO」と発音し区別されていましたが、平安時代以降は混用され、江戸時代になると「お」も「を」も共に「o」と発音されていたようです。 そして、1946年(昭和21)と1986年(昭…

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暮らし/雑草-11-2 道端清掃2-ミセシメの花

変人の暮らしと、少々毒のある雑観です.オレガ夫婦のイヤガラセを、ある助言により記録しています.不快に感じられた方には、お詫びします.□□□□□拙宅前の雑草の「タチアオイ」がピンクの花を咲かせていました。それが強風で倒れそうになると、紐でフェンスに柔らかく止めます。そして「今年こそ最後まで咲くことができるように」と応援します。  「タチアオイ」は、道端にあるので、この地域では雑草扱いとなり ますが、毎年、綺麗な花を咲かせ、道行く人を和ませています.  強風で倒れそうになった ので、麻紐を緩く巻いて フェンスに止めました. 道端清掃は、本来は道路のゴミ拾いだけを目的としていますが、私の属する班だけは、拙宅前だけの道端の草花を毟り取ります。「オレガ」夫婦が参加者に支持するのです。 今年の道端清掃は、私ども夫婦は病院見舞いのために欠席しました。帰宅すると、拙宅前の道端の2本の「タチアオイ」のうち1本が切り取られていました。 強風で倒れないように止めていた麻紐が、ダランと残っていました。私に対するイヤガラセの一環です。 翌日、「オレガ」宅から、「オレガ」婦の「アイツが文句言いに来るかな...」の声が聞こえてきました。「みんなでヤッタと言えば大丈夫」と「オレガ」夫(註)の大きな声が聞こえてきました。  タチアオイの半分を 切り取った後の紐が「ミセシメ」の如く 残されていました. やはり「オレガ」夫婦が子分のI奥さんに切り取らせたようです。I奥さんは隣家の人で、表…

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