建築再読-J.17 根津神社-2
建築再読-J.17 根津神社-2怨念の梗塞~愛念の広がり定説を外れた異端の視点で自由に想像して建築を読み返しています.
前稿「J.17 根津神社-1/梗塞すべき怨念」の続編です.https://itan-no-saidoku.at.webry.info/202005/article_2.html□□□□□□□根津神社 /企画:徳川綱吉、設計・監修:不明 /東京都文京区根津/1706年(江戸時代前期)□□□□□□□
(左/註09) 明治時代の楼門. 境内の様子が現在とかなり違っています.(右) 楼門の東側は街の広場のような空間です. この空間があるので、 本来は厳しい印象のあるこの神社に、親しみやすさが感じられます.□□□□□□□
このように古代史を概観すると、3世紀末(古墳時代)に「日本武」が「千駄木」の団子坂の坂上の南側に「素戔嗚」を創祀したという伝承の意味が見えてくるような気がします。
「素戔嗚、大国主(=素戔嗚の後継者)、大物主(=素戔嗚の孫)」は朝廷に酷い仕打ちをされたために、大怨霊となりました。朝廷は、その祟りを非常に畏怖していたのです。
また、「素戔嗚」と「日本武」の伝説には深い関係性があります。・双方共に、乱暴者だから肉親に疎まれ、故郷を追い出されました。(素戔嗚の肉親は姉の天照大神、日本武の肉親は父の景行天皇、と創作) 両者共に朝廷に都合の悪い存在ですから、乱暴者だと印象操作して、 貶めておく必要がありました。
・「日本武」の「草薙剣」は、元々「…